白夜蝶夢の章 其ノ十「桜花」


 二人は何処へ行こうかと色々話していたが、人間が少ない場所がいいとのことで、しもがらの崖の上にある『しもがら城跡』を散策することにした。城跡とはいっても崖の上に森があるだけで、城の面影は無い。かろうじて残っている石が堀であったことを物語っていた。


「昔、山向こうの城主様が城を取られてしまってね。奪還の拠点として急ごしらえで造ったお城だそうよ。取り返すのに百日かかったらしいわ」

「ふぅん」


  落ち葉舞い 夢に埋もれて しもがはら 兵の声 今は聞こえじ


 ここで志乃が唄を詠んだ。


「んー、いまいちね。固過ぎかしら」


 すると今度はさくらが


 石垣や お役目果たし とこにつき 枯葉布団にいわごけ枕      

「なんてどうかしら?」

「ふふ、何それ!」


 互いに妙な唄を作り笑い合った。同じ趣を持つ者同士というのは、何と楽しいことだろうか。


「ここで眠るのにはちょっと不便かもね。とても騒がしいもの」

「そう?」


 志乃が耳を澄ましても風の音すら聞こえない。


「不思議な場所ね。戦場跡というのは人を拒むものなのに、ここはむしろ他者を引き込んでいる」

「他者って妖怪のこと?」

「ええ。でもそれだけでは無さそうよ」


 この森の下は洞窟になっており、ミチや姑獲鳥たちが住んでいる。夜になると蝙蝠が飛び交い牛蛙が鳴く不気味な場所、人間は殆ど寄りつかない筈だが。

 するとさくらは急に立ち止まり、ある一点を見つめていた。不思議に思った志乃が視線を移すと、枯れて横倒しとなった木の上に鎌を持った小さなふくろうの妖怪がこちらを見ていた。


「地霊?」

「森の見張り役、かしらね」


 程無くして妖怪は、ふっと突然姿を消した。


「私たちに警戒してる? 今までこんなことは無かったわ」

「残念だけど帰りましょうか。志乃ちゃん先に帰ってて貰ってもいい? 」

「どうしたの?」

「上手く言えないけど……すぐ戻るからお茶でも用意してて頂戴な」


 他の誰かが聞いたら「下手な誤魔化し」だと感付いたことだろう。

 どう見てもさくらは落ち着かない様子だ。


 だが、それ以上に志乃の方が不自然であった。


「……ええ、いいわ……すぐ来てね」


 さくらのことである、心配は無用と思ったのか。志乃は言われるままに元来た道を歩いて行った。

 さくらもこれには奇妙に思った。何故一緒に居てはいけないのか、等と聞き返されると思ったのだが。しかし今の自分にとってそれどころでは無いとばかりに、志乃の姿が見えなくなるとすぐ森の奥へと小走りに走り去ったのだ。


 森の中を脇目も振らずに走るさくら。

 間違いなく何者か「居る」 

 それも大勢……。


 もうここいらでいいだろう、流石に志乃も見えなくなった。そう考えたさくらは足を止め、自分をここまで追ってきた者たちへ呼びかけた。


「志乃ちゃんは帰ったわ! 私に用があるのでしょう!?」


ガサガサッ! 


ガサッ!! ガサガサガサッ!!


 複数の槍を持った男たちが飛び出し、さくらを取り囲んでしまった。これにさくらは何も応じず、ただ事の成り行きを見守っている。


(お坊さん!?)


 さくらを取り囲んだのは六人の僧侶であった。槍の先をさくらの頭上で合わせ、たちまちのうちに結界を張る。


ガサッ!


 六人に遅れて一人、背の低い僧侶が姿を現す。


「貴方は……!」

『よし、捕えたな! さあて……』



 典甚てんじんだった!


(まさかさっき志乃ちゃんの様子がおかしかったのは……ううん、違う! きっとこの人の独断ね)


 結界に閉じ込められながらも、さくらは典甚をぐっと睨んだ。数珠を握りしめ、髑髏の付いた杖を突きつける典甚!


「おめぇはどこの間者だ? 答えろ! 陰陽師の式にしちゃあ随分手が込んでやがる。主は妖怪だな!?」

「妖怪の間者? 私が? 例えそうだとしても答える道理はないし、答えてどうなるものでもないでしょう」

「地擦り組か! それともどっかの山の主か!」


 さくらは答えない。黙って自分を取り囲んでいる僧侶を見渡した。


(……)


 さくらは結界の弱い部分を見つける術を知っていた。すぐに一番未熟な僧侶を見つけ出す。ここを叩けば……。


「変な気起こすんじゃねぇぞ! この結界を破ろうとすればお前も只じゃ済まねぇ!」


 呼応するかのように結界を張っていた僧侶たちの念が強まる。さくらに押しつぶされるような重圧がかかった。


「……悲しい人、貴方は私と同じね。あてもないのにこの世を彷徨っているだけ。だからこそ私には何の効力も無い」

「……だ、黙れっ!」


 見透かしたように、典甚に話しかける。


「否定しても私にはわかるわ。過去に辛い罪を着せられたのね」

「てめぇら化け物と一緒にすんじゃねぇ!!」


 典甚はさくらの言葉に耳を貸すまいと教を唱え始めた。妖に対する有効手段、相手の言葉に乗らないこと……! 典甚はさくらの言葉を聞く耳を捨てた!


 典甚の心を乱そうとしたさくらだったが、こうなっては仕方がない。結界を無理に解こうとすれば、恐らくここにいる僧侶の何人かは串刺しとなるだろう。だがやむを得ない、こんなところで消えるのは納得できない。


 そう思い、振り返った視線の先、思いもよらぬ光景があった!


「………志乃ちゃん?」

「さくら………」


 何故だ、志乃は神社へ戻った筈だったのでは!?


「どうして……? さくらがなんで……典爺!!」

「志乃っ!! よく見やがれっ!!」


 さくらを離せと言わせる前に、典甚は叫び、前に出た。


「こいつは間者だ! おめぇに近づいて監視していやがったんだ! いいかっ! 言葉巧みに近づいて人間を騙すのがこいつらだ! 化けの皮剥がれて消えていく様を、そこでよく見とげっっ!!」

「嘘よっ! さくらはそんな奴なんかじゃないっ! そうでしょさくら! ねぇ!」


 訴えかけるように叫ぶ言葉がさくらに響く。


 外から、内から、重くのしかかる重圧。

 遂に堪え切れなくなり、さくらはその場にしゃがみ込んだ。


「……私は逃げません! 結界を解いて! 消されるなら志乃ちゃんに……!」

「!!」

「てめぇこの期に及んで何を言いやがる!」

「聞いて貰えないのなら結界を破り、この場にいる全員殺します!!」

「かっ! やってみやがれ!」

「待って! さくらは本気よ!」


 さくらの妖術だろうか? 見えない力が結界を張っていた僧侶らに伝わっていく。

「全員殺す」その言葉に少なからず動揺した僧侶たちは、徐々に結界を弱めていく。そして気が付けば皆、さくらに道を開けていた。


「お、おめぇら何を!」

「下がってて……私が……する……から……」


 そう言って前に出る志乃。震える手を懐に入れ、胸に手を当てた。


(……志乃ちゃん)


 互いに真っ直ぐ見合う二人。仲良く並んで歩いていた面影は全くない。


「さくら……間者だなんて嘘でしょ? ……私をどうかするつもりならいつでもできたし、私を狙う理由なんかないじゃない。貴女からは悪意が感じられないもの」

「志乃ちゃん……」

「典爺もいい迷惑だわ。さくらは自分のことで大変だって言うのに。そうでしょ?」

「………」

「ねぇ、どうしたの? さくら?」


 問いに答えず、さくらは黙って志乃を見る。


「ねぇ、何か言ってよ……私の敵じゃないって言ってよ!」


 答えの代わりに懐から何か取り出し、志乃へ投げた。


「…………」

「これでもそう思える?」


 神社にあった筈の『ケノ國放浪記』だった。


「このお坊さんの言う通りよ。志乃ちゃん、貴女は優しすぎるわ」

「さ…く…ら……?」

「志乃ちゃんは沢山の妖怪と戦ってきたと思う。情けをかけたことが一度でもあったかしら? ないでしょう? それは相手が見ず知らずの妖怪だったから……」

「……」


 さくらは更に一歩前に歩み出る。


「もう私は正体がばれてしまった、この国に私の居場所は無くなってしまった……。こうなったらせめて志乃ちゃんの手にかかって消えたい。そして志乃ちゃんにもっと強くなって、生き延びて貰いたいの」


「ぐぉっ!!!」


 突然、さくらの後ろにいた典甚がうずくまる!

 そして同じように他の僧侶もその場に倒れ、苦しみだした!


「………お願い。短い間だったけど、私をお友達だと思っていてくれたなら……勝手なお願いだけれど……お願い……」


 志乃は目を瞑ると、溜めていた涙が一筋零れた。短刀を握った手に術符を張ると、ゆっくりと振り上げる。


「さようなら………これでよかったのよ……」


ヒュンッ!


 空を切り裂いた刃の跡が、さくらに一本の線をつける。透き通ったさくらの身体が炎に包まれていく……。


「さくらぁ───……っ」


「ありがとう……。ごめんなさい……」


 志乃は炎の中へ入ろうと駆け寄る。すぐに炎は消え、焼け跡から小さな灰色の石だけが残っていた。志乃は地に伏し、焼け跡にあった土を握りしめ、かすれた声で泣いた。


 暫くさくらの焼け跡から動こうとしない。

 ずっと、ずっと泣いていた。

 厳しい顔でそれを見ていた典甚も、やがて僧侶を連れて引き上げていった。


 そして、森は静けさを取り戻した。

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