招かざる客人 其ノ五


  人っ子一人通らぬ寂しい夜道を、トラは一匹歩いていた。


(……ワシは井の中の蛙だったのか? ……ええい何を弱気な!それでもワシは那珂の邪々虎か!)


 己に喝を入れようと奮い立たすも、先程の柿右衛門の言葉と猫たちの顔がぐるぐる頭を巡る。すぐに耳と尻尾が垂れ下がり、口から溜め息が漏れた。

 気が付くとお千夏屋敷の塀まで来ていた。ひょいと飛び乗り下を見ると、見張りらしき男が寄り掛かって寝ている。


(ふん、只飯食らいが。……む? あれは何だ?)


 塀の上から屋敷を見渡すと、敷地の外である裏山に小さな灯りが見える。もしやと思い塀を降りて駆け出し、灯りが見えた辺りまで着くと、そこには社があり声が聞こえた。


 よく聞くと神仏へ捧げる祈祷の声だ!


(間違いない! 志乃!)


 扉へ駆け寄り爪でガリガリとやる。中から聞こえていた声はぴたりと止み、漏れていた光が眩く広がった。


「よくここがわかったのね」

「志乃! お主ここで何しとるんじゃ?」

「しー! 早く中に入って、寒かったでしょ」


 志乃は素早くトラを中に入れ、辺りに誰も居ないのを確認すると扉を閉めた。


「……そうか、この屋敷で奉公することになったか…」

「うん、少し様子を見たいから。元気ないみたいだけど、もしかしてここいらの猫にいじめられちゃった?」

「……志乃、ワシは…ここでやってはいけぬやも知れぬ…」


 何時に無く弱気なトラの背中を、志乃は撫でてやった。


「ごめんねトラ、私が何とかするからそれまでいい子にしててね。この里が駄目なら隣里に行っててもいいわ。大丈夫、ここを離れる時はあさぎの尻を蹴っ飛ばしてでも迎えに来させるから」


 蝋燭ろうそくの明かりを消すと本殿の内扉を閉める。


「そろそろ仕事に行くね。早く行ってやる気あるとこ見せないと」

「まだ夜明け前だぞ?」

「トラはゆっくりここで休んでいて。お昼に一旦戻ってくるから」


 外から施錠され、志乃の立ち去る足音が遠のくと、残されたトラは火鉢の隣で丸くなる。…なんと気丈な娘か、先程までの憂鬱な気持ちが薄らいでいくようだ。志乃の気配りに心満たされたトラは、目を閉じ寝息を立てるのだった。


 ……どれくらい寝ただろう。気付けば暗い社の中が、うっすら白みを帯びている。


(…む……よく寝たものだ、もう昼か…?)


 起き上がり背伸びをすると足音が近づいてくる、きっと志乃だろう。食い物でも持ってきてくれたのだろう、などと期待していると開錠される音とともにゆっくりと観音扉が開かれた。


 そこに現れたのは見知らぬ女の首!


(志乃じゃないぞ!? 誰だこの女!?)


 女はゆっくりと中を見渡し、辺りを調べ始めた。


(この屋敷の女か? 一体何をしとるんじゃ?)


 丹念に本堂の中や、志乃の着替えが入っている駕篭まで物色すると、ついにトラの存在に気づく!


(このっ! カー! シッシッシッ!!)


 見つかりてっきり大声を出されるかと思っていたが、女はしかめっ面をしながら追い払おうとするだけだ。一向に動こうとしないトラに痺れを切らし、首根っこを持ち上げにかかる。

 トラはこれを素早くかわすと扉から出て草むらに身を潜めた。程無くして出てきた女は扉を施錠すると、何を思ったか床下を調べ始める。頭から突っ込んで何かを探しているようだったが、遂に女はそれを手にして出て来た。


(あれは志乃の財布ではないか! あの女、物盗りだったのか!)


 女は小判を一枚だけ取り出すと、元へと戻して走って行ってしまう。ようやく事の重大さに気が付いたトラは、逃すかとばかりに駆け出した。


 勢いよく飛び上がると女の頭目掛けて飛びつく!


ギニャァァァ! アァ─ッ!


「きゃっ!?」


 急に首筋に圧し掛かられ、倒れて転げまわる女。

 トラは一旦女から離れるも、全身の毛を逆立たせ威嚇した!


(返せ!! それは志乃の物だ!!)


「ひっ…!」


 化け物の様にでかく、牙を剥き出し、己に飛び掛らんばかりの猫はさぞかし恐ろしなものに見えたに違いない。だが女は震える手で土を掴むとトラへ投げつける。


ギャッ!


 目潰しを受けたトラは、背中に重い痛みを覚える。

 石をぶつけられたのだ。


 ようやく視界が晴れると、女は裏小口から屋敷へと入るところだった。


(おのれ逃すかっ!!)


 痛みを堪え、塀に飛び乗り下に降りた先は…。


「こんのデカ畜生! また来やがったか!!」


 昨日の男が再び角材片手に追って来たのだ。騒ぎを聞きつけて他の男たちも集まってくる。


(……無念! ここまでか!)


 流石のトラも敵わず、大人しく退散するしかなかった…。



「トラお待たせ。お腹空いたでしょ?」


 昼餉ひるげが終わり休息時になったのだろう。志乃が社へ戻り扉を開けようとすると、床下から申し訳なさそうにトラが出てくる。


「え!? ど、どうやって外に出たの!?」


 頭から土をかぶり、うな垂れているトラに駆け寄った。


「志乃…済まぬ…、盗人に金を奪われてしまった…」

「え?」


 床下の財布を調べると、小判が一枚足りないことがわかる。


「黄色い着物の屋敷の女だった…。夢中で首筋に飛び掛ったが、不覚にも逃げられてしまった……ワシは何も役に立てなかった……」


「……」


「ワシは……この里でのワシは、只の大食らいの田舎者だ。図体ばかしでかいだけの役立たずだ……」


 ふと何かに気が付いた志乃。

 トラにかかっていた土を払ってやると、高く抱き上げた。


「そんなことない。お手柄よ、よくやったわ」

「慰めなどいらぬ!! ワシは…!」

「お手柄だって言ってるじゃない。ありがとうトラ、貴方は本当に立派よ!」


 慰めなどではなく、本気で喜ぶかのように志乃は笑って見せた。



 屋敷に戻った志乃は炊事場へと向かった。奉公の女たちが昼餉を取りながら世間話に興じている。


(……違う。……この人じゃない。……この人でも無い)


 黄色い着物の女は何人もいる。この広い屋敷で特定の誰かを見つけるだけでも一苦労だ。他の場所を探そうと外に出ると、洗い物をしている女に目がいく。


(あの人…!)

「どしたおちゆ? さっきから探し物?」


 振り返るとそこにおつねが居た。飯も食べずにうろうろする志乃が気になって来たのだろう。


「おつねさん! ……お千夏さんは今どちらに?」

「姉御なら部屋だけど? 何かあったの?」

「いえちょっと、ありがとうございます」


 おつねはお千夏の部屋へと向かう志乃を、不思議そうに見送るのだった。

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