幽霊の掛け軸 上章 其ノ七


(ここは……。いけない! どのくらい眠ってしまったのかしら?!)


 暗い部屋の中で目を覚まし、慌てて身を起こそうとする佐夜香。

 しかし、本能的な何かが体を硬直させた。


ギッ!


ドカッ!


 突然部屋の中を物音が響き渡る。上の方から聞こえたがここは平屋。

 と、なると屋根に何者かいるということになるが……。


『あーもう、ここでいいや。ここなら眺めもいいし、見つからないっしょ』


 思わずどきりとした! 女、しかも佐夜香と同じくらいの娘の声だ。なぜ娘の声が聞こえるのだろう? 幻聴だったかもしれない、そう思う前に次の声が聞こえる!


『あんな奴ら、あちしがぶっ飛ばしてやんのに。むっさい人間ばっかりウロウロしやがってー』


 今度は幼い子供の声。「人間」という言葉が聞こえた。すると声の主は人外の者だろうか?

 佐夜香は身構えながら、音を立てないよう手探りで武器を探す。もし妖怪なら見過ごす訳にはいかない。今回の事変の犯人かもしれないのだから!


『駄目だっての! 桜の花まで飛んじゃうだろ! 今日は晴れてるし、いい夜桜が拝めそうだ。ほら、姉さんもこっち上がってきて飲みなよ』

『……ぷはぁー! うんめ~!』

『こら~、あんまりお前ばっかり飲むなよ。お師様の目盗んで持ってくるの大変だったんだから』

『危ないわよ、屋根が抜けちゃったら大変』



(今度は大人の女の人の声? 少なくとも三人は居るという訳ですね)


 右手に短刀、懐に符を忍ばせ、手探りで部屋の戸口に手を掛ける。


 先手必勝!

 ガラリと戸を開けると小屋の屋根に向かって威勢良く叫ぶ!


「何者?!」


 しかし返事が無い。


 佐夜香はヒラリと高く飛び上がり小屋の屋根に登った。やはりそこには誰も居ない。見鬼である佐夜香は、普通の人間に見えないものまで見える。だが辺を注意深く探すも、夕暮れ時の寺が寂しく目に映るだけだった。


(意外と用心深い相手…。こんなことなら叫ぶんじゃなかった…ん? 何かしら?)


 それは小屋の下の方、巨大草履が飾ってあった堂の影から見えた。一瞬だが人影の様な物が見えたのである。気が付かない振りをして、静かに屋根から飛び降りる。


 今度は足音を立てず、気配を殺して影へと近づく。

 影が消えた近くまで来ると声がした!


『だ、駄目! これ以上来ないで!』


「一体誰です?! 姿を見せなさい!」


『嫌よ! だって貴女とても怖いんですもの』


 思わず拍子抜けしてしまうような返答。堂の影を見ると声の主が恐る恐るこちらを伺っている。だが刃物を持って身構えている佐夜香を一目見るなり、また引っ込んでしまった。


「何もしなければこちらも何もしません」

「本当? …じゃあその怖いの仕舞ってくれる?」


 短刀のことだろう。一瞬躊躇ためらったが、さやに収めた。


「はい、仕舞いましたよ」


 すると声の主が堂の影からゆっくりと姿を現す。声の通り着物を着た大人の女性で、黒髪は結ってはおらず長い髪が腰まで伸びている。暗がりでよく見えないが、相当美人の様だ。


「ああ怖かった。貴女はこのお寺の人?」

「私は仕事で呼ばれた陰陽師の佐夜香です。貴女はこのお寺の人ではありませんね? 何をしていたのですか? 立ち入りは制限されている筈です」

「そうなの? 普通に入れたわ。それに私はお花見をしていただけよ?」


 門から入ってきたなら寺男に呼び止められる筈である。

 ではどこからか忍び込んだのか?


 女性の着ていた着物は可憐でかなり目立つ。薄暗い今でも、立ち待ち誰かに見つかってしまうだろう。佐夜香の様に塀を飛び越えてきたというのも格好からして考えにくい。


織姫しきひめ!」


 符を取り出し織姫を呼び出した。

 佐夜香の右手が火に包まれる。


「きゃ! な、何?!」

「織姫! この人が妖怪なら捕まえて!」


 もし妖怪の類なら織姫が黙っているはずがない。だが呼び出された織姫はウロウロし、佐夜香の顔を見ながら首をかしげている。


「う~?」

「し、織姫?!」

「よかった。これで私は人間認定ね。可愛いわねぇ、陰陽師が使うのならこれは式というのでしょう?」


 佐夜香に近づき、織姫を興味津々に見つめる。まるで優劣が逆転してしまったかのように思え、佐夜香は慌てて織姫を仕舞い、一歩身を引いた。


「あ、貴女は何者です!? 先程誰かと話をしていましたね?」

「私は『さくら』しがない旅の者。さっき話してたのは先日会った妖怪の子たちね。一緒にお花見に誘われたのだけど、どこかへ行ってしまったわ」

「妖怪とお花見?! ちょっと待ってください、どういうことですか?! 妖怪が入れない結界があるのにどうして寺に妖怪が!?」

「さあ? 貴女は妖怪を退治するのがお仕事なのね。……そう言えば前にもそういう女の子に会った事があるわね」

「えっ?」


 今、さくらは驚くべきことを言ったのではなかろうか?

 佐夜香以外の「妖怪退治する女の子に会った」

 必然と友人である八潮やしおの巫女を連想する佐夜香。


「その子に会った時も、桜が満開の時期だったわ、丁度こんな風に。花を愛でる心は妖怪も人間もそう変わらない……。見て、こんなに綺麗よ」


 聞きたいことがあるのだが、つられて桜の木を見る。確かに見事な桜だが、佐夜香には黒く禍々しく映る。


「貴女にそう見えるのは、木が伝えたいことがあるからではないかしら? 貴女だけに伝えたい何かが」

「木が私に伝える?」


 不可解な事を言う人だ。今日ここへ着いたばかりの佐夜香に木が何を伝えるというのか? 桜の花が黒く見えたのは佐夜香だけではない、虎丸もそうだ。


 いや、まてよ? 佐夜香と虎丸の共通点とは……?


 ……暫し考えた佐夜香だが解ら無い。

 それよりも先程の妖怪退治する女の子のことが気になる。


「先程仰った妖怪退治する女の子…むぐっ?!」


 それ以上は言うな、とばかりに口元に指を当てられた。


  蛍火に 忍ばぬ花を 望むれば

  身を忘るるや 心あらずに


「???」


 突然さくらは短歌を読んだ。

 面食らう佐夜香に


「今の歌に答えが隠れているわ。貴女にわかるかしら?」


 何時筆を走らせたのか、歌が書かれた紙を渡した。


 と、その時、


「おぅ、ここに居たか。……さよちゃん?」


「あらやだ、んもう! じゃ、またね、さよちゃん」

「あ…」


 虎丸がこちらに来るのを見ると、さくらは足早に去って行こうとする。それを見て虎丸はこちらに走ってきた。


「ありゃ、もういねぇ。今の美人はさよちゃんの知り合いか?」

「いえ、今しがた会ったのです。お花見に来たとか」


 そう言って振り返ると、もうさくらの姿は何処にもなかった。


「おいおい、部外者は入れないはずだぞ? ……あぁ、もしや『これ』かもな」


 そう言ってだらんと両手を下げて見せる。


「まさか! 足もありましたしそれに、式の反応がありませんでしたから」

「ふぅん…おっとそうだ、さよちゃんを呼びに来たんだった。本堂に行こうぜ、幽霊を捕まえる作戦だと」

「わかりました。準備してすぐ参ります」

「さっきの部屋の奥の部屋だ、先に行ってるぜ」


 虎丸去っていくのを見送ると桜の木を振り返る。


(今の人が幽霊? まさか、ね)


 薄暗くなった寺の境内で風に吹かれ、相変わらず桜の木は黒い花びらを撒き散らせている。ふと、何かが目に付いた。


(あ、……ほたる


 あおく光る蛍がふわふわと一つ、また一つ。

 徐々にその数は増え、幻想的な風景を生み出し始めた。


(綺麗……桜に螢なんて絶対に拝めない筈なのに)


──身を忘るるや  心あらずに


「!」


 そうだ、自分は呼ばれているのだった!

 我に返るとさくらから貰った紙を握り、小屋へと走るのだった。

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