白昼蝶夢の章 其ノ七「尾裂」


 水倉家の一大行事、冬籠りの食糧集め。木の実や茸の収集、狩猟等、分担を組ごとに決めて山中を散策し、一部に蓄えが偏らないように必要なだけ分配する。皆が生き残る為に祖先から受け継がれてきた知恵であった。


アオォォォ───ゥ!!!


 一匹の山狗が雄叫びをあげる。程無くしてあちこちから同じ様に雄叫びが上がった。終わったという合図である。

「終わりか……こっちもこんなもんでいいべ?」

「そうっすね。ご苦労さんでしたイロハ様!」

「姫様が手伝ってくれてはかどりゃんした!来年もおねげぇしますだ!」

「そ、そうかなぁ」


 言われてイロハは思わず頭をかく。珠妃の言った通り、那須山の山狗たちは冬の準備をしていたのだった。仕方なく手伝ったものの、結局最後までやり通した。


 それにしても食糧集めを手伝ったのは一体何年振りのことだろう。獲物の鹿を追い山中を駆け回りながら、イロハはふと母と来ていた頃を思い出していた。

 母が居なくなってからイロハは一人になりがちだった。一族の皆と何かをするという事が殆ど無かった為、こうして集まった今日、イロハは照れるというより決まりが悪かった。


『向こうに邪頭の奴がいたぞー!!』


 唐突な仲間の声。皆一斉に振り向くと一匹の野狗が走ってきた。


「三ノ組の奴らが邪頭の野狗を見たと! こっちに気づいて逃げていったそうですがどうしやしょう?! 追いますか?!」

「三ノ組の持ち場は縄張り端の方だったからな。どうしやすか、イロハ様」


 今のイロハは一族の長であり決断を委ねられる立場にある。

 少し思案すると、こう答えた。


「……いや、構わず戻ろう。引き上げだ」


「ほっといていいんですかい?」

「イロハ様が言うんだ! 皆戻るべ!」


 引き上げの合図をすると、収穫した獲物を引きずりながら各々水倉の屋敷へと向かう。念の為にイロハは殿しんがりを警戒しながら一人離れて歩いた。


 ふと前を歩いていた一匹の野狗が近づき小声で話し掛けてくる。


(イロハ様! どうして追わなかったんです?)

(聞いた限り危険は無い様だったし、無暗に争っても仕方無かんべ。……それと多少目こぼししてやりたかった、ってのが正直なとこかな。あいつらだって生きるのに必死な筈だし)


 獲物の鹿を背負いながら、淡々と答えた。


(成程、追い詰められれば、奴らも必死になりましょう。イロハ様の言いたいことも解ります……ですがね、縄張りってのは一族にとって命と同じくらい大切な、云わば「生命線」ってやつなんです。弱まれば奴らに付け入る隙を与えます。そこも考慮してください)


(父や兄者ならどうしたと思う?)


 野狗は思わずドキリとする。イロハを傷つけてしまっただろうか?


(いいよ。兄上なら山の向こうまで追い立てていただろうな)

(……月光様ならそうしたでしょうね。蒼牙様なら……どうしたでしょうね)


 それはイロハにもわからなかった。きっとその状況における最善の手を瞬時に決断したことだろう。


 事の始終を遠方から眺めていた者がいた。月光だった。


…………


 一行事が終わると、イロハは一人温泉に入っていた。那須山は温泉地としても有名で、至る所から源泉が湧き出ている。川の水と合流し、丁度良い湯加減となって流れている、人知れぬ場所。水倉家でもイロハだけが知っている、秘密の場所であった。


(……ふぅ、ここに来んのも暫くだったなぁ。そういや前に志乃と温泉入りに那珂の里に行ったっけ)


 水面から立ち上る湯気を見上げながら志乃のことを思った。


(志乃、何してっかなぁ……)


 暫く仕事がないと言っていた。今にでも志乃の所へ飛んで行きたかったが、長となった自分がちょくちょく人里へ足を運んで良いものなのだろうか。


「誰だ!?」


 湯煙の向こうで影が揺れるのに気が付いた。


 何かいる! 


 イロハの声に気が付かないのか、影はこちらに歩いてくる。思わず立ち上がり影に向かって身構えた。

(人間か!?)

 人間の娘だ、見覚えのない顔である。こんな山奥に一体何用で来たのだろうか?

 娘はイロハに構わず傍まで来ると、するすると着物を脱いで湯に入ってきた。


「……」

「……」


 肩まで湯につかると娘は背伸びをし、ゆっくりとこちらを向いた。


「ええ湯加減やなぁ。山奥にこないなとこあるなんて思わんかったわぁ」


(な、なんなんだこいつ? それに変な喋り方すっぞ?)

 本当に人間なのだろうか。かすかに妖の気も感じられるが妖怪とも断定できない。ひょっとするとむじなが化けているのだろうか?


「どないしたん? うちが入っちゃあかんかった?」

「お、おめぇどこの誰だ?! 狐か何かか?! あ、珠妃だべ?!」

「うちが? ……ぷっ! あははははっ!」


 娘は立ち上がり後ろを向いた。


「どう? うちのお尻に尻尾生えとる?」

「……ない」

「当たり前や。あ、もしかしてうちのお尻見たくて疑ったんとちゃうの?」

「ほ、ほだごとあっか!」


 思わず顔を真っ赤にして湯につかるイロハ。

 娘も湯につかりイロハの傍まで寄ってきた。


「うち、おたきいうねん」

「お、おう。オラは……」

「イロハちゃんやろ?」

「!!」

「イロハちゃんだけやない、志乃ちゃんや珠妃のこともよう知っとるよ」


「おめぇ、一体?!」

「うちのこと知りたい?」


 お瀧の問いに、イロハは何も答えない。得体が知れない、というのはこういうのを言うのだろう。このままお瀧の言う事を聞いていてはいけない、とイロハの中で何かがそう告げた。


「はぁ……ここはええ所やね。静かで、気持ちが落ち着くわ……極楽いうとこもこないな感じなんやろか……」

「そだこと、オラ知らねぇ!」

「……なぁイロハちゃん」


 イロハの正面に来ると、真剣な表情を向ける。


「珠妃の居場所、うち知っとるんや。今から一緒に行かへん?」


 イロハはお瀧から離れると、傍らにあった刀を手に取った。何を企んでいるのかは知らないが、これ以上我慢できない。


「そだごど信じられっか! おめぇ何もんだ?!」


 すらりと刀を抜き、お瀧に切っ先を突きつける!


「うちが珠妃なんよ」



 結局イロハはお瀧に言われるまま付いて行くことにした。お瀧の言う事を真に受けたわけではないが、一旦別れ温泉神社へ『首切刃くびきりのやいば』を取りに向かう。

 神社に着くとイロハを待っていたかのように、首切刃は社の前に置かれていた。手を合わせて刀を取ると、同時に何かが落ちているのを見つける。

(なんだこれ?)

 それは小さな布きれだった。丁寧に織り込まれており破れる前は立派な反物か着物だったのだろうと思わせる。


(最近どっかで見たような……まぁいいか。それよりあのお瀧って奴のことだ!)


 お瀧と待ち合わせをした、麓の集落に着いた。


(こっち! こっちや!)

 着いて早々お瀧の只ならぬ様子、物陰から通りの様子を伺っているようだ。イロハも習うように隠れそっと覗いてみると、一軒の家の前に数人の男が立っている。


(何してんだあいつら?)

(あの人ら、ああやってずっと珠妃を待っとるんよ)

(珠妃を?!)


 お瀧は立ち上がると男たちの前に行き、話し始めた。どうやら珠妃は帰ってこないと説得しているようである。男たちは納得したのか、持っていた物を渡し残念そうに引き上げていった。

 お瀧は家の戸を開けるとイロハに手招きをする。イロハが家に入ると用心深く辺りを見渡し、家の戸を閉めた。


「……嫌になるわ。珠妃の奴、男の人たぶらかしては貢がせておるんやで!」


 男たちから貰った物を見ると、かんざしくし、それと豆腐に油揚げ(!?)と様々である。

 だがそれよりもイロハが気になったのは家の中であった。

 お瀧が言うにはここが珠妃の家なのだそうだ。暗い家の中は粗末でがらんとしており、まるで生活の様子がない。空き家同然のようなこの家に珠妃が隠れ住んでいるとは想像もつかなかった。


「お瀧! やっぱし騙したべ! こうだ小汚ねぇとごさ珠妃が居るわけねぇ!」

「当たり前や!ちょい待っとき!……確かこの辺やね」


 そう言って先程閉めた入口を調べ始める。見つけると手に掛け、再び戸を開けた。


「う、うわっ!!」


 家の入口から眩いばかりの光がなだれ込み、思わずイロハは目を覆った!


「さ、行こか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る