まほろばのトラの章 其ノニ
お天道様が天辺まで登った頃、志乃達は山を三つ越えた所にいた。道中のイロハは初めて来た場所に色々目移りし、これは何だ、あれは何だと一々志乃に聞いてくる。時折飛び跳ねたり川に石を投げたりとはしゃぎまくりだ。今まで雨で
いや、もしかしたら篭りきりだったのは、神社に来る以前からなのかもしれない。イロハは
(そういえばどうしてイロハは山を降りて里に来たんだっけ。修行、とか言ってたけど、那須山を飛び出してきちゃって本当によかったのかしら)
今更尋ねてみようかと思ったがやめた。嬉しそうに歩いているイロハを見ると、聞いてしまったら「今」という時間が壊れてしまいそうな気がしたからだ。とにかく今は見たことの無いものを見て貰い、色々なことを教えたい。山に篭っていては経験できないことを知ってもらう、それを今回の旅の目的にしよう、そう志乃は考えた。
峠の茶屋を見つけたので立ち寄って
『山だらけなのは良いけれど、結構人の手が入ってしまってるわ』
『そうなのですか?』
『貴女地元でしょ? しっかりなさい。あれも、あそこの木も人が植えたもの。
まだ木が生えてるだけマシ、という世の中になってしまうかもしれませんわね』
『…そのようなこと、考えたくありません』
何処ぞの奥方とその従者だろうか。一風変わった二人に志乃は釘付けとなる。特に奥方と思わしき旅人のなりに目を引かれた。
(金色の髪……異人かしら?)
結った金色の髪に紺の着付け姿。器量も良く、志乃が溜め息をつきそうになる位に胸が大きい。身の丈は今座っているのでわからないが、立てば六尺(約180cm)近くあるのではなかろうか。
(異人ってみんなあんな感じなのかしら。というかあの格好でこの峠道を?)
人目につくのは元より、峠は歩きづらそうである。
一見、素浪人の様な従者の方は後ろに髪を束ねた女性であった。歳はやや上のように見えたが脇差を差している以外はごく普通の旅姿だ。会話から察するに、あの女の旅案内か用心棒なのだろう。
店の奥から茶屋の主人が現れ、頼まれた物を運んできた。その時、従者と思わしき女が驚き主人に食って掛かる。どうやら頼んでいない物まで出されたようなのだが、問題はそこではなく出された物自体に問題があったようだ。
「なんだコレは! 何故この時期にある!?」
「確かに時期物じゃござんせんが、ちょいとした事がありまして…。御代は結構ですので是非召し上がっておくんなしょ」
従者の方を見てニヤニヤすると、主人は店の方へ戻っていった。
ケノ国名物「しもつかれ」。節分の後余った大豆や
「あら、美味しいじゃない。好き嫌いしては駄目よ」
「……はい」
客のやり取りを聞いていると、店の主人が志乃達の頼んだものを持ってきた。
「頂きます」
毎度思うが手を合わせて行儀よくする様は流石お姫様だ。普段を見ていると家の
イロハはにこにこしながら焼き飯をほおばり始めたが、志乃は二人の客が気になり、ちらっと様子を伺う。金髪の女は美味そうにしもつかれを食べていた。一方の従者の方は、苦虫を嚙み潰したような顔で飲み込むとお茶で喉へと流し込んでいる。余程しもつかれが嫌いなのだろう。
(あれは何?)
ほんの少しだが違和感を感じた。しもつかれを口に運んでいる女の顔が、一瞬だけぼやけて見えたのだ。それに顔の上半分に何か黒い影のようなものが……。
「志乃どした? いらねぇなら貰っちまうぞ~」
「あ、駄目よ! 今食べるんだから!」
取られそうになった団子を守り再び女を見る。今度は何事も無い、錯覚だろうか。梅雨に入る前はあれやこれやと多忙だったので職業病にかかってしまったのかもしれない……。
二人が食べ終わると丁度旅人二人も席を立つところであった。志乃が勘定を払っていると、気さくにも金髪の女がイロハに話しかけてくる。驚いたイロハだがすぐ嬉しそうに馴染み始めた。
「可愛いお嬢さんね。旅をしてらっしゃるの?」
「オラ達、今から
「もう少し峠を歩かないといけませんわね。気をつけて行ってらしてね」
「うん! 姉ちゃん達も!」
旅人達は微笑みながら手を振り、志乃達が来た方向に歩き始めた。
──その時だった。
一瞬、志乃は周囲の動きが止まっているかような錯覚を覚えた。そして正面にあの金髪の女がこちらを向いていたのだ。無表情だが獲物を捉えた蛇の様な丸い目で。
その例えようの無い恐ろしさは、身の毛がよだつなどというものではなかった。
殺意そのものの様な、血も凍り付くほどの
まるで心の臓を鋭い何かで、えぐられる様な痛みを感じたのだ。
「っ…!」
「どした?」
「……ううん。何でもないわ、行きましょ。暗くなる前に宿に着かないと」
心配するイロハだが、何事も無かったように歩く志乃を見て一緒に歩き始める。
「オラ、人間はみんな黒い髪してると思ってたけど、そうでもないんだな」
「……イロハ、さっきの人の顔見た?」
「優しそうな人だったべ。もう一人の方はそうでもなかったきと」
「そう」
「でも……」
「でも?」
「何となくだきと少し怖いって思った。やっぱしオラがまだ人慣れして無いせいだべか……」
峠の道はまだ続く、不安を残しながらも旅を続ける二人であった。
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