八溝、動乱 其ノ六

──ケノ国南部「古峰ふるみね町」、時は昨日までさかのぼる。


 志乃が二原藩にはらはん南部「古峯町」に移り住んで四日が過ぎた。依然としてあさぎからは何も音沙汰も無い。忙しい朝は屋敷の家事を手伝い、夜は見回り、その合間に神社で奉仕という日々である。葦鹿あしかの里へ今すぐにでも向かいたかったが、あさぎから釘を刺されており焦る気持ちを抑えての生活である。


 次第に周りと打ち解け始めていく志乃。しかし、一方のトラは里の猫たちとうまくいかず、周辺の集落へと足を運ぶ日々が続いていた。


(渡る世間に鬼無しと言うが、今のワシは誰にとっても疫病神のようだ)


 他の猫と出くわさっても誰もが妙に余所余所しい。ある日一匹の猫から、柿右衛門とのことがありトラと表向きは仲良くできない、と打ち明けられた。


 一匹、屋敷の塀にそって星宮神社へと歩く。志乃のおかげなのか屋敷の外で人間に追いかけ回されることは無くなった。だが屋敷に入れば容赦されないだろう、何より志乃に迷惑がかかる。


 猫にも人間にも厄介に思われている不甲斐無さ、隠居とは何と心寂しい事か。

 気が付けば道の脇から人間の行きかう様を見上げていた。


『旦那、邪々虎の旦那じゃござせんか?』


(む! 何奴!?)


 気が付けば人間の女が一人、道からトラに向かって話し掛けている。驚き見ていると、女はこちらへ近づいてきた。


「やっぱり旦那だ。ここで何してるんですかにゃ?」

「そ、その声っ! まさか!?」


 目の前に来ると女はかがみ、顔を一撫で。

 瞬く間に化け猫の顔へと豹変ひょうへんした!


句瑠璃くるりでやんす、憶えてくださいにゃ。ここじゃ何ですから向こうで話やしょ」


 人避け林の中に入り、句瑠璃は手拭いを取って宙返りすると黒猫の姿となる。


「こんな朝から変化の術が使えるのか!? 長年生きてきたがここまで見事に化ける猫は初めて見たわ!」

「にへへへぇ! あたしも伊達に長生きはしてませんや! それよりですねぇ、トラの旦那」


 急に神妙な顔つきになると、声を低くし話し始めた。


八溝岳やみぞだけにとんでもない化け物が現れたそうなんですよ!」


 八溝岳はトラが住んでいた那珂の里の隣里にある。何かと曰く付きの場所で、度々妖怪が出ては人里をおびやかしていた。昔、那珂の里に現れたダイタラボッチも八溝岳から来たと言われている。

 句瑠璃の話では、その八溝岳に封印されていた妖怪が再びよみがえり、他の妖怪と共に付近の里へ移動しようとしているらしい。


「とにかくでかい奴で、大勢の手下がいるとか……このままだと那珂なかも危ないんじゃないですかにゃ?」


「うむ……しかしそんなこと一体どこで?」


「え、えと、あたしは各地を旅してましたから色々仲間がいて他所の話をよく耳にするんで……それより旦那! 急いで那珂に向かいましょう!」


 だがトラは考えてしまった。自分は隠居で里を飛び出した身、帰らなくても里には長となった烈風やジジたちがいる。きっとうまくやっているだろうし、中途半端に帰って皆の和を乱したくない。何より那珂の里はここからかなり遠いだろう。


「あたしにまかして下さいにゃ! 急げば二日かかりませんにゃ。旦那は八潮の巫女を連れて来てくださいにゃ!」


「八潮の巫女、だと?」


「やだなぁ旦那、隠さないでくださいよ。八潮で一緒に住んでた強い人間の巫女! 一緒にこの町へ来ているんでやんしょ?」


「うむう……しかし」

「里の仲間もきっと旦那が来ると心待ちにしてる筈でやんすよ!」

「……うむぅ、一度帰るのも悪くないか。わかった、暫し待っておれ」


 トラはお千夏屋敷の小口の前でにゃあと鳴く。暫くすると中から若い娘が出てきたではないか。句瑠璃は茂みからこの様子をじっと見ていた。


「どうしたの? …うん、そう。……わかったわ、行ってらっしゃい」


 娘が戸を閉めると、トラは満足気に戻って来た。


「よし、では行こう」


 句瑠璃は盛大にずっこけた。


「にゃぁ!! 旦那っ! 肝心の巫女を連れて来ないと駄目じゃにゃいですか! 相手は大勢いて恐ろしく強いんですよ!?」


「お前が言っているのは星ノ宮の巫女のことだろう? あの娘なら可哀想に八潮で殺されてしまったのだ。もうどこにもおらん」


「え? いやだって…さっきの娘は……」


「さっきの娘は別の巫女、妖怪退治どころか飯炊きで精一杯だ。妖怪なんぞ、ワシ一匹で十分、ほれ行くぞ!」


「そ、そんにゃあ!?」


 何やら当てが外れた句瑠璃だったが、今更止めることもできずにトラを連れて町の外へと向かうのだった。


 

 半刻後、二匹は体よく荷車の後ろへ乗り、烏頭目宮へ向かってた。成程、これなら見つからない限り、疲れを知らずに街道を行ける。


「……しかし句瑠璃よ、柿右衛門殿に黙って出てきてしまってよかったのか?」


 この前の宴会の時、句瑠璃は柿右衛門に随分と世話になっている様子だった。挨拶もせずに町を離れてしまっては、後から良く思われないだろうとトラは思ったのだ。


「……へっ、いいんですよ。大体あいつはでかい口だけで何もしないから煙たがれてるんですわ」

「おいおい、それは無いだろう!」


 何もすることの無い荷車の上、面倒臭くなっていた句瑠璃はつい本音が出ていた。この恩知らずな言葉にトラは声を荒上げるも、句瑠璃は動じない。


「旦那だってあんな態度をとられて悔しいでやんしょ? あれじゃそのうち誰もついて行かなくなるのが目に見えるようですにゃ」


 先程から柿右衛門をこき下ろすかの様な句瑠璃、一体何を考えているのだろうか。呆気に取られていたトラだが、やがて自分を励ます為にこんなことを言っているのだ、と勝手に解釈し始める。


「…いや、やはり柿右衛門殿は立派な猫のかしらのようだ」

「にゃあ!? 急にどうしたんですかにゃ!?」


「皆まで言わずともわかる、やはりワシは思い上がっていた…。一歩間違えば、おのれも人を喰らう化け猫に成り下がっていたというのに……。改心して新たな道を行こうとするお前や他の猫たちの方がずっと立派だ」


「そ、そうですかにゃ?」


「うむ、そしてそれを束ねる柿右衛門殿は大物に違いない。黙って町を出て来たのも柿右衛門殿を信頼しておるからだろう?」

 

 これを聞いて、今度は句瑠璃の方が呆気にとられてしまう。


 実はこの句瑠璃、那珂へ行くのが嫌でここでトラと喧嘩別れしてしまおうと考えていたのである。それが一体これはどうしたことだろう?


(……こいつ只のデクの坊だにゃ)

 

 トラを相手にするのに疲れ、句瑠璃はそれっきり黙ってしまった。



 それから半刻後、烏頭目宮に入ったところで人だかりが出来ており、荷車はそこで止まってしまった。


 どうやら昨日の夜からこの場に死体があり、引き取り手を探しているらしい。


「見て来たんですが旨そ……血を抜かれた人間の女でやんした」

「しかし参ったな。うまく他の荷車へ乗り継げればよいのだが……」


 すると句瑠璃は何を思ったか家屋の陰へと入っていく。

 そして人間の女に化けて戻って来た。


「ちょっと高く付きますけど、こうなったら駕篭かごでも捕まえて行きやしょう。旦那はあたしが抱いて行きやすんで」


 そう言ってトラをひょいと抱き上げた。


「……ぐむむ」

「どうしたんですかにゃ?」


 何故こうも自分は女に抱かれたり負ぶられたりすることが多いのだろう。

 不本意だが仕方なく従うのだった。

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