白昼蝶夢の章 其ノ八「尾裂」


 一歩踏み出すと、そこには別世界が広がっていた。大きな宮廷の廊下が伸び、どこまでも続いている。太い朱色の柱が貴人の住まいであることを物語っているようである。中庭を見ると広い池があり、その周りに草木が生い茂っていた。

 公家や大名といった人間もこんな宮殿には住めないに違いない。イロハは異国へと迷い込んだような錯覚に囚われる。


「驚いたん? 履物はそのままでええで。ちょっと遠いけどついて来てや」

「こんなの妖術に決まってるべ! まやかしだ!」

「せやね。でも、うちにもようわからへんのや」


 どうもこのお瀧という娘、何を考えているのか見当がつかない。そもそも何の為に自分をここへ連れて来たのだろうか?

「なあ、ところで」

 そうイロハが言いかけると、中庭から小さいものが走ってくる。よく見るとそれは珠妃の使い魔の狐たちではないか。二匹はイロハに気付くと、激しく敵意を見せた。


ヴーッ!

アン! アン!


「こらっ! イロハちゃんにそんなことしたらあかんやろ!」


 一喝されると二匹は大人しくなる。


「ほら、これあげるからあっちで遊んでき」


 手に持っていたまりをぽーんと投げると、子狐らはそれを追って走って行った。


「今の、珠妃の」

「せや、珠妃が拾ってきて育ててん。うちにも懐いてもうたみたいや」


 イロハは妙な感じを覚えた。このお瀧という娘『自分は珠妃だ』と言っておきながら、先程から他人のような口調で話している。そこいら辺も問いただして聞く必要がありそうだ。

 色々思案を巡らせながらお瀧についていくと一室に入る。囲炉裏がある部屋で狭く、大変簡素な造りであった。強いて言えば箪笥たんす文机ふづくえ(書き物をする机)が置いてある程度か。


「さ、座ってな。お茶はいらへんよな?」

「……ああ」


 流石のイロハも何か口にする気分では無い。

 お瀧は廊下側の大きな扉を閉め始める。


「堪忍な。あの子らに話、聞かれたく無いんよ」


 室内が薄暗くなり密室となると、イロハは内心身構えた。それは恐れからではなく本能に似た何か、それが何なのかはっきりとは言えない。


 来るなら来い……!


「……んー、何から話そか」

「珠妃だと言った理由だ」


 お瀧は自分の身の上を語り始める。元々父と京に住んでいて、最近ケノ国へやって来たこと。芳賀家に世話になっていたが自分が何者かに攫われてしまったこと。

 そして父が騙されて九尾の狐を復活させてしまい、死んでしまったこと……。


「──誰にこんなことされたんか、わからんかったわ。でも珠妃の記憶を辿たどって、何が起こったかわかったんよ」


「珠妃の記憶?」


 お瀧が言うには、九尾の狐の魂が、かろうじて生きていた自分の魂と融合してしまったらしい。片方の魂が表に出ている時、もう片方の魂は表には出られないが記憶を共有できるらしいのだ。


「せやから珠妃がイロハちゃんと戦ったことも、お父ちゃんが死んだこともわかったんよ。頼りない人やったけど、うちにはたった一人のお父ちゃんやったんや……」


「……そっか」


 話を聞くにつれ、イロハはお瀧が可哀想になってきた。


「オラ、お瀧を助けてぇ。珠妃を追ん出すことはできねぇのか?」


「お父ちゃんならできたかも知れへんけど、もうおらんさかい……。ご先祖様の記した秘術の巻物があれば誰かに頼めるんやけど、お父ちゃんの亡骸と一緒に持ってかれてもうたみたいなんよ。……せやからうち、珠妃と心中しようと思ったんや!」


「えぇ?!」

「でもできんかった。うちが死のうと思うと、珠妃が表に出てきて邪魔するんよ! ほんまにくやしゅうて適わんわ!」


 拳を叩きつけ、悔し涙をこぼすお瀧。


「イロハちゃん、うちがここに連れて来た理由、わかったやろ?」


 くるりと背を向けると着物を半分脱いだ。


「うちのこと斬って欲しいねん! 珠妃を封じたその刀でうちごと殺してや!」

「だ、駄目だ! そだごとできねぇ!」


「なんでや! 那須の狛狗は九尾の狐が復活しないようにするのが役目やろ!? それにうちはイロハちゃんに斬られて本望や! 納まる体が無くなれば珠妃はもう悪さできへん筈! うちの魂、自由にさしてや!」


「ぐっ……で、でも駄目だ!」

「うちは妖怪に攫われたあの日から死んどるんよ……大丈夫や、死人を斬っても何も都合悪いことあらへんやろ? 珠妃が出てこんうちに早う……っ!」


 イロハはかつて経験したことの無い、苦渋の選択に迫られた。首切刃を握りしめ、目を瞑り、食いしばる歯に力が籠る。


 斬るべきか? 斬らざるべきか!?


『何をしておる? イロハよ、斬れ!』


 夢か幻か、イロハの頭の中に声が響く。


 暗い部屋の片隅に、スウッと白い狛狗の姿が浮かび上がる。

 その姿はぼやけており、蒼牙にも月光にも見えた。


『殺生石の妖怪が復活せぬよう監視するのは我らの役目。再び現れぬよう止めを刺すには絶好の機会ではないか!』


『オラにはできねぇ! お瀧まで死んじまうでねぇか!』


『人間一人の犠牲に何を躊躇う? 今ここで止めを打たねば同じことを繰り返すだけだ。罪なき大勢の者が路頭に迷うことになるやも知れぬぞ?!』


『お瀧を殺さねでも何か方法がきっとある!』


『そんなものがあればこの娘は自害など考えぬわ! この娘は死に場所としてここで斬られることを望んだのだ。それをお前は人間たちに引き渡すつもりか? 妖の乗り移った余所者など、なぶり殺しにあうのが目に見えるわ!』


 この幻が言っていることは紛れもなく正論。だが何としてもイロハは否定したかった。邪頭衆に利用され、父を殺されたお瀧は何の罪も無い被害者ではないか。それを斬り殺してしまうなんて余りにもむご過ぎる!


『一殺多生、そこで殺される側の者が善人かどうか等問題ではない! 例えそれが身内でも、友でも、斬らねばならぬこともある! 普段平常心を保っていても心を鬼にせねばならぬこともあるのだ!


 斬れ! イロハよ! 


斬れぬならそれがお前の弱さ! 我が身可愛さから非道になり切れぬ心の弱さよ!』


 首切刃を握りしめた手が動かない。自分がどうして良いのか全く分からない。強い力を手に入れても成す術の無いことがあるという現実に愕然がくぜんとする。


『斬れ! 斬って真の強さの証を立てよ!!』


(……真の……強さ……オラは……)


 イロハは無意識のうちに首切刃を抜いた!!



──弱いままでもいいじゃない


「……志乃?」


 抜いた刃に映った姿、それは己ではなく志乃の姿だった。


──あなたのその気持ち、とても大切なことよ。いつかわかる日が来るといいわね


 そうだ、何故こんな簡単なことを今まで忘れていたのだろう。

 刃を収めるとイロハはどっかりと腰を据え、居直った!


「オラお瀧を斬ったりしねぇっ! 天地がひっくり返っても斬るもんかっ!」


 イロハの威圧に圧倒されたか、幻は煙のように消えていった。

 驚いた顔をしたお瀧が暗い部屋に残される。


「イロハちゃん……」

「すまねぇ、お瀧! オラはおめぇを斬らねぇっ! そう決めた! 何があっても変える気は無ぇっ! そん代りお瀧のことは力になる! 珠妃にもお瀧に不自由させねぇよう言ってやる! 今のオラにできるのはそんくらいだ!」


「……」

「……すまねぇお瀧。怒ったか?」


 お瀧は黙って首を振る。


「……うち、嬉しいわ……こんなことになって、初めて他の人から真剣に考えて貰えたわ……」


 気が付けばお瀧の目から大粒の涙がこぼれていた。


「ちゃうねん……間違っとったのはうちの方や……自分で死ねへんのに他の人に殺して貰おうなんて間違っとった……イロハちゃんほんまに……堪忍してな」


「お瀧……」


ガリガリッ! 

ケンケンッ!


 部屋の扉をひっかく音に気が付き、イロハは開けてやった。途端二匹はお瀧の方へ飛びつくように走る。


「……美鬼みき……麻希まき


 名前を呼んでやると、甘えるように擦りつく。


「せやね、うちが勝手に居なくなったら、お前たち適わんもんな。ごめんな……お母ちゃん間違っとったわ……」


 突然、お瀧は前に突っ伏すと、大声を上げ泣き始めた。


「本当は怖かったんよ! 死にとうなかったんよ!」



 落ち着いたのを見計らい、帰ろうとするイロハは呼び止められた。お瀧は筆をとると封書にして手渡す。志乃に渡して欲しいのだと言う。


「志乃ちゃん芳賀家の人と文通しとるんやろ? これも一緒に頼んで欲しいんよ。駄目元やけど何もせんよりはマシや」

「わかった」

「よろしゅうな……美鬼? 麻希までどないしたん?!」


 いつの間にか子狐たちがぐったりとしていた。

 文を手渡されたイロハもグラリと頭が揺れる。


「あ、あれ……?」

「あ、あかん! ここから早く……珠妃が……」


 だが体に力が入らず、遂にイロハはその場に倒れてしまった!


「イロハちゃん、あかん……こんなところで……寝たら……」


 イロハの横に並ぶようにして、お瀧も深い眠りに落ちた……。

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