予期せぬ邂逅 其ノ四


 忠真ただざねと志乃は互いに向き合い、話を始める。


「八潮に住む以前は何処に居ったのだ?」

「憶えておりません」


「術は誰から習った?」

「小幡神社で少し……後は我流です」


「武芸もできると聞いたが? 師は誰か?」

「二原からこられた先生から少々……後は自分で……」


(……ふむぅ)


 これでは只の一問一答である。


 そうではない、忠真はもっと腹を割った話がしたかった。何も気兼ねするなとは言ったが、互いのへだたりが否めない。

 志乃が遠慮しているせいもあるが、忠真自身も初めて会った娘に何を話してやれば心を開いて貰えるのかわからなかった。


(これはいかん……む、そうだ)


 何か思いつくと手を叩き、再びお千夏を呼ぶ。


すずりと筆を持って参れ、紙はいらぬ」


 そう言って懐から一枚の紙を取り出す。


(あれは術符?)


 取り出した紙が術符であることを見抜く志乃。見覚えのない符だ。

 お千夏が持ってきた筆で、忠真は符に文字をしたためた。


 そして符で鶴を折り始めたではないか。


「よく見ておるのだぞ」


 てのひらに乗せた折り鶴に息を吹きかける。


(あっ) 


 するとどうだ! 鶴は光り輝き、羽ばたき出したではないか!


(あぁ!)


 まるで生き物の様に、部屋の中を飛び回る鶴。それを驚き、見とれる志乃。


 だが本当に志乃が驚いたのは、一見術には何のゆかりも無いとばかり思っていた大名の忠真が、式神を操る術を知っていたことだった。

 身分の高い公家や大名は、普段は遊んで暮らしているだけだとばかり思っていた。それくらい関心が無く、自分には無関係な存在だと考えていたからだ。


 やがて鶴は羽ばたくのを止め、畳に舞い降りると元の折り鶴へと戻った。


「……久し振りだったがよく動いたものだ。今では宴の余興が関の山だな」


「陰陽術を御存じなのですか!? たしなまれる位では使えない筈なのに!」


「なに、昔取った何とやらだ。役職上陰陽師の知り合いもいくばかは居ったしな。それが幸か不幸か、こうして今は『ケノ国』の藩主を務めておるという訳だ。達者なお主たちから見れば、子供だましだと笑われてしまうだろう」


「いいえ、お見事な御手前で御座いました」


 目を輝かせ、ほのかに表情が柔らかくなる志乃。

 忠真は返って来た手応えに安堵あんどし、喜ぶのだった。


 それからは嘘の様に話が弾んだ。普段どのようなことをしているか、という砕けた他愛のない話。それでも志乃は忠真の話を真に受け止め、自らも語る。

 だが話しているうちに志乃の中で次第に大きくなる疑問。

 それが押さえきれなくなり、話の区切りで尋ねてみた。


「どうして私などをお訪ねになられたのですか? やはり私が九尾の狐と接触した事について直接お改めに?」


「いやいや。それついては身内から詳しく聞いておる、何も心配はいらぬ」

「身内、とは? 何故私がここに居ることをご存じだったのですか?」


「うむ、それは儂があさぎに頼んだのだ。『黒い鏡』とやらを封じる者と直に話がしたい、とな」


「今……誰と……?」

「あさぎだ。お主の事をよく知っておると申しておったぞ」

「…………」


 ここであさぎの名が。


 一体あさぎはどういうつもりだ? 忠真と見知っていただけでなく、ケノ国の藩主と自分とを引き合わせるなど、一体自分に何をさせるつもりなのだ? 黒い鏡を割るという約束をふいにさせない為、釘を刺すつもりで 態々わざわざ忠真を寄越したのか?


「……恐れながら、あのあさぎという者は信用が置けぬやからです」

「ん?」


「決して耳を傾けてはなりません、あれは妖のたぐいです! 何があったかは存じませんが、忠真様は騙されておいでなのです!」


「わかっておる、儂も腹からあさぎを信用しておるわけでは無い。言うなれば互いに利害が一致し、利用し合っているに過ぎぬ」

「ですが……」

「まぁ聞きなさい」


 言われて前を見ると、そこには先程の和らいだ老人の表情は無く、老将があごを撫でながら見据みすえていたのだ。


「お主の言いたいこともわかる。しかし国を動かすという事は綺麗事だけでは決して成すことが出来ぬ物なのだ。ましてやこの乱れた国を鎮めるといった大仕事、人の力だけでは不可能。儂はそれを代々の藩主から学び、自らも経験してきた」


「……」

 

 忠真は、江戸であった出来事を語り始めた。


…………



 ──昨年の江戸城での事。


 書類の整理がひと段落着いた頃、老中である忠真は将軍吉宗公に呼ばれた。


 一体何事だろうかと行ってみると、そこには一人弓を引き、俵を射る吉宗の姿があった。本来ならば鷹狩りに出掛ける時間であったが、吉宗の身を案じる老中たちに外出をひかえる様言われており、仕方なくこうしていたのだ。

 

「上様、お呼びで御座いますか?」


ズダンッ!


 俵に矢が刺さり、大きな音を立てると吉宗は弓を降ろした。


「忠真、お主は何時になったら余を二原へ連れて行くのか?」


「はっ! それに関しましては何卒なにとぞ、今暫くのお時間を……」


「今暫く、今暫くか。余が何故紀州きしゅう紀伊きいノ国 現在の和歌山県と三重県の一部)を離れ江戸に来たのか、知らぬ訳ではあるまい?」


 城内の一部から、吉宗は余り将軍になることに気が進まなかったと噂されていた。江戸に居るのは心酔している徳川家康の墓所『二原東照宮とうしょうぐう』が近いからだ、などとささやかれていた程だ。

 根も葉もない噂だが、吉宗本人の耳にも届いていたのだろう。表に出られない当てつけのつもりで自分に言ったのだ。この時忠真はそう考えた。


 再び矢をつがえ、俵を射る吉宗。


「来年の夏までに何とか致せ、それよりは余も待てぬ」

「来年の夏、ですと!?」

「それが忠之ただゆき(老中、水野忠之 吉宗の進めた享保きょうほ改革かいかくに大きく貢献した )と決めた、余の待てる『暫く』である」

「……」


 幕府の財政を任されている水野の名が出て、ようやく忠真は飲み込めた。


 吉宗は来年の夏、ケノ国への妖怪討伐援助を打ち切ると言っているのだ!


 徳川綱吉時代から行われてきたケノ国への援助。全国的な天災や飢饉ききんにより、財政が悪化する度に凍結と再会を繰り返されて来た。吉宗はこれを自分の代で終わらせ、少しでも財政への負担を減らす目論見もくろみなのだろう。


 援助の打ち切り、これすなわちケノ国を見捨てることに他ならない。

 そうなる前に、忠真にケノ国を何とかしろと言っているのだ。


「できぬとは言わせぬぞ。他に誰もおらぬ、お主にしかできぬことだ」

「……心得ておりまする」

「余が二原へ行けるその日を、心待ちにしておるぞ、忠真」

「……はっ!」


…………


 庶民には決して耳にできない、雲の上の話。それを志乃は黙って聞いていた。

 話し終えた忠真は、志乃にがれた茶を飲む。


「……上様は恐ろしいお方だ。この老骨に隠居はおろか死ぬことすら許さぬ構えよ。 だが、同時にケノ国を案じておられた。長きに渡って妖に怯やかされ、民の心はすさんでしまっていることだろう、とな」


「そこであさぎ、ですか」


「あの者がいなければ、儂はこうしていることすら適わなかった。かつてケノ国にいた藩主同様、陰謀により移封か暗殺されていただろう。今まで機会を伺いつつ話を持ち掛けてきたことはわかっていた。だがそれを拒む理由も力も、この儂には……ケノ国には無かったのだ。情けない話よ」


 話を聞きながらあさぎという存在を憎みつつも、その力を改めて知らされる志乃。

 

 だが同時に志乃は、あさぎがわからなくなっていた。

 あさぎは妖を束ねる存在であり、ケノ国で妖怪が暴れるのを好ましく考えているとばかり思っていた。しかし忠真の話によれば、あさぎはケノ国から妖怪を消し去ろうとしているらしい。


 忠真があさぎに騙されているのか、それともあさぎの目的はもっと別の部分にあるのか、謎が謎を呼ぶのであった。

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