星ノ巫女番外編 歌詠み幽霊 下


 黄昏時たそがれどき、志乃は汐鎌しおかま神社へやって来た。町は何処も桜の花真っ盛りで陽気な雰囲気に包まれている。夕日に相まって、花は一層の気品さを引き立たせていた。


 ここ汐鎌神社でも見事な桜を咲かせており、時折参拝客が足を止めては花を愛でているのだった。本殿に向かう途中で阿吽あうんの形をとった狛犬こまいぬが目に付く。ああそうだ、イロハは居らず、今回は一人なのだ…。

 挨拶もそこそこに、志乃は早速始めることにした。人払いをした本殿に四方蝋燭ろうそくを立て、中央に鎮座し待ち構える。時折吹く風が外の木々を揺らし夜の寂しさを際立てている。じっと燃える蝋燭を見つめると火がゆらゆらと生き物の様にらいで見える。まるで里に自分しかいなくなったような錯覚にとらわれた。


 四半刻(30分)ほど待っただろうか。

 一本の蝋燭の火が、ボッと音を立てて消えた!


(来た! 向こうね!)


 暗がりの中、錫杖しゃくじょうを掴むと左手に向きを変え、目を凝らす。

 息を殺し、扉に近づいてゆっくりと外を伺った。


 すると桜の木の下に、うっすらとした人影があるのを見つけた!


(あれが幽霊の正体……?)


 人影は木を見上げるように立っており、振袖を着た若い女性のように見えた。じっとして動かない様子だが、耳を澄ませると唄のようなものが聞こえてくる。

 志乃は意を決し、相手を驚かせないよう静かに本殿を出た。境内を歩くと敷き詰められた砂利が音を立てる。


(……どうか見つかりませんように)


 だが流石に幽霊は気がついたようで、一瞬近づいてくる志乃の方を向いた。

 幽霊の顔を間近で見た志乃は、思わず驚き足を止めてしまった。


──なんて綺麗な女性なのだろう。


 背中まで延びた長い黒髪に透き通るような肌をしたその顔は、息を呑むような美人だったのだ。振袖姿が上品な古風さを漂わせ、落ち着いた雰囲気がまるで大和撫子そのもの。どこか遠くを見つめるような危うさが桜の木と一体となり、まるで一枚の絵から飛び出したかような情景であった。

 一瞬ちらりと志乃を見た幽霊だが、まるで興味が無かったかのように、また桜の木を見上げる。


(……)


 この時志乃は人外と対峙し初めて迷いが出る。たとえ幽霊でも桜を鑑賞してる者に「出て行け!」といきなり怒鳴りつけるのも無粋な話ではなかろうか。死霊に話しかけ命をとられた、という話も何処かで聞いたような気もするが……。

 戸惑っている志乃を知ってか知らずか、幽霊は桜を見上げなから口を開いた。


『御魂をば 無くし彷徨い 八重桜……』


(!?)


 幽霊が歌をんだ!


 だが続きを詠もうとせず、途中で止めてしまった。もしかしてこれは続きは作れということだろうか? 志乃は思案したが中々思い浮かば無い。幽霊の立場になって歌を考えろ、など無理な話だ。


「…み、」

『……』


「御魂をば 無くし彷徨い八重桜

   愛でる心は 死せど忘れじ……」


 幽霊を見ていてパッと心に浮かんだ言葉を口に出した。


(……だ、駄目かしら?)


 志乃の歌を聞いた幽霊は目を見開き、ハッと志乃の方を向く。

 まるで初めて気がついたかように。


 まじまじと見られ、顔を赤らめる志乃。幽霊は嬉しそうな表情を見せると傍に来て満面の笑みを見せた。まるで桜が開花したような、ほんわりした笑顔であった。

 二人は境内にあった大石に腰掛けると暫し談笑する。聞けばこの幽霊は自分が何で死んで、どうしてここにいるのかわからないらしい。己の死に場所が見つかれば成仏できると考え、日ノ本中を旅しているうちにケノ国へと迷い込み、出られなくなったのだという。


「ケノ国の周りに結界が? そんなの初耳だわ!」

「間違いないわ、出られないの。私、結界破り得意なのだけど…」


 さらりと凄い事を言う幽霊だが、ケノ国の結界の話も気になる。この国だけ妖怪が活発なことと何か関係があるのだろうか?


「さて、そろそろおいとましないと。これ旅先で手に入れたの、かさばるから貴女にあげるわ」


 箱を手渡すと幽霊の姿は消えてゆく。また旅を続けるというのだ。


「待って! 貴女の名前聞いてない!」

「さくらと申します。また会いましょう、志乃ちゃん」


 微笑むと幽霊は、風に舞う桜の花弁へ隠れるように消えた。


「また会いましょう……ね」


 手渡された箱を見つめそう呟く。

 結局、あの幽霊は何者だったのだろう?


 吹く風が心地よく感じる

 春の夜の不思議な出来事であった。


星ノ巫女番外編 ─歌詠み幽霊─  完

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