第17話 モブキャラの意地―③


 視界がぐらりと揺れるのをこらえて渾身の《ファイアーボール》を生成、それを足元に叩きつけると爆音とともに黒煙が舞い上がる。こんなものが目くらましになるかといえばかなり怪しいところだが、

 それでも、僕の腕を取った鏑が、一枚の白い羽根を空中に放り投げる時間は作れた。

 強烈な白光が視界を閉ざし、耳元で暴風の吹き荒れる音――


 ――目を開けると、僕は自宅の玄関前に座り込んでいた。


 空の色は、毒々しい紫色。

 息を吐く間もなく鏑から緑色の薬瓶を投げ渡された。


「……《導きの羽根》で出られない。……妨害された!?」


 失血に震える指先でなんとか蓋を開けて飲み干すと、瞬間、僕の体は優しい緑色の光に包まれた。腹の傷がみるみる塞がる奇妙極まりない感覚、でもそんなのに浸っている時間はない。

 紫の空を見上げて舌打ちをした鏑はすぐに家の中へ飛び込んだ。そのため解説が入らないのでここから先は推測になるのだが、《導きの羽根》というのはたぶん『今いるダンジョンから脱出する』『セーブポイントまで戻る』あるいは『戦闘から逃げ出す』系のアイテムだ。おそらく大抵のRPGに存在するであろうアイテム、前回藍原さんとカチ合ったときに道具屋で複数購入したのだろう。

 けれど、なぜだか前回と同じようにはいかなかったらしい。状況確認を終えて立ち上がると、


 ――紫に染まる西の空に、きらりと輝く黒い流れ星!


「鏑!」叫んで振り返るとちょうと鏑が玄関から飛び出してきたところで、

 ――その手に握られたリボルバーの銃口は僕の眉間をばっちり捉えていて!

「どいて!」――銃声!

 はァいと叫んで横に転がった僕の頭があった場所を、漆黒の世界弾が駆け抜ける。

 その弾丸の向かう先は、玄関先、僕のすぐ後ろに停めてある――


「――何すんの!?」

「鍵はある!」あるけどさあ!

 じゃらりと鏑が右手に握った鍵は、父がいつも下駄箱の上に放り出している鍵。

 そして――世界銃が撃ち抜いた父の車は、今まさにめきめきと変形を始めている!


「いや、鏑免許持って――」

「……馬鹿!?」さすがに馬鹿な問いでした!

 近未来的流線型のエアカーと化した車に鏑は素早く乗り込み、対する僕は取っ手のないつるりとしたドアをどう開けたものか思考をフリーズさせ、焦れたように舌打ちをした鏑はそんな僕の胸ぐらをひっつかんで窓から助手席へと引きずり込んだ。足先が車内に収まるか否かのギリギリのタイミングで離陸、さすが2200年というべきか、車は一瞬のうちにトップスピードまで到達し――


 それとほとんど入れ替わりに、我が家に黒い隕石が落ちた。


 破壊に伴う激しい衝撃、飛行中の車体がぐらりと揺れる。窓から身を乗り出して振り返ると、

 にたりと微笑む地上の藍原さんと、ばっちり目が合った。

 魔法少女は空も飛べるらしい。

 さっき一瞬視界に入った速度計が三桁を超えていたのは確かで、


 ――なのに、胸から下を黒い炎に変じさせた藍原さんは平気でついてくる!


 彗星が尾を引くように、黒い霧のような炎を軌跡として残しながら追ってくる大鎌の魔女。『死神』のイメージに限りなく肉薄するその凶悪な姿!

 がむしゃらに打ち出した火球はことごとく霧をすり抜けていくのみで、どうしようもない存在にひたすら追われる悪夢をたまに見るが近い。あれにかなり近い現実が今まさに目の前にある。

 死に物狂いでハンドルを握る鏑が僕の肩を殴り付けた。素手で、ではない。

 なにか固いものが入った皮の道具袋を、乱暴に僕のほうへ押し付けてよこす。


「《テンペスト・メモリー》!」

「――これ!?」黄赤緑オレンジ水色と雑多な色が混じり合う石の中から、たぶん風属性は緑だろうとアテをつけて全力スロー。

 投げ込まれたそのアイテムは鎌の一閃で真っ二つにされたものの、嵐の記憶をその身に封じた(という感じの設定であろう)石は破壊によって暴風を解き放つ。うねる緑色の竜巻が勢いよく立ち上り、体を半分炎に変えていた藍原さんは舌打ちを残して吹き払われた。


 もはや線と化して後方に流れていく窓の外の景色――

 一息、つけるスピードではないが。


「……なんで」


 鏑がそうこぼしたのは、緊張感の一瞬の切れ目。


「来ないで、欲しかったのに、……なんで」


 シートベルトも締めず、前のめりの姿勢でアクセルを踏み込むその姿は――気を抜けば、ハンドルに縋りついてそのまま泣き出しそうなくらい、不安定に見えた。


『巻き込むべきではなかった』という趣旨の台詞を、鏑からは何度か聞いた。

 事実、この状況で僕が役に立っているかはかなり微妙なところ。

 下手をすれば、足手まといになっているとすら言えるかもしれない。


 ちょっとやる気を出してみたところで、僕はただのモブキャラなのだ。

 来るべきでなかったのは、そうかもしれない。


「……あのさ、鏑」


 ――それでも。

 その可能性を考えると、ここで鏑を見捨てて逃げるという道が、どうしても選べなかった。




「友達って……できた?」




 答えが返ってこなかったのは、脈絡のない問いに鏑が困惑していたから――だけではない。

 突如、エアカーのフロントガラスに無数の骸骨がとりついたからだ。


「な……!?」


 窓の外の景色にいくつも浮かび上がる紫色の魔法陣。そこからずるりと這い出してきた骸骨たちは骨ばった手でガラスを叩き、細い骨の指が砕けると同時、フロントガラスに蜘蛛の巣を思わせる亀裂がいくつも一斉に走る。

 反射で《ファイアーボール》を撃ちそうになったがこのまま撃つと車内で炸裂して大惨事、助手席側の窓からなんとか打てないかと思案してしかし風圧は三ケタ時速。

 それでも行くしかないかと窓枠に手をかけ、

 ――真上で、金属が穿たれる悲鳴。



「――まさかとは思うけどさ」



 身を低くしながら見上げたところ、天井からは鮫の背ビレみたく鎌の穂先が突き出していて、


「あれで倒せたとか、逃げ切れるとか、本気で思ってたわけじゃないよね?」


 一閃。

 鉄板はただ鎌の一振りでいともたやすく引き裂かれた。


 裂け目からのぞく死神の笑顔、

 とっさに火球を構えた僕、

 とっさに攻撃用アイテムを取り出した鏑、

 損傷に限界を迎えた車――


 複合要因により、大爆発。


 ギリギリのところで《リフレクト》が間に合って、光の壁が爆炎を防ぐ。

 と同時、隣にいた鏑が僕の胸ぐらを掴み上げ――胸ポケットに、なにか人形のようなものを強引にねじ込んだ。

 その動作の意味を考えようとしたのだが、大前提として。

 爆炎に耐えても、重力ばかりはどうにもならないわけでして――

 大事故を起こす直前にはすべてがスローモーションに見える理論によって、遠く眼下に見える建物に一瞬『JR』の文字を発見。駅前まで飛んできてたのか、などと他人事のように考えて、


 ――たちまちのうちに墜落したエアカーは、ビルの壁面に正面から突っ込んだ。


 頭の中が「死んだ!」の一色で満たされた。

 が、ひしゃげて歪んだ窓枠から僕は勢いよく車外へ投げ出され――フローリングの床を転がりながら、さっき人形をねじ込まれたポケットが光る。

 淡いオレンジの光を放つ人形は、ひとりでに僕のポケットから飛び出すと一瞬だけ空中で静止。直後、粉々に砕け散った。

 壁に突っ込んだエアカーの残骸は、抜きかけのジェンガみたいに不安な位置取りで炎上を続けている。その炎を間近に感じながら立ち上がり、何事もなく立ち上がれたのはつまり『持っていると一度だけダメージを無効にする』系のアイテムだったんじゃないかと推測するが――


 ぐらつく視界の片端で、倒れ伏した鏑が呻いている。


 近くに人形の破片があったから最低限の身は守ったはずだが、それにしたってかなり無茶苦茶なスタントだったのは間違いない。倒れた鏑の右手には銃、左手には革袋。ポーションを飲ませるべきかと袋を漁るもなんと薬瓶が割れていて、これはあくまで現実なのだとそんなところでアピールしないでほしい。

 肩や頬を叩いてみても、鏑は呻くばかりで起きない。

 舌打ちをしてあたりを見回し――


「四階か」という理解のほうが、「ここはどこだ」よりも早かった。


 壁をずらりと埋める新作準新作のラベルが貼られた棚と、片隅にぽつんと鎮座しているオール百円の中古DVDワゴン。

 ダイナミックにもほどがある入店のせいか、倒れた棚とそこから零れ落ちた無数のDVDが地震の後みたく床中に散乱しているが――駅前の本屋だ。本屋といいつつ一階が新刊・二階が古本・三階がトレーディングカードゲーム・四階がレンタルDVD店という雑多な構成になっている、その四階。

 好都合かもしれない。

 床に散らばる無数のDVD――言ってみれば、ここは弾薬庫。

 来る前にも図書室を漁って使えそうな本を探しはしたが、電車の時間が迫りくる中で見つけられたのはSFやファンタジーが数冊。モブと悪役の役が変わらない以上、起死回生の一手にはなるまい。

 が、しかし。現状の戦力差を覆す、世界観を根本から書き換える弾――ここになら、そんな作品があるかもしれない。


 苦しむ鏑にそっと謝罪して、その手に握られた拳銃を抜き取る。

 散らばるDVDを一枚一枚拾い上げ、使えそうながないか検分……するが、こんなペースで間に合うわけが――


 ――つい先ほども聞いたばかりの、金属が切断される音。


 車体の前半分だけビルに突き刺さる格好だったエアカーが、ずるり、ずるりと、滑るように、少しずつ後ろへズレていき――


「はーい。元気にしてましたー?」


 綺麗にひらけた大穴の中心で、死神が手を振っていた。

 落ちた車が地面に激突する音を合図に《ファイアーボール》を連打する。


「初めてのわりには、ばんばん撃つよね。もう魔法が使える体に慣れちゃったかな? んー? ……?」


 が、藍原さんは避けようともしなかった。

 立て続けに命中した火球は、轟音と共に火柱をぶち上げて――

 でも、火柱の中からは、ごく平然とした声が続く。


「かわいい女の子助けるイベントがマジで自分の人生に回ってきて。不思議な力がマジで使える状況にテンション上げちゃって。この子を助けるのが僕の使命なんだー、って。要するに……」


 ゴシックドレスには焦げひとつなく、その顔には火傷のひとつもなく――

 炎の中から悠然と踏み出てきた藍原さんは、涼しい顔。

 部屋のあちこちで燃え残る火種が、大鎌の刃に映り込んできらめく。

 まとわりつく恐怖を振り払うように。

 特大の《ファイアーボール》を、渾身の力を込めて撃ち出した。


「今のしゅとーくんは、だけ。あたし、ほんとに大好きだよ?」


 が、野球でもするみたいに鎌をふざけて構えた藍原さんは――僕の放った渾身の火球すら、フルスイングで切り裂いてしまった。

 そしてその姿勢で一瞬静止、ねじった体の戻る力で――


「そーいう『酔ってる人』がさあ――だんだん酔えなくなってくの見るの!」


 返す刀で逆向きにフルスイング、津波のような衝撃波が床を走る。

 《リフレクト》は寸前で間に合ったが間に合ったところであまり意味がなく、僕の体はDVDの棚に激突して棚と一緒に倒れた。

 雪崩のように滑り落ちたDVDの山を見て、アニメの棚かと考えるくらいの余裕が意味もなくあった。 


「洒落にならない怪我するとみんな一気に酔いが覚めるんだよ。二人ともそんな感じだった」


 二人って誰だろうと考えて、妙にスムーズに答えが出た。

 藍原さんが使うのはクラスⅢ。魔法少女が一人死ぬごとに、使える魔法のクラスは上がる――


「それでもほんと面白いのがね、みんな大抵なんだかんだ信じてんの。きっと自分は主人公なんだって。こんなとこで終わるはずないって」


 ――制服の腹の部分がすっぱり綺麗に切られていたものだから。

 よせばいいのに、僕はその傷口をそっとなぞってしまった。


「今こうやって追い詰められててもね? きっと土壇場で、胸の役柄がモブから主人公に変わるんだって。そーいう覚醒イベントがあって、それで華麗に逆転して、そっから話が進むんだって信じ込んで――」


 タイヤ切ったらこんな感じかな、と。

 分厚いゴムを切ったその切断面に手を突っ込んだような、そんな気分になった。



「――やっぱり駄目そうだってうすうす感づいてくときの顔が好き」

「それでも最後まで諦めない諦めたくない諦めたら死んじゃうからって一生懸命信じようとする顔が好き」

「そんで結局信じ込んだまま死んでいくときの顔が――ほんっと、大好き!」



 ――劇場だった。

 演技過剰、いっそ嘘くさいほど、やりすぎなほどの悪役だった。

 でも、この役者はテレビの画面越しに眺めるものではなくて、

 傷口を撫でた僕の手には、撫でただけにしては多すぎる量の血が付着していた。


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