神に見捨てられた町ペラ

兵の流刑地

 つわものの涙は驟雨しゅううとなり、立ち並ぶ墓標を濡らす──と、名も知らぬ吟遊詩人がペラを形容したことはつとに知られている。

 マーセラス教主国の国境を東に抜け、最初にたどり着く辺境の町・ペラの住民はしかし、この物悲しい詩句に抗議の声を上げることはなかった。つまるところ、かの詩人の言葉はなんら誇大表現ではなかったからだ。


 ノストマルク王国各地で徴兵された兵士たちは30年の任期が開けるまでこの名産品すらない土地の警備任務を離れることができず、給金の少なさから嫁を取ることもできない。

 新兵は任務の合間に曇天を見上げては遠い故郷の空を想い、時に涙で頬を濡らすが、三年も経てば心もすり切れ、晴れ間の少ない北国の空のように灰色の生を黙って受け入れることになる。


 吹きすさぶ寒風にさらされながらひたすらに魔獣と賊の襲来に怯え続けるその生涯は兵士の心をむしばみ、酒で身を持ち崩す者も少なくない。

 ある者は酒を切らすと手足が震え、ある者は同僚に酒瓶で頭を割られる。

 何の娯楽もない土地に縛られたまま独り身で過ごす人生は、まさに流刑と呼ぶにふさわしかった。兵はこの町に囚われた囚人なのだ。

 

 そして旅人から見れば、この地は危険極まりない場所だった。獰猛なブチオオカミが周囲の山林を闊歩し、辺境の土地のため山賊の襲撃が絶えることもなく、近年は大人しいと言われていた雪フェネックすらもときに赤ん坊をさらっていくと噂される。

 黒テンの生息するノルト大森林が北方にあるため、危険を顧みない毛皮商人と狩人だけがこの町を訪れることになる。このためペラは立ち並ぶ旅籠の周辺だけがわずかな賑わいを見せるのみで、市壁の外には寒さに強いスノーヤムの畑がまばらに見られるくらいだ。

 

 苦行を良しとする巡礼者があえてこの貧しい土地を訪れることもあるが、他者に分け与える食物もろくにないこの町では托鉢すら満足に受けられず、多くはこの町で行き倒れることになる。常駐する司祭もいないこの町では、有志が町外れの墓に彼らを葬った後、たどたどしい聖句を二言三言唱えるのみだ。

 要するに、ペラは神からも半ば見捨られている町なのだった。


 鈍色の空の下、針葉樹の間を貫く北国街道を抜け、今この町の門をくぐろうとしている二人の旅人は、街道の脇に立ちならぶ墓標の数に圧倒されていた。

 腰のまがった老婆が、墓の塚のうえにパン屑を撒いている。するとどこからともなく雀が集まってきて、餌をついばみはじめた。


「こうするとねえ、苔むした墓場も小鳥たちのさえずりで明るくなるのさ。この町には明るい話題なんてありゃしないから、せめて鳥たちにでも歌ってもらわんことにはねえ」


 半ば独り言のように、老婆は語った。ほつれた白髪を頬にまとわりつかせているその姿は、この地で擦り切れるまで歳を重ねてきたことをうかがわせる。


「しかし、次はいったい誰が忘却の川を渡るのか。あたしなんざ八十まで生きのびたが、この年まで生きたところで若いのが先に逝くのを見送るばっかりなんだよ」


 誰にともなく言う老婆の背を見つめながら、ミラは怪訝そうな表情をつくった。


「ねえレヴィン、忘却の川ってなに?」

「人が死んだら、異界に行くときに渡る川のことだ。ノストマルクより東には、この川を渡るときにいくらかの駄賃が必要だって伝承がある」

「それを船頭さんに渡すの?」

「そういうことだ。死ぬのにも金がいるっていうんだから、世知辛い話だな」

「お金が足りなかったらどうなるの?」

「浮遊霊になってこの世とあの世の境をさまようらしいぞ。そんなことにならないように、貯蓄に励めって教訓だろう」


 分別くさいことを言うレヴィンの脇で、ミラがぺろりと唇を舐めた。


「この町の人はみんな本当に不景気そうな顔をしているね、レヴィン。ここならたっぷりごちそうにありつけそうだよ」


 さも嬉しそうに声音を弾ませるのは、半ば透き通る橙色の髪の少女だ。真っすぐで神秘的な毛並みは粗末な旅装のフードの下にあってなお、十分に人目を引く美しさだ。

 長い睫毛に縁取られた琥珀色の瞳と形の良い桜色の唇も、見る者が息を呑むほどの品格をこの少女に与えている。何も言わなければ、どこかの貴人がお忍びで庶人に身をやつし、気まぐれにこの辺境の地を訪れたのだと傍目には見えるかもしれない。


「あまり誤解されるようなことを言うなよ、ミラ」


 そうたしなめた男は、長い外套にその身を包んでいる。

 上背のある体躯に乗っているその顔は輪郭こそ鋭いが、目元は穏やかと言うよりも気怠げな雰囲気を漂わせている。マーセラス人には珍しい癖のない黒髪が、中天にかかる陽光を浴びて艶めいてみえた。


「えー、いいじゃない、レヴィン。だってこんなに美味しそうな餌がいっぱいあるんだから」


 ミラと呼ばれた少女は、ほっそりとした指をするりとレヴィンの指に絡ませる。

 レヴィンはその手を振りほどこうとはしなかった。こうすることで、彼女の「瞳」の力をレヴィンも持つことができるからだ。

 

 しばらく歩くと、遠目にみえてきた市門の前に立つ衛兵の周りに、無数の碧色の光点が明滅しているのが見える。紛れもない、悲愴の霊光オーラの輝きだった。

 レヴィンは少し目を伏せた。人の心の中をのぞくのは、どこか後ろめたい。


「……衛兵さんたちからして、もうこんな有様なんだね。町に入ったら、気鬱好みの下位精霊や邪霊が取りついてる人もいるかも」


 レヴィンが軽く溜息をつくと、ミラが嬉しそうに口角を上げる。

 ミラの好物の憂いと悲しみで、この町は満ちているのだ。


「やっぱり、ここは兵士さんにとっては流刑地みたいだね。ここ、何人くらいの兵士さんがいるのかな?みんなあれくらい憂いに沈んでいてくれると嬉しいんだけど」

「ミラ、だからもうそういうことを言うなと言ってるだろ」


 レヴィンが唇に人差し指を当てると、ミラは不満げに唇を尖らせた。


「いいかミラ、お前が人の不幸を喜んでるわけじゃないのはわかってる。でもな、普通の人間にはそう聞こえるんだ。これからお前とはしばらく旅を続けなきゃいけないんだから、少しは普通の人間らしくふるまってくれ。無用な揉めごとは避けたいからな」

「はーい」


 ミラは気のない返事を返した後、衛兵を見やってごくりと喉を鳴らした。


(できることなら、ここらであいつにもたっぷり食事をとらせてやりたい。まあ、この町ならは豊富にあるだろうが、問題はどうやって食わせてもらうか、だ)


 国境近くのムロタを出て今日が二日目だ。昨日は農家の納屋に泊めてもらったが、この町に着くまでミラは一度も悲しみを食らっていない。憂鬱そうな旅人ともすれ違わなかったし、ましてや赤子を連れた母親とも出くわさなかったからだ。

 

「ミラ、の交渉については俺にまかせてくれ。お前が食事する姿は、誰にでも見せていいものじゃないからな」

「うん、わかったよ」


 小声で言葉をかわしつつ、二人はアーチ型の門の脇に立つ衛兵の前までやってきた。レヴィンは懐から通行証を取り出し、衛兵に示す。


「うむ、特に問題はないようだが……お前たちはマーセラスから来たのか?」


 衛兵は通行証に目を落としたあと、顔を上げて値踏みするようにレヴィンを見た。


「ああ、そうだが」

「最近は旅行者を装ってこの町に入り込む賊も多いんでな。その通行証、偽物でないという証拠はあるか」

「どうすれば信じてもらえる?」

「いちいち言わなくてもわかりそうなもんだが」


 衛兵は下卑た笑みを浮かべた。レヴィンは財布から銅貨を三枚取り出し、衛兵の手に握らせる。


「ようしわかった、お前たちは善良な旅行者だ。光乏しい我がペラへようこそ。ゆっくり滞在を楽しんでくれ。運がよければ尻尾の生えた人間を見ることができるかもな」


 大仰に両手をひろげると、衛兵はようやく門を通してくれた。


「レヴィン、尻尾の生えた人間ってなに?」


 脇からミラが問いかけてきた。レヴィンは周囲を見渡し、小声で答える。


「この近くの森に住んでる雪フェネックは、人間に化ける力があるといわれている。多分そのことを言ってるんだろう。あの狐が尻尾をしまい忘れるほど間抜けだとは思えないがね」


 町の中央を貫く道も人通りはまばらで、両脇に立ち並ぶ家屋もみすぼらしいものが多い。酒屋の看板など塗料が剥がれかけていて、看板の絵もかろうじて麦酒と判別できる程度だ。その軒先では、どんよりと濁った目をした中年の男が、うさんくさそうな視線をこちらに向けている。


(町全体の空気が淀んでいる。ミラにとってはいいところかもしれないが)


 その空気に呑まれないように男から視線を外すと、レヴィンは先を急いだ。

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