宵闇誘いの章 其ノ四
それでも何とか前に進むと耳に音が入ってきた。
ザザザー…… ザザー……
(水の音? 川?)
虚をようやく抜け、志乃の閃光の術でよく見えなかったの目も大分慣れてきた。
ここは弁天入りの森の中ではない、どこか別の開けた場所のようだ。
「……すげぇ! 志乃見て!」
「……大きい。湖なの?!」
そこはとてつもなく開けた場所で、月と星々に照らされた水面がどこまでも広がっていた。岸には
「さ、中へ」
「オラたちはどこさ来たんだ?」
「私にも判らない。あさぎ様は色々な場所を御存知だから」
自分も見知らぬ場所ながら「いつものことだ」と割り切っている花梨であった。
「少なくとも退屈はしなさそうね」
悪態をつきながら船に乗り込む志乃。
そんな志乃を見て花梨はそっと耳打ちする。
(中へ入ったら不満なども含め、色々話してみるといい。お前たちが来ると知って、夕方から大分上機嫌の様だ)
目配せまでされて調子が狂いつつも、二人は中へと乗り込んだ。
扉を開けられ、中を覗いた二人はあっと驚かされたのだ!
「うお?!」
「え?!」
思わず扉から離れ、もう一度屋形船を外から確認してしまった!
それほど中は広かったのだ!
「ど、どうなってんだ?!」
「ふふっ」
これもあさぎの仕業なのだろう。相手を驚かすいかにも妖怪らしい趣向だが、ここで驚いていては相手の思う壺。それを気に入らない志乃は
「……思ったより普通ね」
「あ、待っとこれ!」
うっかり扉から離れたものの、草履を脱ぐとイロハより先に中へと入った。
(居た! あさぎ……!)
「うわ! 何だこの床!? やっけぇ(柔らかい)ぞ!?」
長く奥まで続く、広い屋形船の中。畳ではなく赤い毛の生えたような床が敷かれていた。志乃やイロハは知らなかったが、
そしてその絨毯の中央奥、あさぎが座っていた。しっかりとシャンとした姿勢で座っていたが、気に入らない志乃は思わず睨みつける。あさぎが相変わらず顔に面をつけていた。
志乃はイロハよりも先にあさぎの前までずかずかと歩み、足を止める。
(……志乃!)
志乃とあさぎの間に緊張が走る。
先に口を開いたのはあさぎだった。
「お晩方、ですわね。本日はようこそ」
しかし志乃はあさぎに返答をせず、イロハの方を向く。
「イロハ、私たちは謝罪の場に足を運んだのよね? 顔を隠してお詫びをするなんて聞いたことないわ」
「う……うん」
志乃に促されるように、イロハが返事をする。
「二人共、これが見えるのね?」
「嫌がらせの続き? それとも顔向けできないって洒落のつもりかしら?」
いきなり悪態つきまくる志乃に対し、イロハが止めに入った。
(ちょっと志乃! 言い過ぎだ!)
「なによ、態度が悪いのは向こうじゃない!」
小声での二人のやり取りを見てふっとあさぎが笑う。
「……立場上顔が知れるのは好ましくありませんから。でもこの面が見えるとなると、確かに謝罪の場には相応しくありませんわね」
そう言いながらあさぎは、顔半分を覆っていた奇妙な面をゆっくり外し始めた。
「!」
(あっ!)
面の下にあったのは
「これで私も貴女方のお顔がよく拝めますわ」
志乃とイロハは一度峠であさぎの顔を見た筈なのだが、それがどんな顔立ちであったかは記憶に残っていなかった。まるで初めてあさぎの素顔を拝んだ錯覚……
いや、実際あさぎの顔を見たのはこれが初めてになるのだろう。
驚く二人に対しあさぎは面を置くと、ゆっくりと頭を下げ丁寧に両手をついた。
「先日は己の不手際から、大変なご迷惑をおかけしました。この通り深くお詫び申し上げますわ」
静かで澄んだ上品な声、謝られてる立場の筈が何故か逆に圧倒される。そして顔を上げたあさぎはイロハを見て少し悲しそうな表情をとった。
「首の傷、消えなかったでしょう?」
「あ……あうあ……えと、もう消えた! ダイジだ!」
「そう、良かったわ。痛かったでしょう? 本当にごめんなさいね」
「……う……あうわ……う、うん」
心配され思わず赤面するイロハ。自分は殺されかけたというのに、きっと今の頭の中は真っ白だろう。このままでは何をされても許しかねない。
「可愛らしい浴衣ね。よく似合ってるわ。今宵の宴にもね」
「え? あ……うん……そっけ?」
(はぁ……だめだこりゃ。私だけでもしっかりしないと)
そう、しっかりしないといけない。
ここは妖怪の作った空間、言わば敵の手中なのだから。
「これでようやく胸のつかえが一つ無くなりましたわ。仲直りの証に御食事でもしましょう、こちらへいらして」
そう言いつつ立ち上がると奥へと歩いていく。
志乃とイロハはそれに続いた。
数歩歩いたところで辺りの様子が目まぐるしくなった。
「?!」
「!!」
何も無かった空間が、突然様々な物が置いてある部屋へと変わったのだ。
異国の家具だろうか? そんなものが辺りに所狭しと置いてあり、中央にはテーブルと椅子が。
「どうぞおかけになって」
あさぎの姿を見て二度
椅子に腰掛けるあさぎに習い、志乃も落ち着いて椅子に座る。イロハは初めて見るものばかりで思わず戸惑うも同じく椅子に腰掛けた。
「さっきみたいなお座敷の方が落ち着けたわ」
「そう? でもこちらの方が足が痺れずに済みますわよ」
「っ?!」
そうだ、こいつは自分の行動をいつも監視していたのだ。長時間正座が苦手な事を見抜かれ今度は志乃が赤面する。一体どこで見られていたのだろう?
「刀ここさ置いてもいいけ?」
「刀掛けはないのよ。傘立てで良ければ使ってね」
イロハは言われるままに刀を立てた。
和傘と洋傘の隣にイロハの刀が並ぶ。
だが良いのだろうか? 敵陣で刀を手放すとは……まぁこの調子だとイロハは刀を抜かないかもしれない。警戒を悟られぬように志乃は話を振ることにした。
「そう言えば花梨はこないの?」
「今回は遠慮して頂きましたわ。貴女方と三人だけでお話したかったの」
「オラたちと?」
「ええ。でもその前にお食事にしましょう」
部屋の奥から青い人影がぬっと現れた。人の形はしているが服は着ておらず、髪はおろか目鼻すらついていない。等身大の人形のようなそれは、両手に盆を持ち料理を運んできたようである。一瞬ドキッとした二人に説明を始めるあさぎ。
「これは私の式、間に合わせですけどね。さ、召し上がって」
「すげぇ何だこれ?! 食べれんのけ?!」
「これって……まさか……!」
テーブルに運ばれた品を見て驚く!
「お
確かに海のないケノ国では海の幸など滅多に味わえない。贅沢に煩いこのご時世、こんなものを食べていると知られたらお咎めものである。
「志乃は食べたことあんのか?」
「え? えーと、どうだったかしら……」
「いただきます!」
早速箸をつけるイロハ。
「……うんめぇ! 本当に魚けこれ?!」
志乃は中々箸をつけない。毒が入っているかもしれないと疑っているからだ。しかし止める間もなくイロハが食べだしている。毒があったらすぐ気づいて吐き出すだろう。
「……いただきます」
成り行きで無二の友人を毒見役にした志乃も、ようやく食べ始めた。
箸で小分けされた押し寿司を口に入れる。
するとどうだろう、口の中いっぱいに舎利の甘酸っぱさが広がった。
「……美味しい」
「そう、よかったわ」
にっこりと微笑むあさぎはそれから箸で自分の皿に手をつける。しかし、二、三口に運んだかと思うと、そこで動きを止めじっと志乃が食べるのを見ていた。
正確には志乃の手を見ていたのだ。
「……何か?」
「あら失礼、そのお箸の使い方、どこかで作法のお勉強を?」
「別に……普通の持ち方だと思うけど?」
「あら、そうなの」
何か納得したような様子のあさぎに対し、志乃とイロハは「??」となる。幼少の頃から
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