衛兵の憂い

 一応は都市という体裁になってはいるものの、一度足を踏み入れてみると、ペラは村の周辺を石壁で囲んだ程度の規模の町だった。

 

 衛兵に通行証をみせて市門をくぐり、埃っぽい道を歩いていくと、さすがに行き交う人並みも少しは増えてきた。皆が外套の襟を立てて足早に歩き、道路脇に立ち並ぶ野鳥の串焼きや蕪のスープの屋台にも目を留めようとしない。


「なんだかみんなよそよそしいね、この街」


 ミラがすれ違う旅人を興味深げに眺めつつ言う。


「ここは辺境の町だからな。ここについた時点で懐に余裕のある奴はあまりいない。きっちり財布の紐を締めておかないと、大事な旅費がいつ底をつくともわからない。それに……」

「それに?」

 

 ミラは小首をかしげながら、無垢な瞳をレヴィンに向ける。こういう仕草だけを見ていると、彼女を本当に人間だと勘違いしそうになる。だが彼女が何者なのかは、まだ全くわからないのだ。


「ほら、あれを見ろ」


 道なりにしばらく歩くと、両脇に宿屋の看板がみえてきた。

 レヴィンの指差した先では恰幅のよい女たちがむき出しにした太い腕で、道ゆく旅人を捕まえては強引に宿へと連れ込もうとしている。


「おやお客さん、なかなかいい男じゃあないか。ぜひうちに泊まっていっておくれよ。うちは男前は特別割引があるからね。え、なんだって?こんないい女の誘いを断ろうってのかい?」


 客引きが腕を引いている男は、目を泳がせた後、曖昧に微笑んだ。

 彼は男前というよりは、どちらかというと気が弱そうだ。

 ペラでは客あしらいも荒々しい。何しろこの街を訪れる旅行者が多いとはいえない上に、旅費を節約するため野宿しようとする者すらいる。だから客引きも、気が弱く誘いを断れなさそうな者から宿に引きずり込もうとするのだ。


「ねえレヴィン、あんなに強引に誘わないと泊まってくれないものなの?いい宿だったら、お客の方から近寄っていくものじゃない?」

「そんな甘いことを言ってたらここでは商売が成り立たんさ。とにかく宿に引きずり込んでしまわないと話にならない。少ない客を奪い合うんだからな」

「ふーん、そういうものなんだ」


 ミラは今のところは、レヴィンの言うことを素直に聞いてくれている。

 だが、レヴィンもまだ完全にミラに気を許しているわけではない。

 ミラが未登録種アンノウンである以上、ミラはまだレヴィンが知らない危険な性質を隠し持っているかもしれないのだ。神兵隊と大立ち回りを演じたという戦闘力までもっている以上、無邪気な子供にみえても油断はできない。


「ねえレヴィン、なんかすごく美味しそうな人が来たよ」


 そう言いつつ、ミラはレヴィンの手を握ってくる。

 ミラの「目」を共有したレヴィンの視界に、碧色の蛍火のような光を身体中にまといつかせた若い男が、肩を落としてこちらへ歩いてくるのがみえた。

 まぎれもない悲愴の霊光オーラを、その男はまとっている。


「どうした?ずいぶん具合が悪そうだが」


 レヴィンは不景気を貼り付けたような顔の男に声をかけた。

 男は体躯こそ大柄だが、瞳や唇が小ぶりでいかにも小心そうだ。

 薄汚れた麻のシャツの背を丸めて歩く姿も、頼りなげな雰囲気を漂わせている。

 男はレヴィンと一瞬目を合わせた後、隣のミラをちらりと見て、小さく悲鳴を上げた。


「おい、どうして逃げる?」


 レヴィンは自分に背を向けて一目散に駆け出した男を追いかけた。

 男が驚いた原因はミラにあるようだし、それならなおさら真相を問いたださずにはいられない。

 彼が気鬱に取り憑かれている原因も、ミラと関係があるかもしれないからだ。


「心配しなくていい。俺たちは怪しい者じゃない」


 その言葉に説得力があるかはわからないが、とりあえずそう言ってみた。

 男はびくりと肩を震わせて立ち止まり、恐る恐るこちらを振り返る。


「……あの、お会いするのは初めて、ですよね……?」

「ああ、そうだと思うが」


 ミラはきょとんとした表情で、この小心な男を見つめている。

 レヴィンは彼がなぜこんなことを言うのか、今ひとつ掴めないままだった。


「もしかして、この子に見覚えがあるのか?」


 レヴィンはミラを指差しつつ言った。男は慌ててかぶりを振る。


「いえ、そういうわけじゃあないんです。ただ、そちらの方があまりにもその、私の描いた絵とそっくりなもので……」


 そこまで話して、男ははっと口を手で塞いだ。余計なことを言ってしまった、という風情だ。


「い、いえ、なんでもありません。今のは忘れてください!」


 男が声音を震わせつつ言うと、再び背を向けて駆け出そうとした。しかしその前にレヴィンの腕が、男の手首をしっかりと掴んでいる。


「心配しなくても、俺はあんたの秘密を誰にも漏らす気はない。いっそのこと、すべてを話して楽にならないか?これでも、俺には法術の心得がある。あんたの気鬱をやわらげるくらいのことならできるぞ」


 男が弾かれたように振り向くと、その小さな目が大きく見開かれていた。

 この小さな町には、司祭の一人もいないと聞いている。神の起こす奇蹟とされている法術の使い手の存在は、彼にも心強いに違いない。

 

「どうやらあんたの神経はかなり参っているようだ。そのままだと邪霊が取り憑いてしまうぞ。これでも俺は元聖職者でな、もし望むなら、気分が楽になるよう祓ってやってもいい」

「ほ、本当ですか?じゃあお願いしようかな……でもその、私の話、決して誰にも漏らしたりしませんよね?」

「それは約束しよう」


 レヴィンは元武装書記官として、除霊の法術も身につけている。

 しかし、今はミラにこの男の憂いを食らわせてやるつもりだ。この男の気分が楽になり、ミラが満腹になるなら互いにとってよいことだ。


「じゃあ、この際だからついでに宿も決めてしまおうか。ここで話をするわけにも行かないから、まずは部屋を取ってからそこで話を聞くことにしよう」


 男の顔に安堵の表情が浮かんだ。

 レヴィンは男とミラを連れて、一番近くの宿の中へと歩みを進める。

 どの宿に泊まっても客あしらいに大差はないだろう、という判断からだ。


「いらっしゃい、三名様お泊りかい?」


 入口のカウンターで快活に声をかけてきたのは、愛想の良い中年男だ。

 

「いや、二人だ。泊まるのは俺とこの子の二人だが、もうひとり部屋に通していいか」


 レヴィンがカウンターのうえに硬貨を置くと、従業員はあふれんばかりの笑顔をみせた。


「ええ、もちろんですとも。さっそくお部屋にご案内いたします」


 従業員は急に慇懃な態度になり、揉み手せんばかりの様子でレヴィン達を二階へ案内した。


「では、お食事は夜七の刻、一階の食堂にてご用意させていただきますので。何かお気になることがございましたら、何なりとお申し付けくださいませ」


 ドアの隙間から福々しい笑みをみせる従業員に、レヴィンは軽く頭をさげた。

 

「さて、さっそく話を聞かせてもらうとしようか」


 部屋を見渡すと枕の二つ並んだベッドには清潔な毛布が掛けられ、その脇には小さなテーブルを囲んで粗末な椅子が三つ並べられている。調度品は部屋の隅の小さな箪笥程度だが、この簡潔さがかえってレヴィンには心地良い。

 レヴィンが腰掛けるように促すと、男はおずおずと椅子に腰を下ろし、続いてレヴィンとミラも着席した。


「まずは自己紹介させていただきます。私はトビー・アレン、この街の警備任務についております」


 トビーはせわしなげにしばらく視線を宙に彷徨わせていたが、やがて覚悟を決めたように口を開き始めた。


「そういえばさっき、この子を見て悲鳴を上げていたな。この子のことを知っているのか?」


 レヴィンが問いを向けると、トビーは広い肩を小さく縮め、しおれたようにうつむいた。


「そ、その、こんなことをお話していいのかわからないのですが……」

「なんでも話してくれていい。ここなら人目もないし、よそ者の俺たちになら話もしやすいだろう」


 レヴィンは努めて穏やかに話しかける。まずはトビーに心を開いてもらわなくては、憂いの晴らしようもない。


「では、お話しましょう」


 トビーはしきりに膝の上で組んだり開いたりしていた手を止めると、意を決したように話し始めた。


「私は、そのお隣のミラさんのあられもない姿を絵に描くという罪を犯してしまったのです」


 絞り出すように言うトビーを前に、レヴィンとミラはぽかんと口を開けた。

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