合せ鏡 其ノ五

 

 ひんやりとした風に当てられ、あさぎは目を覚ました。


(現実だわ。ここは外?)


 光の飛び回る水辺の向こう、見覚えある大木がそびえていた。

 どうやらあさぎはホコラサマの住処すみかから出されていたようだ。池を見ると大木への御渡し道が無くなっている。


(志乃はどこに!?)


 辺りに志乃の気配はおろか、かんざしや白い石、錫杖すらも落ちていない。

 片腕でゆっくりと身を起こすと頭の中にホコラサマの声が響いて来た。



『事は済んだ 去れ』



──だまされた!!


 簪が壊れていたことも自我を持ったことも、全てホコラサマの芝居だったのか!


「っ!! 裏切ったのね!? この私をっ!!」


 おのれ許すものか!!

 目前の大木ごと消し去るべく、怒りに任せ妖力を集中させた!


「──っ!?」


……ドサッ


「いっ…ひゃぁぁぁ──っ!?」


 突然締め付けられるような激痛が全身を走り、堪らずあさぎはその場に倒れた。魂そのものが握りつぶされそうな、今までに感じたことの無い痛みがあさぎを襲う。うめききを上げれば響いて痛み、涙が伝えば染みて痛んだ。


「ひぐっ! ……あぁぁっ!?…………はぁ……はぁ……ぐっ……!!」


 このままでは気がどうかなってしまいそうだ。目前の池に飛び込みたくなる衝動を抑え、体を丸めて痛みが引くのを必死に堪え待ち続けた。


…………


 どれくらいそうしていただろう。気付けばあさぎは誰もいない集落の道を、一人引きずるように歩いていた。

 一体自分はどんな術を掛けられたのか、見当もつかない。術返しの法は常に掛けていたのにそれが効かなかった。これは自分の知らない全く未知の「魔法」なのか。


 いや、そんなことよりこれからどうする? 切り札を全て失ってしまった。

 今頃は葦鹿に張られた結界も壊れ始めているだろう。再び出直し、ホコラサマから志乃を取り戻すには余りに時間が掛かりすぎる。

 黒い鏡は実体化させてしまった、もう誰にも止めることはできない……。


「あっ……!」


びちゃっ!


 泥の混じった雪で滑り、片腕のため体勢を崩し転んでしまった。

 こんな状況にも関わらず、無情にもあの激痛は襲って来る。


「う……うぅぅ……うあぁぁ……ひっく……ひっく……」


 悔しさと情け無さ、みじめさにこらえ切れず、あさぎは積を切ったように泣き始めた。

 自分は昔から何も変わっていない。一人では何もできない。誰かを頼り他人を利用しないと何もすることができない自分のままだ。どんなに知識を溜め込み、どんなに強く振る舞おうともこれが自分なのか……。


 だがこのままで終わりはしないっ!!


「……ひっく……うぅ……! ……ぐっ!!」


 泥まみれで激痛に耐える中、涙を落としながら体を起こそうと試みる。食い縛った歯の間から血がこぼれた。

 まだイロハたちを送ったうろがある筈だ。黒い鏡と心中する力なら今の自分にも残っている。日ノ本全土を巻き込んでしまう恐れはあるが、奴に全て破壊されるよりかはずっといい。小さな島一つでも残れば日ノ本は死んだことにはならない!


 そうだ、何故今まで気が付かなかったのだろう。

 始めからこうすればよかったのだ。

 一番大切な物を無くした自分には、失う物など無かったではないか。


 何とか立ち上がり、再びあさぎが歩き出そうとしたその時だった。



──シャンッ



 幻聴だろうか。後ろから鈴の音が聞こえた気がした。



──シャンッ シャンッ


 また聞こえた! 間違いない、後ろから鈴の音が近づいて来る!


(この音……志乃なの!?)


 あさぎがゆっくり振り返ると金色に光る姿があった。その形は志乃ではない。全く見覚えの無い光る姿が錫杖を突き、こちらに歩いて来るのだ。

 しかしあさぎはそれが志乃であることを覚った。まさか本当にホコラサマが蘇らせたのか? 自分を騙したのではなかったのか!?


「志……っ!」


 呼びかけようとするも、また体に痛みが起こる。

 思わず膝を付きそうになるあさぎに構わず、光る姿はすぐ横を通り過ぎて行った。


「……待って」


 声を振り絞り呼び止めるも、志乃は先へと歩いて行ってしまう。


「……駄目……行かないで……!」


 もう志乃を戦わせる必要はない。あさぎは激痛に構わず走り出していた。


「待って! 行っては駄目っ!」


 あさぎの呼び止めも聞かず、どんどん志乃は里の外へと行ってしまう。


 己の死を決意し、志乃が蘇った事実を知ったあさぎは失うことが怖くなっていた。黒い鏡と戦わせ、もし志乃が消えるような事があれば、本当に自分は何も残せなくなってしまうことにようやく気付いたのだ。

 本当に自分はどうしようもないくらい我儘わがままな女だ。こんな姿を父や他の兄弟たちに見せたら呆れて物も言わないだろう。


「はぁ……はぁ……」


 次元の狭間を抜け姥ケ原うばがはらに出ると、志乃は天を見上げて立っていた。


 改めて見ると、やはりその姿は自分の知っている志乃の姿ではない。全身が金色に輝き、長い髪をなびかせながら、大きく形状の変化した錫杖をたずさえている。太古の人間を彷彿ほうふつとさせる袖の無い衣から、光る文字の刻まれた手足が長く伸びていた。


「──行かないで! 志乃っ!」


 振り返るやはり文字の描かれた顔に表情が無く、瞳の奥はあさぎの全てを見透かしているように思えた。


──と、その瞬間志乃の体は宙に浮き、夜空の彼方へと飛び去った!


「志乃────っ!!!」


 誰も居ない那須野の姥ケ原に、悲痛なあさぎの叫びが木霊した。

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