宵闇誘いの章 其ノ五


 三人がすしを食べ終わると、先ほどの式が待ち構えていたように皿を片付け始め、別の式がどんぶりを三つ運んできた。丼から湯気が出ているのが見えるが、やはり今度も見慣れている食べ物ではないのだろう。


「おぉ、今度は何だ?!」

「これは蕎麦そば? うどんかしら?」


 綺麗な白磁の丼に入ったそれは志乃も見たことがない料理だった。半分に切られたゆで卵などの具が入っていて、黄色く縮れた蕎麦のようなものが汁に浸されていたのだ。箸と同時に白磁のさじが置かれる、これですくって汁を飲むのだろうか?


「これは流石に知らないわね。唐土もろこしの国から最近伝来したものに手を加えてみたの。まだ日ノ本で口にしたことがある人間は殆どいない筈よ」

「うぅ……いい匂いがずる……うんまそうだ」

「さっきからみっともないわよ……。で、これは何て食べ物なの?」

「まだ普及されてないからこの料理自体の名前は無いの。この蕎麦のようなものは『麺』と言って麦から作るよ。熱いから気をつけて食べて頂戴ね」


「あちち!……ふぅーふぅー……これはこてらんねなや! ……こんな食べ物があったなんて……オラは……!」


ズルズルズルー!!


 食べながら感極まるイロハ。


「……確かに美味しいわ! とてもこの世の物とは思えない! 向こうの大陸の人間はこんな美味しいものを食べてるの?」

「さっき言った通り手を加えてみたの。まだまだ改良の余地はあるわ。加工が難しくて量産できないのが問題ね」


「これあさぎがつくったのか?!」

「ええ、そうよ、と言いたいけど今回は専門家に委ねてしまったの。recipeレシピ……作り方は私が考案したけどね」


志どこまで本当なのかしら?)


ズズッ……。


 蓮華れんげを使い汁を飲むと、鶏ガラからダシをとった汁はうどんのそれとは違い、濃厚な旨みと風味が幾重にも重なって押し寄せる。麺に至っても尋常ではない、蕎麦とは違い麺自体に味があり、そのままのどへと流してしまうのが勿体無いくらいだ。


……


「ご馳走様」

「御馳走様でした! あーうんまがったあ!」


 イロハの丼を見ると汁まで綺麗に飲まれていた。

 余程気に入ったのだろう、ニコニコと満面の笑みを見せている。


「喜んで貰えて嬉しいわ。次は外を見ながらお茶にしましょう」


 そう言うと式がテーブルの中央に明かりを持ってくる。同時に透明の細長い器に入った氷を三つ、テーブルに置いた。器には何故か棒が差してあり、程なくして液体が注がれる。


「この器、ビードロ(硝子ガラスのこと)ね」

「透明で綺麗だー」

「これはグラスというのよ。只の麦茶だけどシロップを入れると美味しいわ」


 小さな小瓶を渡され、イロハは言われるままにグラスに入れる。


「蜂蜜みたいなもんか?」

「私はいいわ」


 警戒する志乃に対し、イロハはシロップを入れたグラスを横から興味津々で覗き込む。注がれたシロップはグラスの中で煙のように広がり、流れるように底へ沈んだ。


「よくかき混ぜるといいわよ」

「あーそっか。この棒何かと思ったらこれでよーくんか」

「……そうね、マドラーっていうのよ」


 かんます、という表現が可笑しかったのか、口元を抑え笑うあさぎ。

 イロハのグラスがカラカラと涼しげな音を立てる。


「甘んめぇ!」

「……そろそろね。暗くするから気をつけて頂戴ね」

「えっ」

「あっ」


 突然明るかった部屋がすーっと暗くなる。

 明かりはテーブルに置かれた蝋燭だけ。


「キャッ!!」

「おう?!」

「……脅かさないでよ!」

「???」


 暗闇の中、白く光っているイロハの目に驚く。


「あらあら、驚くのはこれからなのに。大きい音がするから吃驚びっくりしないでね」


(一体何が始まるのかしら?)


 あさぎをちらっと見ると体ごと横を向き、少し上を見ながら優雅に扇子を仰いでいる。


 天井に何があるというのか?


 つられて志乃が見上げるとその理由がわかった。

 舟の天井が無くなり夜空が広がっているではないか!


(いつの間にか天井が無くなってる?!)


 その時だった!


 光った何かが空目掛けて上がっていくのが見えた!


「なっ?!」


ヒュ~~~~~~~~~~……



パァッ


 夜空一面に色取り取りの鮮やかな光が広がり、そして……。



ダ────────ンッ!!!!



 まるで地の底まで響くような大音! あまりの事に二人は声すら上げることができなかった。あさぎに至っては余裕の表情である。


「花火は初めてだったかしら? とても綺麗でしょう?」


「花火?」

「今のは妖術かなんかか?!」

「まさか。人間が作った余興の一つよ。今年の葦鹿あしかの里で打ち上げられたみたいだけど、その時は足が向かなかったのよね」

「え? 何ですって!?」

「人間が作ったのかあれ!」


ヒューンヒューン! パパパパーン! パーン! ヒューン!


 今度は低い位置から数多くの小さい花火が打ち上げられ始めた。


「お!お!」


 興奮したイロハは立ち上がり、開けられていた障子窓から身を乗り出す。


「すげー!! 今度はちっこいのか! 綺麗だなー!」


「あ! 駄目よ! 危ないから体を出さないで」


 慌ててイロハを呼び戻す。


「葦鹿の里で花火があったのは聞いてたわ。今のあの花火、本物じゃないわね」


 打ち上げられる花火を見ながら志乃が呟く。


「半分正解、と言ったところね。でも今、目に見えてる空は、確かに葦鹿の里の夏夜そのものよ。とても綺麗でしょう? 見に行きたかったけど嫌がる地元の妖怪を差し置いて楽しむのもどうかと思ったから」


 そう言うと扇子で志乃の後ろを差す。

 志乃が振り返ると真っ赤に染まった月が出ていた。


「葦鹿の妖怪が怒ってる証拠よ。この花火も元々魔除けで打ち上げられたものだし」

「うわぁ……あの月、殺気の塊みてぇだ。でもこの花火って、慣れると綺麗で楽しいけどなぁ」

「そうよねぇ……あっ、また別なのが上がったわ」


 どうやら花火は一部の、少なくとも目の前の妖怪らにとって魔除け効果は無いらしい。それどころか二人共歓声を上げながら喜んで見ている。


(なんだかなぁ)


 呆れながらグラスを口元に運び、再びテーブルに置くと氷がぶつかり静かな音を立てた。グラスに花火の光が反射して綺麗な光沢を生み出す。


 それを見て志乃は遂に気がついた。


(これは……もしかして!)


 珍しい料理……

 見たこともない物の数々……

 そこにあるわけのない幻想の夏夜……


 ちらりとあさぎを見ると、我を忘れて花火を楽しんでいる。


(成程ね……なんとなく読めてきたわ!)


 あさぎが二人をここに呼んだ真の理由、志乃にはそれが見え始めていた。

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