幽霊の掛け軸 上章 其ノ九


 暗い廊下に出て連れられた先、何を思ったか法願和尚は外に出る気だ。


「はっはっは、たまにはこのような席も一興と思いましてな」


 外に出て皆驚いた。なんと花を咲かせた桜の木の下に篝火かがりびが焚かれ、風呂敷の上に座布団と膳が用意されていたのだ。


「こ、こりゃ凄え、まるで花見の宴会じゃねぇか?!」


 驚きながらも席に着こうとする虎丸。

 しかし兼井は急に怒り出した。


「法願殿っ! 一体何を考えておられるのか! 我々は変異の解決に来たのですぞ?! 花見など不謹慎ではありませぬか!」

「兼井殿、誰が花見などと申したかな? 私は皆様と夕餉ゆうげを頂こうとしただけのことですぞ? それがたまたま桜の木の下というだけのこと。折角花を咲かせているのに何もしないなどと、それこそ罰当たりではありませんかな?」

「 緊張感が無さ過ぎると言っておるのだ! 今しがたですぞ、道三殿が……」


「まぁまぁ、兼井殿、腹が減っては戦にならぬ。勝負はこれから、腹も心も満たしましょうぞ、かっかっか!」

「……」


 厳顔が中に入り渋々席に着く兼井。飯を食う前に騒ぐのもどうかと思ったのだろう。佐夜香たちも席につくが、法願和尚は落ち着きなく早川に尋ねる。


「そう言えば道三殿はどちらへ?」

「先程祈祷をされていたのですが、疲れたと言って出て行きそれきりです」

「部屋で休んでおられるやもしれませんな。無理矢理呼ぶのも気が引けますし、後で様子を見に行くとして先に頂きましょう」


 夜空が拝める桜の木の下で、皆一斉に箸を付け始めた。


 佐夜香は空を眺めた。天はすっかり暗くなっており、月が拝めた。そしてその下には例の桜の木が花を咲かせ、篝火で目立たない中で蛍が飛んでいる。更には木下で膳を囲んだ坊主頭が月明かりで反……。


(うわぁ凄い光景……)


 この様な体験をした者は、世界広しといえどそうは居るまい。


「ん、うまい。さよちゃんもしっかり食べときな」

「はい、頂いてます」


ズズー


「一句できた! 月下にて 桜の下にて味噌汁の すする音にも南無阿弥陀仏、どうだ!」

「ぶっ!!」


 珍妙な虎丸の句に、安念は思わず味噌汁を吹いた。


「安念! 行儀良くせぬか」

(ふん! 馬鹿馬鹿しい!)


 兼井はさっさと夕餉を済ませると立ち上がる。


「おや、どちらに?」

「道三殿の様子を見て参る、失礼」


 仕草には表さないが相当機嫌が悪そうだ。兼井が立ち去ったのを見計らって、法願和尚は皆に尋ねる。


「夕餉だけでは寂しいですな。やはりここは……お一つ如何かな?」


 手を口にやり、くいっとする仕草を。

 厳顔と虎丸の目が光るも、早川が慌てて止める。


「待たれよ、流石にそれはいけない! 酒などもっての外!」

「いやいや、酒などと申してはおりませぬぞ。般若はんにゃで御座います、如何かな?」

「……」

「般若?」


 すると虎丸と厳顔は大真面目に頷く。


「成る程、般若なら宜しいでしょうな」

「般若なら是非よばれましょうぞ」

(般若って……どっちにしろお酒じゃないか)

(あぁ、やっぱりお酒なんだ)


 法願和尚は意気揚々と酒、もとい般若を取りに行った。


「何だ、あの和尚意外と話せるじゃん」


 そう言いながら、米一粒残っていない茶碗に白湯を注ぐ。注がれた白湯に一片の花が落ちた。


「こうして見るとこの花も普通の花に見えるや。見てみなよ、って、さよちゃん何見てるんだい?」

「虎丸さんは短歌にお詳しいでしょうか? この歌の中に人の名前が隠れているそうなのですが」

「どれどれ……蛍火に 忍ばぬ花を望むれば 身を忘るるや 心あらずに。んー蛍火……お! 今の状況にぴったりなんじゃねぇか?」


 虎丸の声を聞いて、厳顔らも興味を惹かれ寄ってきた。


「あまり短歌に詳しくないので意味もよく分からなくて」

「わしにも見せい……蛍が飛んでる時期なのに咲いている花を見ていたら、気をとられて自分の立場を忘れてしまった……まぁこんなとこじゃろ」

「花、と言うのは古くから桜を指しますな。まさに今の状況そのものを捉え、戒めとも聞こえる歌なのではありませんかな? 目先のことに心浮かれるな、と」


 そう言って早川は厳顔と虎丸を横目で見た。

 酒が飲めると浮かれていた二人は、明後日の方向を見てごまかそうとしている。


「戒め、ですか。成る程、でも名前は何処に隠れているのでしょう?」

「五、七、五、七、七に文を区切り、そこから一文字づつ取ってみるというのはどうでしょうか? 前に似たような謎かけを聞いたことがあるので」

「お、冴えてるね。おぉ?! これはこれは。こいつはさよちゃんがよく知ってる名前じゃないか?」


 虎丸は紙に書かれている文字を一つずつ指差す。


「ほ、し、の…あっ!」

「だろ?」


 短歌には佐夜香のかつての宿敵であり、親友が隠れていたのだった。



「にしても遅いな……御住職殿は。何してんだ?」

「兼井様も戻ってきませんね。…あ、誰か戻ってきました」


 本殿の入口から誰か出てきた。

 しかし様子がおかしい。何か色々な物を持ち、もたついている様だ。

 それを見るや否や、早川は席を立つ。


「あー安念や、私は兼井殿を探してくるでな。お前はここに居なさい」

「はい、和尚様」


 早川と入れ替わり戻ってきたのは法願和尚だった。


「ん? 早川殿は厠かな?」


 そう言って持ってきた盃を配り、銚子ちょうしを勧める。


「おっとっと」

「おぉ、有難い」

「あ、私は結構です。家の仕来りで御法度になっていますので」

「私も和尚様から叱られてしまいますので」

「それは残念じゃのう、仕方ない」


 佐夜香の家には元々そんな仕来りは無かった。むしろ酒を呪術に使うこともあったはずである。しかし義母が嫁いで来てからは禁酒令が出され、調理用に使う酒まで制限されていたのであった。


「くぁー! やっぱり花見にはこれだな!」

「うむ、この盃で飲む般若は格別でしょう」


 法願和尚は満足気である。

 まさか……。


「盃、とな?」

「如何にも! この盃こそ高名な匠のこしらえた酒器で云々……」

『!!』

(始まっちゃった)

(まさか和尚様はこれを予見して!? 私を犠牲にしたのか! 酷い!)


 法願和尚の持ってきたものは盃だけに留まらず、何やら桐の箱に入れられた物や巻物、刀剣まである。暫く話の種は尽きなさそうだ。


 一方それを遠巻きで眺めていたこの寺の寺男たちは……。


「……あーあ、寺で花見酒とはいい身分だよな」

「頑固和尚の自慢話聞きながらか? 冗談じゃねぇや、酒がまずくなら」

「はっはっは。もうすぐ交代だ、これから飲みにでも行くべ、な?」

「んだな……ん? ありゃ?!」


 ふと南の空を眺めた寺男、異様に空が赤いのに気がつく!

 直様寺の高台にある鐘つき堂へと登った!


「み、見ろ! 燃えてる!!」


 寺の南側にある町が赤く染まり、煙が立ち上るのが見えた!



 星ノ巫女 ~幽霊の掛け軸 上章~  中章へ続く

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