八溝、動乱 其ノ五


 一軒家に一人残されたイロハ。することが無く、中を見回し掛けられていた着物や珍しい置物ばかりが目に付く。何故こんなにも珍しい品々を所持しているにもかかわらず、粗末な一軒家に一人で住んでいるのだろう。その気になれば御大尽おだいじん屋敷を建て、優雅な暮らしの一つもできそうなくらいだが。


 やがてイロハの興味は一角にある布の向こうへ移っていた。


 放っておけと言われると余計に気になってしまう。傍には香が焚かれており、家の中の匂いはこれが原因だったようだ。そっと近づくと僅かに布が独りでに動く。

 きっと中に何かいるのだ、一体何だ? 山姥の飼っている熊か猪か? まさか妖怪?

固唾かたずを飲むとイロハは布を静かに開け、中を覗き見た……。


「…っ!! ………!!!」


 中を確認した途端にイロハは、鼻と口を押さえすぐさまその場を離れてうずくった! 中には全身包帯をされた者が横たわっていたのである。鼻の曲がりそうな酷い匂いにむせて咳き込み、思わず吐き気を催した。


『……ぅ。………うぅ……』


 うめきき声にドキリとするイロハ、きっと布の中から呼んでいるのだ。

 あぁなんということか、こんなことなら覗かねば良かった……。


 だが苦しくも悲し気な声はイロハの罪悪感をよりえぐる。このまま放っておくことが出来ず、なるべく鼻から息をしない様にして近づくと布を開けた。

 そこにはやはり包帯に身を包んだ人間が寝ていたのだった。見れば所々血がにじんでいる、余程の大怪我か大火傷やけどなのだろう。生きているのが不思議なくらいだった。


「う……ぁ……」

「なんかして欲しいんけ?」


 怪我人の左手が僅かに動いた、見ると指で手元をなぞっているようだ。始めは何をしているのかわからなかったが、それが自分も読める文字であることに気づく。


「……み……ず…、水だな!? 待っててくろ!」


 水ぐらいならお安い御用だ。土間へ駆けだしたイロハは瓶を覗いた。中には水が入っていたが、覗き込むと魚が上がって来て水面の灰汁あくを食べ出す。試しに水を舐めたが塩辛かった。違う、これじゃない。

 すぐ横にやはり水瓶が置いてあり、ふたを開けると水が入っていた。真水、これだ。何か入れる物はときょろきょろ探すも手ごろなものが見当たらず、飾ってあった口の長い金の置物が目に入る。これでいいやとばかりに置物を掴んで水を入れ、怪我人のところへ持っていった。


 ゆっくりと水を怪我人に飲ませてやるイロハ。


「もうちっと飲むげ?」


 怪我人は半分ほど水を飲んだところで口を閉じ、目をつぶった。顔は見えないが落ち着いたようだ。


「済まねぇきとオラこんくらいしかできねぇ。後はばっちゃさ来たら頼んでくろな」

「う……うぅ……」


 怪我人は目から涙をこぼしていた。改めて見てみれば怪我人の体は細く、胸が盛り上がっている。もしかすると年もそう自分と離れていないのではないだろうか。

 イロハは自分の着ている浴衣を見て思った。今こうして着飾っているが、怪我人が女なら同じように綺麗な着物を着たい筈。ましてやこんな情けない姿を誰にも見られたくはない筈だ。


 イロハは黙って立ち上がると布を閉じ、気を静める為に家の外へと出た。



 外は風が強くなっており、辺りの木が大きくしなっていた。木の隙間から白い人影が見える。山姥だ、何をしているのだろう。

 近づくと山姥は崖の上に立ち、黙って空を見上げていた。


「中さ居ろっちったべ」

「婆っちゃこそ、ここで何してるだ?」


「見てみい」


 持っていた太刀で北の空を指す。空には暗雲が立ち込め、八溝やみぞの山を中心に渦巻いていた。


「時期に嵐が来る、不吉の兆候ちょうこうだ。八溝で何かあったに違いない」


ピィ────………


 やがて南東から鳴き声が聞こえ、見上げる程の大鷲おおわしが飛んできた。バサリバサリと羽音を立て、こちらに向かい舞い降りてくる。


「やっと来おったか! おめぇここで留守居してろ。もし地響きさ聞こえたら、急いで山を降りろ!」


「オラも行く! オラだって戦える!」


 そう言い急いで刀を取りに戻る。服も乾いていたが、着替えている時間が惜しい。脇差を掴むとさっきの崖目指し、一目散に駆け出した。


 しかし大鷲は飛び立った後で、崖から北の空を飛ぶ姿が見えた。


 イロハは助走を思い切りつけ、渾身の力で崖から飛び上がった!


(うぉぉー! 届けぇぇぇー!!)


 しかしもう一息高さが足らず、イロハの体は木の密集する山林へと落ちていく。

 落ちていく途中、イロハの体に衝撃が走った。


「うおっ!?」


 見ると大鷲が引き返し、自分の体を掴んでいたのだ!


「とんでも無ぇ邪々じゃじゃだっ!! しっかり掴めでろ!!」


 大鷲の背中で怒鳴る山姥。だがその口元は緩み、長い牙を覗かせるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る