星ノ巫女番外編 歌詠み幽霊 上


 人攫い事変から一か月後、星ノ宮神社は春を迎えていた。社は芽吹いた木に囲まれ山桜がちらほら咲いている。

 だが八潮の町中まちなかの桜には及ばず、訪れる人間の足も遠のいていた。まぁここは神社というより世間的には妖怪討伐の詰所だ。志乃が住み着く前からそんな感じだったらしいので仕方がない。それでも最近は以前より人が訪れるので念入りに掃除は行う。一人で行うには大変だったが志乃にとっては日課でもあり、左程苦にはならない。


(最近イロハの奴あまり来ないわね…。まさかこの間の妖怪のところに?)


 あらかた掃除の片付いた志乃は、人攫い事変のことを思い返していた。姑獲鳥を倒したあの時、志乃は止めを刺さなかった。それは甘さからの判断ではなく「引き際と攻め際を間違えるな」という師の教えからだ。殺さずに済むと知ったイロハの笑顔は今でもよく憶えている。まさか後日、一緒にその妖怪の所へ訪れることになるとは考えてもいなかったが……。



──シノ……志乃!


「!? 誰!?」


 ぼーっとしていたところ何者かに呼びかけられる。

 ……誰もいない、空耳というやつだろうか?


──志乃 具合悪い? 寂しい?


 今度ははっきり聞こえた。不思議な調子の声で、男とも女とも区別がつかない。

 むじなにでも化かされているのだろうか?


──貉違う 妖怪じゃない


「どこにいるの? 一体誰なの?!」


──いつも志乃と一緒にいる 前に志乃怪我した それ治した


 言われて志乃は、はっとする。戦いの最中、姑獲鳥に負わされた傷が一日で治っていたのだ。傷をつけた本人に見せた時には既に影も形も無く、非常に驚かれた。


「なら一言お礼が言いたいわ。お願いだから姿を見せて」


 ……今度は返答が無かった。

 貉でないなら一体何であろう?

 まさか神か!?


「あなたは星ノ宮様なのですか!?」


──志乃 誰か来た


『あのー……』


 はっと我に返り、横を向くと見慣れない男がポカーンとこちらを見ていた。きっと独り言を言う変な娘と思われているに違いない。顔を赤らめ咳払いでごまかす。


「……すみません、邪魔をしました。神様とお話をされていたのですね」

「!? ぅ…………はい」


 この場合肯定しても否定してもまずい答えだと思った。究極の選択だがここは神社だし、肯定した方がなんぼかマシと考えたようだ。


「……申し遅れました。私、汐鎌しおかま神社から参った者です」

「汐鎌神社……」


 汐鎌神社とは町中にある神社で、星ノ宮はその分社にあたる。


「本日は星ノ宮の巫女様にお願いあって参ったのです。何とぞ、お力添えをして頂きたく……」

「たとえ汐鎌社中でも小幡神社からの依頼でないと動けません。まず小幡にご相談の上、依頼書を…」

「それができんのです!」

「はい?」


 男の話によると、今は汐鎌神社の宮司が不在だという。

 ところが数日前から神社に奇妙な出来事が頻繁に起こるようになり、社中一同難儀しているとの事。昼夜問わず物音がしたり、奇妙な声がするのを何人もの人間が聞いており、中には幽霊のようなものを見た、と言う者が出る始末。祈りまじないなど万事手を尽くしたが、まるで効果は無かったらしい。

 実は以前にも似たようなことが起きたのだが、その時厳格であった宮司から

『日頃の精進が足りぬからこのようなことが起こるのだ!』

と、酷く叱責しっせきされてしまったのだった。宮司が戻る前に、内密かつ早急に解決して欲しいと言う。


──志乃 行こう きっといいことある


「いいこと?」

「いい? ああ、そうか! 今『よい』と仰ったのですね!? では先に帰りお待ちしています!」

「え? 違っ! 待って!!」


 男は逃げるように石段を駆け下りて行ってしまった。仕方なく今回だけ汐鎌神社へと向かうことにする。あまり小幡に迷惑を掛けたくないが、すぐ済ませて帰れば問題ないだろう。しかしあの声は一体何だったのか? 何度か呼びかけたが再び声が応じることは無かった。

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