第16話 モブキャラの意地―②


 手のひらや足の裏がなんだか妙に熱く感じるときというのがあると思う。寝苦しくて足の先だけを布団から出したりする、そんな熱さ。

 でも、あれはあくまで血行だとか神経だとかの問題によって発生する熱であって、つまりは炎の熱さとは違う、人体が出せる範囲の熱だ。

 これは違う。

 手のひらの皮を内側から火で炙られているような熱。

 どんどん熱くなる右手のひらを、僕はまっすぐ前へと突き出す。

 熱気が渦を巻く感覚。

 指先がちりちり焼けるような熱さとともに――僕の手の中で燃え上がる、バスケットボール大の炎の球ファイアーボール


「……行け!」


 掛け声とともに念じるだけで火球は僕の手を離れた。ドッジボールだって僕はこんなに早く投げることはできない、そんな速度で猛然と飛んでゆき――

 黒い瘴気をまとう骸骨の胸骨を砕いて炎ははじけた。

 炎は一瞬のうちに乾いた骨身を燃え広がっていき、骨が焼ける小気味いい音とともに火だるまになった骸骨が崩れ落ちる。

 灰と化すしもべを無感動に眺めながら、藍原さんは腕を組んでいた。


 ――《ファイアーボール》。撃ててしまった!


 現実ではまず見たことのない複雑なデザインに、シミでも付けようものならひどく目立つであろう白一色。改めて確認するとこの制服はコスプレか何かのようで気が抜ける。

 けれど、この手の熱は本物だ。

 こつん、こつんと二回立て続けに藍原さんが鎌で地面を突く。

 黒いシミからずるりと二体同時に骸骨が這い出してきて――

 二体同時に、焼け崩れた。

 両手に炎の球を浮かべた僕。

 藍原さんは不敵な笑みを浮かべている。


「……えっ、……と、……次は、当てます!」


 ドッジボールを振りかぶるように、右の火球を振りかぶる。

 脅してこの場は帰ってもらうか、それとも徹底抗戦か。

 どこまで戦う? ぶちのめして終わりか? それとも……、それとも、

 殺すまで?


「いいよーしゅとーくん。ほんっと、いい。……それ当てちゃうんだ? あたしに? 本気で?」


 《ファイアーボール》は小学校で習うような初歩中の初歩、そういう魔法という設定だ。だからこそ、モブの僕にだって問題なく使えているわけで。

 でも、初歩だろうとなんだろうと――当たれば、死にかねないよな、これは。

 こめかみに冷たい汗が浮いた。炎の熱気で手汗はかかない。

 藍原さんは挑発的なまなざしを僕に向けるだけだ。

 息を呑んだ喉がごくりと鳴った直後、

 藍原さんが一歩踏み出し――


 ほとんど反射で投げた火球が、彼女の顔面を直撃した。


 色の抜けた真っ白な髪を爆風にさらさらと揺らしながら、

 わざとらしく、嫌みっぽく見えるほどに――藍原さんは、首を反り返らせた。

 そしてすぐに戻ってきた。



 バスケットボールでもぶつけたほうが、まだ痛そうな顔をすると思う。



「いい。……ほんっと、いい。もう、ほんっ、と典・型・例! あたし君みたいな人大好きだよ。わかるよ。――期待しちゃうよね?」


 焦げ目のひとつもつかない顔で笑うその声は震えていた。

 腹の底から湧き上がるおかしさを、必死に押さえ込んでいるようだった。

 

「かわいそーな女の子がボロボロで自分のとこ転がり込んできてさ。それ守るために立ち上がった今の俺は最高に主人公してるぜって。……勘違いしちゃうよね? わかるわかる。わかるけどねしゅとーくん、もー……ちょい、もーちょいでいいから考えてみてほしかったなぁ……」


 からん、と鎌の柄で一度地面を突いた藍原さんのその仕草は、

 錫杖を鳴らす僧侶にも似て――


 全身が総毛立つような悪寒をそのとき感じ取って、とっさに《リフレクト》と口の中で呟いたのは、モブにしては上々の反応だったと思うのだが。



「その程度で主人公になれるならー、――あたしらもこんな苦労しないっての!」



 何が起きたのかまったく見えなかった。


 光の壁が粉々に砕け散る甲高い音が耳に飛び込むと同時、視界が真っ黒に染め上げられるような感覚が一瞬だけあって――

 猛烈な圧力を全身に食らって後方へぶっ飛ばされた。

 えげつないほど背中を擦りながらアスファルトの地べたを転がった僕は、公園近くの民家の塀にぶち当たってようやく停止。えげつないほど背中を打って、えげつないほど咳き込んだ。

 その音が妙に水っぽいと思ったら、口元にやった手には鮮血が。

 遊具は残らず薙ぎ倒されて、花壇では黒い炎が燃えている。藍原さんの一撃で公園は綺麗に均されてしまい、でも、平らになった公園の真ん中でCGみたいな黒灰色の炎に囲まれ仁王立ちを決めるゴスロリ姿の白髪少女――というのは、かなり現実感を削ぐ光景で、

 なのに、この手を濡らす血の色は、どうしようもなく現実で。


「敵うと思った? モブキャラ風情が。クラスⅢのこのあたしに。――主要人物相手にさあ! 主役ヒーローやれるって本気で思っちゃった!?」


 藍原さんが使っているのは『魔法少女は一人でいい』、僕が世界弾にしたのは『魔法学校以下省略』。どちらも扱うのは魔法だが、これらはまったく違う作品だ。

 だから、それぞれの作品に出てくる魔法少女や魔法使いを比べて『どちらが強い?』と問うことは、ファイナルファンタジーの火属性魔法とほのおタイプのポケモンの技はどちらが強いか比べるような、意味のない行為だろう。

 が――それでも、感覚として。

 たんパンこぞうの繰り出すオニスズメと、最強の召喚獣バハムート。どちらが強いだろうかと聞かれて、答えに迷うことは――ない。

 そしてそのバハムートは今、花が咲くような満面の笑みを浮かべていた。


「ほんっ……とどうしようもないよね灰塚ちゃん。ねえ、ぶっちゃけどう思った? どうしようもなくなって逃げてきて、誰かに助けてもらおうとして、それで……」


 駆け寄ってくるかすかな足跡に、とっさに振り返――ろうとして、また咳き込んで大量の血を吐いた僕に、鏑は怯えたように足を止めた。


「一か八かですがった相手が。王子様じゃない、救世主じゃない――雑魚モブだってわかったときどう思った!?」


 藍原さんは腹を抱えて笑った。手を叩く代わりに鎌で地面をがんがん突きながら笑った。

 僕の懐から転げ落ちていたらしい銃。その銃を拾おうとしてかがみ込んだ鏑は、けれど、立ち上がろうとしない。

 震え上がるほどの落差をもって藍原さんの声が冷えた。


「人脈がクソ。主役ヒロイン失格。その銃返してさっさと死にな?」


 振り上げた鎌の三日月の刃がどす黒い光を纏う。

 いまだ公園のあちこちに残る黒い炎が呼応するように揺れ――


 鎌を弾き飛ばす勢いでぶつけたつもりの《ファイアーボール》は、ビーチボールみたいに軽く跳ね返されるだけで終わったが。

 藍原さんの注意は引けた。


「……ああ、そうだった。もっかい聞いてみよっかな?」


《ファイアーボール》を両手に浮かべた僕に、そういや君もいたんだっけねくらいの視線をちらりと向けて。藍原さんは、提案する。


「ここで灰塚ちゃんを見捨てて自分だけ逃げるって宣言してくれたら、君だけは無事に帰してあげるよ。その傷もきれいさっぱり消してあげる」


 手のひらを赤く染める血が熱気に乾いていく緊張感。

 呼吸は荒く、額には脂汗が滲む。 


「だって、君にはもともとなんにもないわけだからね。戦う必要も、苦しむ必要も、なんにもない。ただのモブキャラなんだから。……ね、どうする?」


 藍原さんが今浮かべている場違いなほど明るい笑みは、つまりそんな僕をあざ笑うものだった。

 顔の皮膚が妙に冷えている気がする。吐く息が妙に冷たい気がする。『血の気が引く』の意味をこの上なく実感できているような気がする。

 なんとなく違和感を覚えて左下腹部に目をやると、白い制服がそこだけ赤く染まっている。水に浸したようになっている。痛みはないのにいまだこんこんと湧き出る血の気配は存分に感じる。

 やばいなと他人事のように思った。

 どうにかしないとまずいと思った。


「……ごめん、鏑」


 背後に感じる鏑の気配が、僕の声でかすかに震えた。


「……助けに、来た、つもり、だったけど、……僕じゃ、結局、この程度だから。……どうにも、ならない……っぽい」


 一言喋るたびに口の端から血が泡になって流れ出て、両手に出した《ファイアーボール》もだんだん小さく萎んでいく。


「だから、今は、とりあえず……」


 目を細め、口の端を吊り上げて笑う藍原さんのその顔は、悪い狐のようだった。




「逃げる方法、考えて」



 縮んだ火の玉を再点火すると同時、拍手をする要領で二つの火球をぶつけ合う。

 バスケットボール大の炎は二つ混ざり合ってバランスボール大に、そうして膨れ上がった火炎をまっすぐ前方に打ち出すと――

 やはり避けようとも防ごうともせず、炎は藍原さんに直撃した。

 ――だからといって、別に、期待していたわけではないけれど。


「……どうせヒーローごっこやるなら、自分がヒーロー役やりたいって。そう思うのは自然だけどさ」


 もうもうと舞う黒煙の中から聞こえる声はやはり平坦。

 緊張感をそのままに、額の汗をぬぐって一歩下がる。


「あたしはね? ぶっちゃけた話、主人公やるのも悪役やるのもそんなに変わんないなって思うんだ。わかる?」


 どこからともなく吹き込んだ強風が煙を一息に吹き払い、あらわになった藍原さんの顔は――とても穏やかに、凪いだ表情。

 プレッシャーのせいだろうか、目が合った瞬間に咳き込んだ。


「そんなさー、『たとえ力がなくても、女の子を守るために立ち上がる俺!』みたいなのやられるとさあ。いかにもおれらが正義の味方、おれらが主人公です、って顔されると――ノってくるじゃん?」


 いい加減止まってくれないだろうかと不安になる量の鮮血が飛び散り、駆け寄ってきた鏑が傾ぐ僕の体をそっと支え――

 藍原さんは目を見開いて笑った。



「オーケーわかったあたしが悪役だ、おらブッ殺してやるよ『主人公ヒーロー』――ってさあ!」

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