白面九尾の復活 下章 其ノ三


 首切刃くびきりのやいばを振り上げたイロハだったが、何か思案するとそのまま収めてしまった。


「……もう止めよう、斬って斬って、斬り疲れた。それに、ここでお前を斬る理由が見当たらない」


 そう言って珠妃に近づいた。これには月光とトラが憤慨し、まくしたてる。


「気は確かか! この者を野放しにすればケノ国はおろか日ノ本も危ういのだぞ!」

「理由ならあろう! 父を捕らえられ志乃も殺されかけたわ! 自分の体をよく見ろ! それでも言えるか?!」


「……そうだね。でも結局みんな助かった。結果だけで言ってしまってるかもしれないけど……それにこの傷は直接関係無い」


 そして珠妃に向けてこう言った。


「珠妃、お前は強かった。正直死ぬかと思った。何度も仲間になるよう言ったけど今度はこっちが頼むというのはどうだろう?」


 一同は驚き、皆呆気にとられた。

 珠妃はイロハの方を振り向くも、答えは即答だった。


「借りを作ってまで生きたいとは思わぬ。お前が斬らぬなら刺し違えるまでじゃ」

「あんたは…!」


 肩で息をしながら振り向き立ち上がろうとした。皆が駆け寄ろうとした時、イロハは片手でそれを制止する。


「それなら! ……それなら仲間にならなくても構わない! せめてどこかで静かに生きて欲しい。人間や妖怪に危害を加えたりしないなら水倉のいぬはお前に干渉したりはしない!」


「……なんじゃと?」


 珠妃は驚くべき言葉に改めてイロハを見た。

 傷だらけの体で自分を見下ろす少女の姿が、珠妃の遠い記憶と重なった。


──どこか遠くの地で、ひっそりと生きては下さいませんか?


(これは……)


 珠妃の目に一人の人間の姿が映る。

 そして、一筋の涙がこぼれた。


 イロハの一言に皆言葉を失うも、月光は堪り切れず口早に叫ぶ。


「正気に戻れイロハ! その様な世迷言よまいごと許さぬぞ! よいか! 世の中には邪頭の様に悪事しか働けぬ者も居る、こやつもそれと同じだ! 妖怪九尾の話は何度も皆から聞いているだろう! その刀が我らの手の内にあるのも水倉の狛狗が殺生石の監視者だからだ!」


「兄上、私は正気です。これが水倉家当主の言葉でもいけませんか?」

「!?」


 首切刃を手にし、当主を継承したイロハ。じゃじゃ馬娘の戯言ではなく一族の長の言葉。狛狗一族水倉家イロハ姫の言葉に月光も遂には黙ってしまった。


「……」

「……ここはイロハに任せよう。ワシらではもうどうこう言えぬようだ」


 このやり取りの中で珠妃は衣を正し、痛む傷口を押さえて立ち上がろうとする。

 イロハは手を差し伸べたが、そっと断ると自力で何とか立ち上がった。


「水倉家当主の言葉……。もし妾がそれに乗り、後から破ったら何とする?」

「その時は今度こそこの刀の錆となり、私も死ぬ」


 真っ直ぐと自分を見つめるイロハがまぶしく見えた。その眩しさゆえか珠妃は目を閉じるも、イロハの肩に手を置き静かな笑みを見せた。


「…裏切り裏切られ、もう誰も受け入れぬと思っておった……妖怪とも人間ともな。不思議じゃ、お前の言うことは信頼が置ける……誓おうイロハ。これから先のことはわからぬが、少なくともお前が生きている間は妾もこの地で静かに生きようぞ」


「本当か!?」



『あら、それは駄目よ』


 その場にいる誰でもない女の声。突如聞こえたその声に、皆が珠妃の後ろへと釘付けとなる。珠妃も振り返るとそこには一人の女が立っていた。


「お話は終わったかしら? 静かに生きるのは大変結構だけど、大妖怪の貴女にこの国へ居られては困るのよ。この場は私が預かるわ、中々いい勝負だったわよ」


「き、貴様は!!」

「あ……あぁ……!」


「ふざけるなぁぁぁ──!!」


 志乃は錫杖を手に、あさぎへと飛び掛かった!

 しかし見えない力に跳ね飛ばされ近づくことすらできない。


「……こいつっ!」

「志乃! 駄目だ!」


「今は戦う気はないの。時期にそちらへ沙汰を寄越すと思うけれど、この件はケノ国の神々に話しておきましょう。……また会いましょう、志乃、イロハ」


「……!?」

「オ、オラの名前……!?」


 あさぎは怯えているイロハの顔を見て少し悲しそうにすると、不思議そうにしている珠妃と共に消えてしまった。


「クソッ! 逃げおったか!」

「何者だ今のは!? ケノ国の神々がどうとか言っていたが……」


「……どんな妖怪よりも性質たちが悪いかもしれないわね。不本意だけど今は九尾の言葉を信じて、こうして生きているだけマシとしましょ」


 志乃の言葉を皮切りに、緊張と死闘の連続だった一同はその場に座り込んだ。



「……志乃!」


 戦いが終わり、イロハは志乃を見るなり飛びついて喜んだ。


「久しぶりね! まるで見違えたわ。強くなったわね」

「……え?」


 意外な言葉に少し驚くイロハ。


「……どうかな。なぁ志乃、オラが本当に強かったらあいつを逃がさなかったと思うけ? 止め刺さねかったきと……本当はオラがまだ弱いからかもしれねぇ…。オラまだ当主なんて器じゃねぇし……」


 謙遜ではなく正直なイロハの言葉。

 その言葉を聞き、志乃は済ました顔でこう答えた。


「そうねぇ……。少なくともお姫様は『オラ』なんて言葉は使わないわね。あら? おかしいわ、先程までいた当主様はどこへ行ってしまったのかしら?」

「!!……しっ、志~~乃~~!」


 今度はイロハが顔を真っ赤にして逃げる志乃を追いかけ始めた。


 だが戦いの結末を素直に喜べない者も居た。


(……イロハ、何故止めを刺さなかったのだ! これは我々だけでなく日ノ本全体の問題になるやも知れんぞ! そうなったら俺でもかばいきれぬ……)



「ぐ……イロハ……」


「蒼牙! 気が付いたか!」

「……叔父御!?」


 目を覚ました蒼牙にトラと月光が駆け寄った。


「安心されよ、皆無事だ!」

「……お主まさかトラ殿か!? 何故ここに……俺はまだ夢を見ているのか?」


 それを聞くとトラは胸を張りこう言った。


「ふっふっふ! お主らの恩を返すべく、この地に風に乗って参上したのよ!」


「……ぷ」

「あはははは!」


 訳が判らずきょとんとする蒼牙。


 一抹の不安をかき消すかのように、笑い声が剣岳の風に乗り木霊するのであった。

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