白昼蝶夢の章 其ノ士「桜花」


 あれから一日経っても星ノ宮神社は通夜の様な静けさを保っていた。巫女は離れから出てこないし訪れる者もいない。小さな妖怪はおろか地霊すら寄り付かないでいた。


 離れで一人、少女はただ座っていた。何も食べず、眠らず、昨日からずっと……。元々白い肌も蒼白となり、髪も酷い有様だった。やるべきことはある筈だったが何もする気が起きない、考えられない。涙すら枯れ果てた目で、ただ一点をぼうっと見ているだけだった……。


──志乃 終わった 本殿来て


 頭の中で声が聞こえる。だが今の志乃には聞こえる声全て、どうでもいいように感じたのだ。


──立って志乃 さくら 話したいって


………さくら。


 その名に、少し志乃が反応する。だが無意味だ。さくらはもういない。


 この手で消してしまった。


──志乃 さくらに会って 最後のお別れ


 例え会っても………。


──おともだち 最後の機会 さあ!


 志乃はゆっくり立ち上った。よろけて倒れそうになりながらも、本殿の前に着く。恐る恐る扉に手を掛けると、昨日と同じように鍵は開いていた。

 中も昨日と同じまま。誰もおらず、床に叩きつけた合わせ貝が無残に散らばっているだけ。だが神棚の下、そこにさくらの残した石と、志乃のかんざしが置いてあった。

 昨日、「声」がそうしろ、と言うからそうしたのだった。


 正確にはこの『簪』が、だ。今までの「声」は、この簪からのものだった。


 もっと早く気付けてもおかしくは無かった。今までそれが出来なかったのも、この簪の能力ちからによるものなのだろう。どれ程までに強力な九十九神つくもがみなのだろうか、志乃の身体を乗っ取り勝手に動かすほどなのだから。


 さくらに引導を渡したのは志乃の意志ではなく、簪の能力だった。


 あの後、事実を聞かされた志乃。先代から伝わり、小幡から預かり、イロハの母の形見でもあるこの簪。何も考えず怒りに任せてへし折ろうとした。


 しかし、それもできないことを身をもって知らされた。


──私を枕元に置いて さくらの石 左手に握って さくら夢枕に現れる


 言われるまま、簪と石を拾い上げ、離れへと持っていく。


──お休み 志乃


 布団に入っても眠れるわけがない、そう思っていた。だがまぶたを閉じると視界が真っ白となり、すぐ深い眠りはやって来た。



…………


 視界一面、何も無い真っ白な世界。自分以外誰もいない。しかし寂しいとは感じない。妙に懐かしく、心が落ち着いていく……。


『志乃ちゃん』


 頭全体にぼんやりと響くような声がした。


(……さくら? どこにいるの?)

 辺りには誰の気配も無い。

「さくら! どこにいるの?」


 声に出して呼びかける。すると今度はすぐ真後ろから声が聞こえた。


「志乃ちゃん」

「さ……!」


 一目さくらを見るなり、志乃はさくらに抱き付いていた。


「……ごめんね。本当に……ごめんね……」

 会っても顔を見せるものか、話を聞くものか。そんな意地らしい気持ちも沸かず、今はどこかへ消えてしまっていた。

 もう顔も殆ど覚えていない母の面影にさくらが似ていたからだろうか。まるで何年も会っていなかった様な懐かしさ、また会えることができて……よかった。


 気が済むまでさくらの胸の中で泣いていた。


 気が付けば二人は夕暮れの丘に並んで座っていた。すぐ下に小川が流れ、田畑が向こうの山まで続いている。じっと二人で山の上にある夕日を眺めていた。


「……口をきいてくれないんじゃないかって不安だったの」

「顔を見たらどうでも良くなったわ」


 互いに笑い合う二人。志乃は普段よりずっと素直になれている自分に気が付く。

 心の中に風が吹いているようで、実に清々しい気分だった。


「……私ね、今まで偽りを真実だと思っていた……ううん、これが真実だと思い込むことで自分を作っていたの」

「どういうこと?」

「私に便りをくれる誰かがいて……それを信じてずっと旅をしていた。それに従って悪い事でも知らずにやったこともあるわ……」

「さくら……それは誰なの……?」


 さくらは目を閉じ、首を横に振る。


「私に『さくら』という名前と思い出をくれた人……志乃ちゃんの神社を見に行くように言ったのもその人……変でしょう私? 会った事も無い人を簡単に信じるなんて。何も考えず言われた通りにしてしまったの……きっと何でもいいから自分の目的が欲しかったのね私……」


「もうやめて、さくら。もういいの」

「……志乃ちゃんのお母さんの形見を持ってくるように便りが来た時、初めておかしいって気が付けた、そんなことしたく無いって思った。不思議でしょ? 何故だと思う?」


 さくらは志乃の手を両手で握り、じっと顔を見る。


「それはきっと、志乃ちゃんとの思い出のおかげだと思うの。本当に大事なことに気が付いた時、白昼夢の様な時間を過ごす自分が堪らなく嫌になったわ……」

「……私は……さくらともっと長い時間過ごしたかった……」

「……ごめんなさい。私は志乃ちゃんと一緒にいるより友達でいられることを望んでしまった……長い時間を一人で過ごしてきた私にとって、自分の存在が消えることより友情を失うことが遥かに怖かった……結局裏切り傷つけてしまったけれど……」


 すっとさくらは立ちあがった。


「……私もさくらは友達だと思ってる、これからだってずっとそう思ってる!」


 同じように志乃も立ち上がり、そう告げた。


 もう別れの時間なのだろう。

 言われるまでもなく、志乃はそう感じた。


「ありがとう、志乃ちゃん。貴女とお友達になれて本当によかった」

「そんなこと言わないで、さくら!どこにもいかないでよ!」

「……最後にお願いがあるの、私を志乃ちゃんの一部にして欲しい。そうすればいつでも志乃ちゃんと一緒よ」

「……どういうこと?」


 志乃はさくらが何を言っているのか理解できない。

 自分の一部になるとは……?


「私の持っていた力と私自身を志乃ちゃんにあげる。これからは志乃ちゃんと一緒に生きていくわ」

「一緒に……生きてく……?」


 さくらは志乃に抱き付くと、真っ白に光り始めた。


(これは………)


 そして徐々に小さくなり消えてゆく……。


 光が完全に無くなるとさくらの姿は消え、やがて目覚めの感覚が訪れた……。


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