終焉を足掻く者たち 其ノニ
五つ(午前七時)になったばかりだが、志乃、イロハ、アザミの三人は
「これより南下すれば黒い鏡の領分となります。今のうちに休まれておくべきかと用意させておきました」
随分と手回しの良い事である。昨日から寝ていない志乃は早速部屋で横になろうとするが、イロハは寝ようとしない。
「さっき起きたばっかしで寝れるわけなかんべ」
「まぁイロハはね。アザミはどうするの?」
「私はお二人に危害を加える者がいないか見張っています」
「そんな奴いんのけ?」
「いないとも言い切れません」
「でも疲れてるでしょう? そんなのトラにでも任せればいいわよ」
「あの猫は駄目です。先程屋根の上で寝ておりましたから」
そう言って天井を指さす。
「仕方ないわね……」
志乃は紙を取り出すと札をつくった。部屋の四隅に貼り、
「人除けの札、これで大丈夫よ。イロハは寝なくていいから横になってなさい。それだけでも大分違う筈よ。アザミもしっかり寝ておくこと」
「え、でも私は」
「暫く寝てないって顔に書いてあるわよ」
「……」
志乃の言う通り、アザミは数日間寝ていなかった。強引に仕切り何でもお見通しなところがあさぎを連想させられる。当然口には出さなかったが。
結局、三人は布団を敷き朝から寝る事になった。
「……ところで『黒い鏡』ってなんなんだ? ほんとに鏡なんか?」
一人寝付けないイロハは隣のアザミに聞いてみた。
「いいえ、そう呼ばれていますが私たちの知っている鏡とは全くの別物です」
「鏡は本来魔を封じる物だしね。
「……あさぎ様の話では、『黒い鏡』は人間や妖怪がまだ地上に現れる前から存在し、日ノ本を飲み込もうとしたそうです。見た者の心を写し取り、変幻自在に姿を変えることから呼ばれたと」
「今はどんな姿してんだ?」
「存じません。恐らくですが人に紛れるため人間に近い姿になっているかと。志乃様ならすぐにわかるそうです」
「それもあさぎが言ったの?」
「……はい」
呆れた口調で志乃が聞く。
何もかも見透かしているようなあさぎに嫌悪感が
「……あさぎ様は志乃様の事を昔から存じているようでした。黒い鏡を対処できるのは『白い鏡』しかないと……」
「白い鏡? 志乃は鏡だったんけ?」
「そんな訳無いでしょ」
そう言いつつも、昨日鏡の破片を封じた時のことを思い出す。
「……でも何故私にこんな力があったのかしら。神様ですら持っていなかった力なんて、どうして……」
「……それは……太古の神々が…鏡の存在を……よく知らなかった……」
「あれ?」
覗き込むと、話疲れたアザミは寝てしまっていた。
起こすのも可哀想なので、二人も目を閉じ横になる事にした。
『失礼します。お客さん、
昼時、旅籠の女主人が三人の部屋を訪ねる。襖を開けようとしたが開かない。
代わりに……
『疲れて寝てっから起こさねぇでくろ!』
『あぁほんですか、失礼しました』
寝ている三人の代わりに人除けの札が、何故かイロハの声で返事をしたのだった。
…………
(……どのくらい寝たのかしら)
一人起きた志乃は窓に下がっている暗幕を外し障子を開けた。二階から外を見るとまだ明るく、道行く人が見受けられる。奇妙な事に北へ向かう人はいるが、南へ行く人がいなかった。
(皆、葦鹿から逃げていくのね……)
手元に紙が挟まっていることに気が付くと、後ろから声。
「……暗幕を下げてください……日が強すぎます」
「あ、ごめんね」
急いで窓を閉め、起きたアザミに紙を見せる志乃。
「……間違いありません。あさぎ様からです」
一、葦鹿に結界を置くので志乃はそこから出ずに黒い鏡を割ること
一、他の者は黒い鏡に近寄らず、手出しもしないこと
一、アザミはすぐ戻ってくること
一、無理はしないこと、助っ人が来るらしい
「助っ人?」
「私にもわかりません、誰のことでしょう」
あさぎの部下だった花梨の事だろうか? それともあさぎ本人が助っ人なのか?
黒い鏡とやらが何処に居るかとか肝心なことは何も書かれていない。相も変わらず謎ばかりのあさぎにふと知りたかった事を思い出し、聞いてみることにした。
「そういえば全然関係ないけれど」
「はい?」
「……あさぎに娘がいた、なんて話は聞いたことないかしら?」
「え? 何故そのようなことを?」
唐突な言葉に流石のアザミも驚いた。昨日あさぎに
「べ、別にいいのよ聞いてないなら。もうあいつとは関わりたくないし」
「はぁ。……うーん……そのような話は聞いたことが無いですね。前に花梨殿と話をされていた時『自分は色恋沙汰とは無縁だ』と聞いたこともあるので」
「そうなの、わかったわ」
「……?」
何故か
…………
イロハも目を覚ましたので、再び三人は葦鹿の中心を目指し歩き続けた。
「お主らが寝ている間、誰も怪しい奴はおらんかったぞ」
屋根の上から聞いていたのだろう。不機嫌そうなトラの声が籠の中から聞こえる。志乃はあさぎからの文を籠へ投げ入れる。
「嘘ばっかり、これが
「……な!? ぐぬ……」
「オラもすっかり寝ちまっててわがんねがったや」
「仕方ありません。あさぎ様の行動は誰にも見切れませんから」
「……ふんっ!」
面白くないトラは首を引っ込めた。
徐々に葦鹿の町が見え始めてくると、人の行き交いが激しさを増してきた。たまに北へ向かう一行を見る程度だったのが、忙しく南へと向かう駕篭がいくつも通り過ぎて行く。そのいずれもが僧侶や神職者のような者たちばかりだ。
「この辺りで別れるとしましょう。後は気配を辿れば見つけられる筈です」
「うん、わかった。ありがとな」
「一人で大丈夫なの?」
「はい、皆様ご武運を」
「おい待て! これはどうやって使う物だ!?」
トラが中和の破片を取り出して見せると、アザミはトラの頭をむんずと捕まえる。そして口をこじ開けさせ、あろうことか破片を放り込んでしまった!
「むぐ!? げほっ! な、なにするんじゃい!!」
「腹に入れておけば落とさない筈。それでは」
大きな笠をかぶり直し、アザミは来た道を一人歩いて行った。
「全く、あのあさぎとかいう奴のところには
「ほら、気持ちを切り替える。ここからは敵地よ」
「トラの事頼りにしてっから!」
「ん……まぁ任せておけ。……しかし大分様子も怪しくなってきたな」
トラの言う通り、見上げると青空が見えていた天が霞んでおり、まだ昼間だというのに赤く染まり始めていた。夕焼けとは違った妙な色に違和感を覚える。
「おかしな……、日が落ちんのこだ早がったけ?」
「違うわ、あれ結界よ! 急ぎましょ!」
葦鹿全体をすっぽり覆ってしまうような巨大な結界を目の当たりにし、二人と一匹は道行く僧侶同様に足を速めた。
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