合せ鏡 其ノ六


 葦鹿あしかの里結界内部、トラと莉緒りおの二人は黒い鏡の影相手にいつ終わると知れぬ戦いを続けていた。結界を叩き外へ出ようとする影は、斬っても斬ってもまた現れる。段々二人に疲労が見え始めてくるのに対し、影はどんどん強くなっていくのだった。

 そこへイロハがようやく那須野から戻って来る。二人が生きていることを確認すると、巨大な影に恐れず立ち向かっていった。


ガチンッ!!


(刀が完全に通らなくなってる!? おかぁはこんなのと戦ってたのか!? )


「無理だイロハッ! こっちに戻ってきな!」


 呼ばれ、イロハは影に斬り付けるのを止めると莉緒たちの所へ走って行く。黒い鏡の巨影たちはイロハに目もくれず、結界の壁を叩き続けていた。


「ぐっ……戻ったかイロハ……志乃は?」

「志乃ならもうじき来る……と思う! トラこそ一体どうしたんだ!?」


 莉緒の横で苦しそうに横たわるトラ。影に飛び掛かった際にいなされ、地に打ち付けられて骨が何本か折れたらしい。


「奴ら急に硬くなり始めてね。あたしの刀もこの様さ」


 見ると決して折れない筈の刀が刃毀はこぼれしていた。神々から授かったという刀の方はとうの昔に折れてしまったらしい。


「一体どうやってあいつらを?」

「あたしが思うに、奴らはもう刀も法術も効かない。だから一旦この場から離れるよ。さっきから何か嫌な予感がするのさ」


「嫌な予感?」


 その時、壁を一斉に叩いていた巨影たちの動きがピタリと止まった。青黒かった体がみるみる真っ黒に染まっていき、どろりと形が崩れ始めたではないか!


「な、なんだ!? あいつらどうしちまったんだ!?」


 溶け出した黒い鏡の影たちは、地面に黒い染みを作っていく。染みはそこいら中に広がりはじめ、瓦礫がれきや家屋の残骸を飲み込み始めた。


「お、おかぁ!」

「ほうれ言わんこっちゃない! 急いでこっから逃げるよ!」


 そう言って横になっているトラを持ち上げようとする。


「お、おい待て止せっ!」

「なんだい昔よく負ぶってやったろ!」

「そうではなくて骨が折れとるっ! あいでででっ!!」

「男なら歯食い縛って耐えなっ! 生き残れば御の字だ!」


 イロハとトラを負ぶった莉緒は、なるべく高い場所を探しながら飛び跳ねるように結界の外を目指した!



 結界の外では人間たちが中和の破片を握り祈り続けていた。流石に長時間ひたすら祈り続けているのは苦行であり脱落者が出始める。だが殆んどの者が神仏に携わる者ということもあり、大半の者が篝火の焚かれる中でその場から動かずに居た。

 

 那須野から洞を通り来た典甚てんじんも虎丸たちと合流できたのだが……。


「お、おい……なんか様子がおかしくねぇか?」


 先程まで真っ赤に染まり、ドンドンという音を立てていた結界が急に静かになったのである。そればかりでなく真っ黒に染まり始めたではないか。


「知らねぇよ。きっと祈りが足りねぇんだ、もっと気入れてやれ!」


「大分長い間祈り続けてますから皆限界なのかもしれませんね」


「うわっちゃっ! なんだこりゃあ!?」


 突然祈っていた五郎佐が中和の破片を放り投げた!

 見れば落ちた石は焼けて真っ赤に染まり煙を上げている。回りを見るとやはり他の者たちも石が焼けて放り出し、火を放っているところもあった。


 黒い鏡を結界が抑えきれず、中和の破片が限界に達し始めたのである。

 これは黒い鏡が自己修復を終え、再び動き出したことに他ならない!


ブゥゥゥン……


 と、奇妙な音が聞こえ突如真っ赤な結界は光を失ってしまった。


「け、結界が!?」

「な、なんじゃいあの化け物は!?」


 黒い半球状の結界は徐々に上へと持ち上がり始め、やがて一つの大きな球体を作り始めた。黒い巨大な球体は雷雲のような光を放ちながらゆっくり浮いて行き、各所に小さい亀裂が入り始める。亀裂は牙の生えた口のように裂け始めた。


 更には口の中に目が入っており、ぎょろりと大地を見定め始める!


 目玉から一斉に黒色の線が放たれた!

 線の当たった地面は高温となって溶け、大穴を開ける!

 辺りからは火の手が上がり、集まっていた人間たちは大混乱に陥った!

 

「現れおったか化け物! この壺に収まるがよいわっ!!」

「この蜘蛛切り刃のさびにしてくれるっ!!」

「お二人共! そんなもの捨ててお逃げなさいっ!」


 僧兵たちに担がれるように連れて行かれる二人の和尚。

 葦鹿の里は我先へと逃げ惑う人間であふれかえった!



 結界の上空にいた天狗たちは、町を焼き払いながらこちらへ向かって来る黒い鏡に目を見張る。


「うえぇぇ……何あれ気持ち悪っ!!」

「あんな化け物が葦鹿の里に……くっ!」

「待て! どこ行く気っ!?」


 地上へ降りようとした佐夜香は、すかさず茜に掴まれた。


「放してっ! あそこには大切な人が……志乃さんやイロハさんだって!」

「あいつらが簡単にくたばるかって! 勝手に持ち場離れんな!」


「茜の言う通りだ。今は我々天狗に出来ることを考えよう」


 そう言って五郎天狗は大天狗光丸坊こうまるぼうを見た。

 腕を組み、じっと黒い鏡を睨んでいる大天狗に煮えを切らしたのか、鴉天狗たちが周りに集まって来る。


「どうします? お頭」


 黒い鏡の話を聞いたことのある大天狗光丸坊こうまるぼうは、部下の問いに即答することができなかった。古き神々でも太刀打ちできなかった相手、それが自分たちでどうにかすることができるだろうか?

 しかし焼かれていく人里を黙って見ているのは天狗の名折れというものだろう。


「……各自散開し、きやつの目に千本針を放て!」


 頭の号令に対し、天狗たちは黒い鏡を上空から囲むように散開した。

 そして雨のように放たれる無数の針!

 黒い鏡は至る箇所に針を受け、低いうなりのような音を出す。  


「──っ!? 止めっ! 撃つな!!」


 何かに気付き、光丸坊は攻撃を止めるよう叫ぶ。見れば黒い鏡は全ての口を閉じ、その巨体が更に一回り大きくなっているではないか。

 

 そして、まさにまばたき一つする間の出来事だった。


「!?」


 地上のすぐ上に浮いていた黒い鏡が、いつの間にか自分たち天狗の目の前に現れていた! 膨れ上がった巨体は口の数が増え、それが一斉に開いて目玉を見せたのだ!


「いかんっ!!」


 目から斉射される黒い線! 殆どの天狗たちは何もできず、黒い線の餌食となって撃ち落される! 辛うじて光丸坊は結界を張るも直撃を受けた!


「ぐ……一体何が……」


 目の前が白い閃光に覆われ、思わず視界をさえぎっていた茜が目を開けると、体中の焦げた光丸坊の後姿があった。

 とっさの判断で結界を張ったために近くにいた天狗たちも無事だったが、光丸坊の服はボロボロとなり両腕は焼けただれて血が流れていたのだ。茶臼岳ちゃうすだけ(那須の山の一つ 活火山)の火口に飛び込んでも平気な大天狗の体、それが結界越しでも堪えきれない威力など、想像もしたくない。


「お、お頭っ!」

「……引け」

「光丸坊…様…?」


 振り返った光丸坊の顔は、半分焼けて血が流れていた。


「全員引き上げろっ! 誰にも構うな!」


 叫ぶと同時に光丸坊の体は真っ赤に染まり全身が膨れ始めた! 巨大化した大天狗の体は十間(約18メートル)ほどの大きさとなる。捨て身で黒い鏡を押さえつけ、生き残った者たちを逃がそうというのだ!


 黒い鏡の目玉が一斉に光丸坊へと狙いを付ける!

 黒い線が放たれると同時に光丸坊は黒い鏡へと突進していった!


カッ!!


「あっ!」

「くっ! 光丸坊様っ!」


 再び視界が、今度は先程よりも更に強い光が辺り一帯を照らす。同時に強い衝撃が巻き起こり、天狗たちは飛ばされそうになるのを必死に堪えた。


「うぉぉぉっ!!」


 前に出た光丸坊自身も何が起こったか理解できず、思わず光に目を覆う。黒い鏡の攻撃を受けたわけでは無いようだが、凄まじい力が体に掛かって押し戻された。


 やがて光が止み、目の前には金色の姿が浮いていたのだ。


(あれは?)


 それは金色に光る人の姿をした者だった。手には槍とも矛ともつかぬ奇妙な得物をたずさえ、光丸坊と黒い鏡の間をさえぎるように浮いている。


(これは一体……)


 一見女の姿だが明らかに人ではない。光り輝くその姿に威圧を覚え、大天狗である光丸坊ですら動くことが出来なかった。


フォォォォ……


 浮いていた黒い鏡は奇妙な叫び声を上げると、その巨大が真っ二つに割れ始めた。


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