まほろばのトラの章

まほろばのトラの章 其ノ一


 麗らかな春も過ぎ、ケノ国北部は梅雨を迎えていた。今年はいささか雨が少ないと思われていたが、皐月さつき(現在の五月)も中旬に入ると待っていたかのように毎日雨となるのだった。

 星ノ宮の巫女は占いを試みるも、八潮の里が天気が変わりやすい土地柄のせいか、なかなかうまくいかないようだ。ただ例年に比べ、今年の収穫は「やや吉」らしい。


 降りしきる雨の中、例の二人は神社の離れで読書をしていた。勿論星ノ宮の巫女である志乃とその友人のイロハに他ならない。イロハは暫く神社から足が遠のいていたのだが、梅雨の到来と共に連日泊り込むようになっていた。志乃としても退屈しないので「居るな」とは言わない。何処かわからない所へ行ってしまうよりかは目の届く場所にいられた方が安心する。


「う~ん…暇だぁ……。何か面白れぇことねぇかなぁ」 


 幽霊から貰ったという貝合わせで遊んでいたが、イロハはどうやっても志乃に勝てない。なら百人一首を全部憶えてやる、と意気込んだが漢字が読めず、遂には飽きてゴロンとなった。


「悪い妖怪でも出ねぇべか…」

「縁起でもないこと言わないの」


 占星術せんせいじゅつの書物に目を通していたが、イロハが気になり集中できない。だが言う事もわからんでもなく確かに暇だ。これから夏を迎え妖怪も活発化するので忙しくなるだろう。今こそ休んで英気を養うべきなのだが……。


「ね、明日晴れたら旅にいこっか?」

「どこさ行ぐ?!」


 カビが生え、腐ろうとしていた妖怪の死体が復活する。


「程よく遠出ってとこかしら。ここから八里くらい(一里は現在の約4㎞)のところに『那珂なかの里』って里があるの。『まほろばの里』って呼ばれてて、とても綺麗な里らしいわ」


 那珂はここから東南にある里で、百年ほど前から水戸藩領となっていた。日ノ本で最初に金山が出た場所であり、温泉宿などが有名である。遠出としては丁度いい場所なのではないだろうか。


「よし! そうと決まれば照る照る坊主さつくるべ!」


 紙を持ち出して不恰好な人形をつくると、軒下へ吊るしに行った。にじんだ墨でぐちゃぐちゃになった顔の人形は初めから針が刺さっている。


──シノ 遠く行く 余り良くない


 唐突に志乃に聞こえてきた声!

 最近どこからともなく声が聞こえるが、イロハのいたずらなのだろうか?


「イロハ何か言った?」

「ん? 何も言ってねぇぞ」


 聞かれてきょとんとするイロハ、反応からして嘘とは思えない。イロハは鼻がよく利く上に耳もいい。どうやら志乃以外に声は聞こえないらしい。


──那珂行くならトラ居る トラは前の巫女の友


「どういうこと?」

「……志乃どうしたんだ? さっきからおかしいぞ?」


 不思議そうなイロハを適当に誤魔化し、布団を敷いて早めに寝ることにした。明日は外出の許しを得るため、小幡こばた神社に寄らなくてはならない。

 寝付けず何度も寝返りをうつイロハ。明日はちゃんと起きれるだろうか。隣で横になっていた志乃は、もっと早くにイロハを誘うべきだったかな、と思うのだった。

 それにしても先程の声『前の巫女』と言っていたが、それは以前この神社に住んでいた巫女の事だろうか? 星ノ宮神社は大分昔、やはり巫女が住んでいて妖怪退治を行っていたらしい。志乃はその巫女について小幡に聞いてみたことがあったが、何故かいつも言葉を濁されてしまうのだった。後から知った事だがどうもろくでもない人物だったらしく、いつの間にか興味が失せてしまっていた。


 目が覚めると既に朝を迎えていた。


(……少し寝過ごしたかしら。あれ?)


 隣を見ると布団にイロハがいない、何処へ行ったのだろう? そのうち出てくるだろうと思って朝餉あさげの支度を始める。外を見ると雨が止んでいた、今日は晴れそうだ。


「ただいま~」


 配膳はいぜんしているとイロハが帰ってきた。どうやら待ちきれずに神社の周りを散歩していたらしい。見ると着物に泥がついている。


(こいつ、はしゃいでて転んだわね…)


 仕方なく自分の着物を貸す。

 朝餉を済ませるとイロハは自分の着物を洗濯しに外へ出た。


 まずは小幡神社に寄ることにした二人。空は嘘のように晴れ、道草が日に照らされキラキラと輝いている。雨で増水した川を渡り、牛の鳴き声のする民家を過ぎると小幡の並木が見えてきた。

 石段の下に社中の人間がいたので取次ぎを頼むも、丁度小幡の宮司は不在らしい。どうやら夏に開かれる大掛かりな祭の役員になったようで、去年から度々出かけているのだそうな。


「三日程神社を留守にするので伺ったのですが」

「それでしたら問題ないと思います。宜しく伝えておきますのでどうぞ」


 もしかしたらこうなることを知って事前に社中へ伝えていたのかもしれないな、と志乃は思い、宮司の心使いに感謝した。小幡の宮司は高齢だがよく気の利く人間で、大変世話になっている。里の人間の中で最も信頼している人物であり、志乃の良き理解者でもあった。もし小幡の宮司がいなかったら今の自分は存在しなかっただろう。

 宮司から渡すよう言われたという手形を受け取ると、イロハを連れて那珂の里へと赴くのであった。

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