予期せぬ邂逅 其ノ三


 ケノ国の大藩主「戸田とだ忠真ただざね」は、本当に志乃を一目見る為だけに現れたのだ。童女に手を引かれ、皆が平伏している中を案内されつつ歩く。


 しかし辺りの様子を見て、途端に不機嫌となった。


(まるで儂が来るのが事前に知っていた様ではないか! カムイの奴め、あれ程文に儂の名を出してはならぬと釘を刺したのに!)


 事情が把握できず、カムイに苛立つ忠真。当人は「巫女に顔を見られており、同行できない」と言い出したので仕方なく屋敷の外で待機させている。連れている童女はあさぎの部下。その中でも一番の達者で、志乃と面識もあると言うが……。


 やがてこの屋敷の主とその女らしき者から挨拶があり、母屋へと案内された。

 普段は強面こわもてで通っているのが丸わかりのこの二人、それが自分にへこへことしているのだから、間違いなく身バレしているのは明らか。連れられて廊下を歩くも、益々ますます忠真は機嫌が悪くなっていく。


「ちゆ……志乃はこの奥に御座います」

「では私は外でお待ちしておりますので」

「ご苦労」


 忠真は童女と別れると母屋の一室へと案内され、そのふすまを開けた。


 中には畳に頭を付ける娘が一人。

 顔は見えないが、年は十四、五といったところか。


(誠にまだ幼い娘ではないか……。にわかには信じられぬ)


 気を紛らわせるために咳払いし、志乃の前に座る。きっとこの娘にも、自分の事を知られているのだろう。少し残念に思いながらも口を開いた。


おもてを上げなさい。そちが志乃か?」

「……」


スッ…



「ややっ!? なんとしたことだ!?」


 上げられた顔を見るなり仰天する!

 娘の顔には狐の面が付けられていたのだ!


「私に祖父など居りません。貴方は一体誰ですか? 存ぜぬ方には名乗ることも、顔を見せることもできません」


「祖父!? 一体何を申しておるのだ!?」


「妖のがする文にそう書いてありました。目的は一体何? 私に嘘は付けないわ」


 そう言い片膝をつく志乃、このままではまずい。


「待たれよ! ここに宛てた文はどこだ!? 誰ぞ持って参れ!!」


 廊下が慌しくなり、お千夏が文を持ってきた。


ガラッ


「はいこちらに! ってあんた! 何てことしてんだい!? 早くお取りよっ!」

「……?」


 志乃の顔を見るなりお千夏は真っ青になる。志乃は目の前の老人が何者か知らず、不思議そうにお千夏を見た。

 忠真は構わず文をひったくると読み始め、次第に顔が真っ赤になっていった。


「……こ、これは!? あやつめ何という事をっ!」

「ど、どうか平にご容赦、まだ至らぬ娘で御座います故……」

「そちらの事ではない! よいから下がれ!」


ピシャン!


 乱暴に襖を閉め、やれやれと忠真は溜息をついた。改め志乃に向き合って座ると、落ち着いて話し始める。


「……どうやら文を書いた者に手違いがあったようだ。儂の身の上が知らせると訪ね辛かろうと隠したのだが、まさか祖父などと……。後で儂がきつく叱っておくから、どうか許しておくれ」


 確かに文には忠真の名が書かれていなかった。志乃の祖父などと書いたのも、この屋敷の者たちと忠真が気兼ねなく会えるようにとの計らいだろう。カムイなりに気を使ったつもりかもしれないが、忠真に無礼があってはいけないと「六つ星の家紋」までつけたのはまずかった。


 腹立たしいやら、恥ずかしいやら。

 思わず手拭いを取り出し顔を拭う。


「今一度問います、貴方は一体どなたですか?」


 再び問うてくる娘、まさか聞いていないのか?

 先程嘘をついてもわかると言っていた、もう隠す必要もあるまい。


下野しもつけ烏頭目宮守うずめのみやのかみ、戸田忠真である。どうか顔を見せてはくれぬか?」


「!!!」


 今度は慌てて面を取ったかと思えば、再び額を畳みに付けてしまう。

 

「あぁ、それでは顔が見えぬ。面を上げよ」


 言われ、ゆっくりと顔を上げる志乃。


(……うむ)


 改めて見る娘の顔に、忠真は思わず真剣となる。白い肌に大きく切れた目、小さく結ばれた口は利発そうで気品すら感じる。結われておらずに肩で切られた黒い髪が、乙女本来の清楚せいそさを際立たせていた。


「八潮の里、星ノ宮の社で巫女をしておりました。志乃で…きゃっ!」


ドタッ


 名乗ろうとした志乃は、座りながら横へと倒れてしまった。


如何いかがした!?」

「……あ……足が……痺れました……」

「何? はっはっは! よい、足など崩せ。今日の儂は孫を訪ねて来た只の爺だ。何も気兼ねすることは無いぞ」


 この屋敷に来た忠真の顔に、ようやく笑みがこぼれるのであった。




 一方母屋の外では、童女がえんに腰掛け忠真が出てくるのを待っていた。付き人を只待たせるのも気が引け、見兼ねた女衆が茶菓子を出そうとするも、誰が持っていくかでめている。童女は何もせずに前を向き、微動だにしない。はっきり言って気味が悪いのだ。


 誰が話相手をしてやるのか、と言い合っている所へイロハが口を出した。


「オラに行かしてくろ」

「え? いいのかい?」


 おつねから盆を渡されたイロハは、意気揚々と童女へ近づいて行く。年はやや下に見えるがそう離れてはいまい。もしかすると話が弾むかもしれないと考えたのだ。


「食ってくろ」


 盆を隣に置き、自らも菓子を摘まみ口へと運ぶ。

 隣に座ったイロハに、童女はちらりと目をやった。


(な、おめぇ人間じゃなかんべ? オラもほだ、オラは…)


「存じています。志乃様のお友達の、水倉イロハ様ですね」

「な、なんで知ってんだ!?」


「あさぎ様から伺っておりましたので。普段私の仕えている方はあさぎ様です」


「あさぎの……」


 ここであさぎの名が出てくるとは。


「じゃ、じゃあさっきのじっちゃんは誰なんだ?」

「烏頭目宮の藩主、と聞いています。私にはどうでも良い事ですが」

「え、それって……人間の殿様でねぇか!? 」


 驚くイロハだが、その様子を見ていぶかし気にする童女。


「何故驚かれるのですか? イロハ様こそ水倉の長にして、姫君にあらせられるのでしょう? 私としましては貴女様の方が恐れ多く感じるのですが」


「我は那須狛狗にして水倉が長、イロハなるぞ! ……こんな感じけ?」


「…………」


 一瞬驚き、咳き込んで笑いを誤魔化そうとする童女。その姿にイロハは嬉しくなった。あさぎの部下だとは言ったがなんてことはない、自分と同じ娘ではないか。


…………



「ほっか、あさぎは半妖怪の子を……」

「はい。皆、素直にとてもよくしています」


 話が弾み、童女の顔から幾分か険しさが消えた。同じ妖怪の血を引く人の子同士、気が合ったのかもしれない。

 ふと、イロハは昼前志乃と話した事を思い出し、つい口に出した。


「なんで地擦り組は悪い事すんだべな。オラたちみてぇに暮らせばいいのに」


「私には彼らの気持ちが痛い程わかります」


「え?」


 驚いてイロハが童女に目をやると、先程の和らいだ顔は消えていた。


「誰からも忌み嫌われ、行き場を失った者の中には悪事を重ねなければ生きていけない者も大勢いるんです。私も一歩違えば彼らの仲間だったでしょう」


「そだごどね! どんなに苦しくったって殺しまですんのはおかしかんべ! そだごどしねくても生きてげっぺや!?」


 いきどおるイロハに対し、童女は黙って舌を出す。


「──っ!?」


 その舌には無数の細い歯が生え、おぞましうごめいていた。


「妖の血を引いていても、傍に愛してくれる人がいた貴女にはわからない」


「……」

「……」


 頭の中で声が響く。真っ向からそれを打ち消したかったが、イロハの口から言葉が出ることは無かった。

 自分の言っていることは正しかった筈だ。だがもう一度言えば、目の前の娘自体

を否定してしまうと考えてしまった。只々黙っているしかなかった……。


「御免なさい、少し意地悪してしまいました」

「……」

「お茶、美味しいですね」


 言われるままに口を付けた茶は苦かった。

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