予期せぬ邂逅 其ノ十四
まだ日も出ずに外は暗い。だがボヤボヤしていれば役人に見つかり面倒なことになるだろう。
外に出るとお千夏や甚之助、おつねたちが二人を見送るのだった。
「お世話になりました。……鈴音さんのこと、宜しくお願いします」
「どこか世話してくれる尼寺はないか、八潮のクソ坊主のところに文を出してみるよ。まさか嫌とは言わないだろうからね」
黒石の洗脳が解け目を覚ましたとしても、親のいない鈴音にはもうどこにも居場所など無い。本来なら志乃が小幡へ文を出すべきだが立場上それができず、結局お千夏の手を
「……二人とも、行く当てが無かったらまた帰って来てもいいんだぞ」
「大の男が泣いてるんじゃないよ、みっともない」
「こ、これは目から出た汗だ!」
志乃とイロハは暗い表情で顔を見合わせる。地擦り組の一件で屋敷の一角は全焼し、死人まで出てしまった。またここへ来ても迷惑でしかないのではなかろうか。
「この屋敷の人間はね、みんな一度は死んだ覚悟で奉公に来てるのさ。死人が出たのはお前たちのせいじゃない、悪く思う奴なんかいないさ」
「でも……」
「姐さんの言う通りだよ。また遊びにおいで」
お千夏とおつねにそう言われ、イロハと志乃の顔が幾か笑みが戻る。
「……ありがとうございます」
「おかぁがめっかさったら、いの一番に教えっから」
「あぁ、必ず会えるよ」
「頼んだぞイロハ!」
思い切りお千夏に
と、ここで門の方から奉公人が走ってきた。
「旦那様、こんな早くに二人を迎えに来たという者が居ります!」
「何!? 一体どこの誰だ!?」
「それが本人に言えばわかると……。大柄な
「あさぎたちだわ」
「知り合いかい? 入れてやりな」
門を開けられて入って来たのはやはりあさぎ、
あさぎは鈴音が目を覚ますまで引き取ると言い出した。志乃は当然これに反対したが、黒い鏡に魅入られた者に安息の地は無いと言われ、自分に預けるのが一番安全だと押し切られてしまい、花梨が負ぶって連れて行くこととなった。
「夜も明けぬうちからお騒がせ致した」
「いや……二人のことを宜しくお願い申す……いてっ!」
花梨から詫びを入れられ、急に畏まる甚之助。どうやら男勝りな女が好みらしい。一瞬にやけた顔を見逃がさず、お千夏が額を引っ叩く。
「みんな達者でな、おまえさんもね」
「……ふん、ワシはもう来んぞ」
全身包帯で縛られ、志乃の背負う
「ひっ! また喋りやがった!」
「ふふっ」
「あはははっ!」
実は昨日、志乃たちを助けに向かわせるために、トラは禁を破り甚之助たちの前で声を出したのだ。
しかし猫嫌いの甚之助に危うく鉄砲で撃たれそうになり、寸でのところでお千夏に助けられた。きっと
「さ、そろそろ行きましょう」
「……そうね」
いつまでも別れを惜しんでもいられない。疑惑の塊である志乃はあさぎに対し、目を合わせないよう相槌を打つと、門へと歩き出す。
カッカッ!
「志乃! イロハ! しっかりやんな! 莉緒が見てるよ!」
「あぁ! みんなも達者でなー!」
(お千夏さん……ありがとう)
火打石を持って送り出すお千夏、初めて自分を「志乃」と呼んでくれた……。
志乃の
…………
提灯を下げたアザミを先頭にあさぎ、鈴音を負ぶった花梨とイロハ、最後に志乃という順番で歩く。ケノ国南部とはいえ夜明け前の町は相当冷え込み、普通の人間ならとうに凍えてしまったことだろう。
「重くねぇのけ?」
「まさか。子供の頃、幼かった弟を負ぶった時の方がずっと重く感じたさ」
久しぶりに会ったイロハと花梨は談笑するも、他の皆は黙りこくっている。
先頭のアザミが歩みを止めた。
「誰か来ます。人間でしょうか」
「役人ね、ご苦労な事だこと」
近づいて来た提灯に止まるように言われる一行。お千夏屋敷からずっと様子を伺っていたのだろうか。番所まで来いと言われる前に、あさぎは書状を取り出して見せ、二、三言葉を交わした。
何を言っているのかはわからなかったが、書状は
そして再び歩き始め、今度は山林へと差し掛かる。ここまで見回りの役人たち以外に出くわすことは無かった。あの騒ぎの後だ、誰も出歩かないのも無理はない。
そしてまた歩みを止めるアザミ。
「今度は何事?」
「猫のようです。しかも大勢」
「そんなもの放っておきなさい」
「志乃、ワシを下ろせ!」
「お友達?」
言われて志乃はトラを籠から出してやる。
すると茂みからいくつもの光る眼が飛び出し、黒い影がトラを囲んだ。
『トラの旦那、もう行っちまうのですか!?』
『行かないでくだせえ!』
やがて足を引きずった大柄の猫が前に歩み出る。
柿右衛門だった。
(柿右衛門殿……)
「トラ殿、貴殿を見てやっと目が覚め申した! 今まで散々恥ずかしい真似をしてきたこと、どうかご容赦の程を……! 心を入れ替えねばならなかったのは己自身だったことに、この大馬鹿者はようやく気付くことが出来申した!」
「……」
深々と頭を下げる町猫の長を、トラは黙って見ていた。
「トラ殿、重ね重ね恥を忍んでお頼み申し上げたい! どうかこの町に残り長となって頂きたく! トラ殿のためなら皆喜んで尽くしましょう……どうか!」
「柿右衛門殿! そこまでに致せ!」
「へ、へぇ!」
喝を入れるように、トラが声を張り上げた。
「そんなことでどうする! 長たる者は何事にも大岩の
トラの言葉に、猫たちはしんと静まる。
「大岩が動く時、それは己が舞台から身を引く時だけだ。柿右衛門殿、
「トラ殿……」
「ワシに借りがあると思うのなら次に訪れた時に見せてくれ。お主らが立派に務めを果たし、猫たちに活気が満ちている様をな」
「…っ!!」
『親分、やりましょう!』
『もう一度やり直しましょう!』
「お前たち…………トラ殿……有難う御座います!!」
「暫しの別れだ。皆、達者でな」
部下たちの声を聞き、感極まった柿右衛門は涙を流してトラに頭を下げた。
トラは再び籠に入れられ底の方で丸くなる。きっと自分で言っていて恥ずかしくなったのかもしれない。よくよく考えれば包帯で巻かれた上に籠に入れられ、女子に負ぶられている様など恥ずかしさ極まりなかった。
「トラ格好よかったなぁ!」
「そうかしら」
嬉しそうなイロハに対し、また約束を破り勝手をしたトラに志乃は冷たい。包帯でぐるぐる巻きにしたのもその腹いせである。
(那珂の邪々虎、何と
武家の出である花梨は、義理とか武士道とかいう言葉に敏感であり、先程のトラに感銘を受ける。
一方のあさぎは興味が無いのか先へと行ってしまい、気付いたアザミも慌てて後を追うのだった。
…………
山林を登っていた筈がいつの間にか平地となっていた。辺りは暗く何も見えないが、どうやら気が付かないうちにあさぎの作り出した空間へと入っていたようだ。
暫く歩くと道が分かれている。一方は宵闇町へと続いているのだろう。
「一旦ここで別れましょう。花梨はその人間を置いて来たらすぐ支度なさい」
「はい」
そして改めて志乃を見るあさぎ。
志乃は目を合わせようとしない。これは何かあったな、とすぐ勘付いた。
「さて志乃。私が迎えに来たという事はどういうことかわかっているわね?」
「……黒い鏡が動き出した、そんなところでしょう」
「ええ。数日中に必ず葦鹿の里で異変が起こる。災厄を最小限に食い止めるために、既に各藩の大名たちと手は打ってあるの。後は貴女次第という事ね」
「私次第? 何を言っているの?」
「黒い鏡を割る前に、私に聞きたいことがある。貴女の目がそう言っているわ」
些細なつっかりでも取り除いて置きたい、そんなあさぎの考えからだった。
「何も無いわ。強いて言うなら私から言いたいことがあるの。以前、かあさんを探すのに全力を尽くして欲しいと頼んだことがあったわね」
「黒い鏡を割った後にね。それがどうかした?」
「あれは撤回するわ。代わりに二度と私に関わらないで!」
「……」
(志乃……!)
一瞬で場を凍り付かせる志乃の言葉に、あさぎは落ち着いて答える。
「貴女がそう望むのならそうするわ。いずれにしろ、全てが済んだらこの日ノ本から出て行くつもりだったしね」
「……」
「それと今の貴女の気休めになるかはわからないけれど、芳賀家の娘は無事よ。今は
(那珂の里だと!?)
(まさかあの時の! あれやっぱし佐夜だったんけ!)
聞き耳を立てていたトラは驚き、心当たりのあったイロハはもっと驚いた。
しかし、肝心の志乃は動じなかった。
「……それを聞いて安心したわ。黒い鏡は必ず私が割る、話はそれだけよ」
「あ、志乃……」
葦鹿へと続く道を一人歩いて行く志乃。追いかけるようにイロハも続いた。
あさぎが後姿を見送ると、籠から首を出しあかんべぇをするトラが見えた。
「……宜しかったのですか?」
「構わないわ。それより今は黒い鏡を割る事だけを考えましょう」
そういって道の脇に目をやると、黒い人影が姿を現した。カムイだ!
「報告、殿は無事城に戻られ自ら指示を出されております。既に手配は整い、ケノ国北部だけでも三百を超える術者が集まるのはほぼ確実かと」
「千は欲しいところね、引き続き善処して頂戴。ところで『中和の欠片』はちゃんと行き届いているの?」
「その辺りは抜かりなく。番所でも渡せる手筈となっております
「結構。それと葦鹿の里にやった
「報告によりますと芳賀の屋敷はもぬけの殻となっていたようです。しかし、それより離れた山寺で集会の兆しあり。中に粕谷宗次郎の姿も見かけたと」
「粕谷宗次郎……!」
粕屋の名を聞き、花梨が表情を変える。
「わかったわ、ご苦労様。烏頭目宮に戻っても構わないわよ」
「いえ、殿から『己のすべきことを致せ』と申し使っております故、このまま拙者も葦鹿の里へと赴く所存です」
「そう、なら頼んだわ」
報告を終えたカムイが花梨の方を向くと、険しい表情に目を細める。
「……花梨よ、いよいよだな。無事本懐を遂げられるよう祈っておるぞ」
「カムイ殿、かたじけない! 必ずや父の仇を討ってみせます! 御免!」
鈴音を負ぶったまま、花梨は宵闇町へと走り去っていった。
志乃とイロハの二人は、うっすらと白みを帯びた空の下を歩いていた。ここがどこなのかはわからないが、葦鹿の里までそう遠くないことは確かだろう。
「……」
「……なぁ志乃」
「……なに?」
「……やっぱしなんでもね」
「そう」
特に話もせず、黙って歩く二人。志乃は何か話す気分では無いし、イロハもかける言葉が見つからない。佐夜香が本当に生きていたことを話してやろうかと思ったが、やめた。
と、ここでそんな雰囲気をぶち破る声。
「……のう、お前さん方。闇雲に歩かずどこかで休んで道を聞いたらどうだ? ワシなど昨日から一睡もしとらんで疲れたわい」
「寝たければ寝ていいわよ、着いたら起こすから」
「こんな揺れる中で寝られるか!」
『その猫の言う通りです』
声に驚き振り向くと、そこにはあさぎと一緒いた童女が立っていた。見れば旅姿で頭には大きな笠までかぶっている。
「あれ、ついて来ちまったんけ!?」
「あさぎに言われて来たの?」
すると半妖怪の童女「アザミ」は首を横に振り、志乃へ灰色の石を手渡した。
「これは『中和の破片』、黒い鏡から身を守るための石です。生きた人間なら鏡に飲まれることはありませんが、妖怪なら立ち待ち餌食となってしまいます」
「オ、オラはダイジけ!?」
「はい。私やイロハ様は大丈夫ですが、化け猫は駄目です」
「化け猫ではないトラだ! ふん! なんだそんなもんがっ!」
「トラ、貰っておきなさい」
アザミは二人に近づくと、間に入って並んで歩きだす。
「私があさぎ様に無理を頼んだのです、二人を葦鹿まで案内させて欲しいと。旅の途中で話したことは一切あさぎ様へ報告致しません」
志乃の気持ちを
「その言葉を信用できる理由が欲しいわね」
「理由、ですか……理由は……お二人と旅がしたかったから……」
「な、なんだそりゃ!」
恥ずかしいのか、深く笠をかぶり直すアザミ。
「わかったわ、一緒に行きましょう。イロハもいいわね?」
「え、あぁ。志乃がいいならオラもいいべ」
「……ありがとうございます」
そう言って、今度は二人に手を差し出す。
「な、何?」
「手、繋いで行きましょう。……駄目ですか?」
一旦驚くも二人は手を繋いでやった。大きな笠の下で表情はわからないが、かなり上機嫌のようで鼻歌まで歌い出す。そのうちイロハもまんざらではなくなってきた。
「こうして歩いてっと、オラたち姉妹みてえだ。仲良し三姉妹!」
「……仲良し……三姉妹……」
(姉妹……か)
遠く前方に見える山の峰から、三人へ光が差し込んでくる。
この時、志乃はこれから自分が何のために戦うのかがわからなくなっていた。
己の信じる戦う理由が見えない不確かなものに変わってしまったからである。
戦う理由、それは戦った後に初めて気が付くものなのかも知れないが……。
今の志乃にできるのは只、前を向いて歩み続けることだけだった。
星ノ巫女 予期せぬ
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