【魔法少女 vs オタク】彼は主人公ではない。それでも…
第15話 モブキャラの意地―①
僕がどれだけ焦ったところで電車が加速するわけではなし、けれどはち切れんばかりの焦燥感、気分が悪くなるほど心臓が早い。
停車と同時に一目散に電車を飛び出し改札を抜ける。すれ違う人々が眉をひそめて奇異の視線を向けてきて、本当に申し訳ないけれど、今の僕には時間がない。
スマホを握りしめて駅を出る。ホーム画面は五時三分、間に合ってない――
――液晶画面に目を落とした瞬間、ぐらりと世界が大きく揺れた。
地震でも来たかのような揺れ、一瞬平衡感覚を完全に失って僕は膝をつく。喉元までせり上がってきた気持ち悪さをなんとか飲み下し、なんだ、と頭を振って立ち上がると、
空が紫色になっていた。
駅前の街並みをそのままに、空だけがおかしな色になっている。
一面、絵の具でベタ塗りしたような、異様であると一目で理解させられる濃い紫色。
通行人が一人もいない。さっきまで走る僕を迷惑そうに眺めていた人々が忽然と消え失せ、見渡す限りに人間は僕一人。
――魔法少女というのは、『結界』と呼ばれる異空間を展開する力を持つ。『魔法少女は一人でいい』の作品における設定だ。
街中に現れた魔物とそのままドンパチするのでは目立ちすぎるから、展開した異空間に魔物を引きずり込んでそこで戦う。作中では『別のレイヤーに移る』『世界にいったん薄布をかぶせてその上で戦うようなイメージ』などとふんわりした語で説明されるが――早い話が、現実世界とそっくりそのまま同じ世界をもうひとつ作っているようなものだ。人がいないのと、空の色合いが不気味なものに変わるのと、それくらい。
この異空間に立ち入れるのは、展開者である魔法少女が許可した相手のみ。
中盤以降、魔法少女同士の殺し合いという構図が本格化してからは、この設定は『死体の後始末を気にすることなくライバルを殺す』方法として主に用いられる。狙いを定めた相手を異空間に引きずりこんで殺せば、死体が見つからない以上現実で殺人の罪には問われない――
要するに。
見上げるこの空が紫色なのは、つまり――引きずり込まれたということか? 僕も?
ライバルを秘密裏に殺すための空間。
藍原さんは今この場所で何をしようとしているのか? 考えるまでもなく、怖気が走る。
人がいないというだけで、それ以外はすべて現実と同じ――急がなければと公園のほうに一歩踏み出したちょうどそのとき、
タイミング良く、向かう先の方角で巨大な火の手が上がる。
半秒遅れて爆発音。音に一瞬体が凍りつき、痛みの半歩手前のような嫌な感覚が神経を伝って指の先まで駆け巡った。手のひらがわずかに湿り気を帯びる。汗までは出ない。こわばった皮膚が手のひらの裏で手汗をせき止めているような不快感――
もう一度足を動かすまでに、三秒ほどの時間がかかった。
息せき切って走り続けて、ようやく公園が見えてきた――ところで周囲の植え込みをまるごと吹き飛ばすような大爆発が発生、ここまで飛んできた木の葉やら砂粒やらがぴしぴしと僕の頬を打ち、爆風に思わず目を閉じる。
「マジで不安になってきたんだけどさ――」
昨日と今日でさんざん聞いたその女の声は、猫を被っているときよりも一段トーンが低くなっている。
砂埃の張り付いた乾いた喉で何度か咳ばらいをして、改めて公園へ突進した僕は――数歩進んだところでまた爆発、爆風に傾ぐ体をなんとか踏みとどまらせるので手いっぱいになる。
公園を包み込む爆炎の中から、黒いなにかが飛び出した。
鏑だった。
「灰塚ちゃん、最初自分が死にかけで逃げてたの忘れてない? なんで勝てると思ったの?」
敷地外まで吹き飛ばされた鏑はアスファルトの道路に体を打ち付け、それでも止まらず、ボロボロになった衣服とあちこち傷だらけ血だらけの体で道路上をごろごろと転がった。
かしゃん、とかすれるような音がして、そんな音など気に留めていられなくて、思わず鏑に駆け寄ろうと一歩踏み出した僕の右足がなにかを蹴る。
コマみたいにくるくる回転しながら足元を滑っていったそれは、鏑が持っていた銀色の拳銃だった。
もうもうと舞う土煙の中から、高笑いとともに姿を現す――黒のドレスに黒の大鎌、死神のようなこの悪女。
「小細工頼みの役なしでー、あたしに勝てるわけないじゃん? そんなの、わかりきってる、……こと、じゃん…………ねえ?」
鎌を抱きかかえるように持って、けたけたと笑っていた藍原さんは、
そこでふと、鏑に駆け寄る僕の姿を目に留めて――
人に化けた狼のような、ケダモノじみた笑みを浮かべた。
「っふ、ふ、っふふふふふ……来なくていいって言ったじゃぁん……」
ボロボロになった鏑は、それでも唯一の武器――どこかへ飛んで行ってしまった拳銃を探すように、きょろきょろとあたりを見回していて。
それで、ようやく僕に気づいた。
「あたし君みたいな人大好きだよ。いいよ。最期になんか、言いたいことがあるなら、どうぞ好きなだけ。告白とかドラマチックでおすすめかな」
どうぞ、と手で示した藍原さんのほうには目をくれることもなく。
鏑は、僕が握りしめている銀色の拳銃を凝視していた。
「……なんで」
だから、この問いを発したときの鏑は、僕の目を見ていなかった。
さすがに僕も高校二年だ。この年頃にもなると、女子の目をまっすぐ見て話をするというのは少し気恥ずかしい。そもそも僕は普段女子と話をする機会がほとんどないので、なおさら。
鏑も、ずいぶん美人になった。
昔の鏑は窓からひょいひょい僕の部屋にやってくるような娘で、一緒に泥まみれになって遊んだり、童話のごっこ遊びをしたり、随分と距離が近かった。目を見て話すのが恥ずかしいとか、そんなこと考えもしなかった。
告白なんかおすすめだよと藍原さんは茶化したけれど、そんな関係ではたぶんなかった。幼い関係はもっと近くて、もっと微笑ましいものだった。
今は、そういうわけにもいかない。
なにを言えばいいのかなんて、僕にはひとつもわからなかった。
小学五年生のあのときから、僕は鏑とずっと会っていなかった。つい一昨日に再会したばかりなのだ。それだっていろんなことがありすぎてまともに話なんかできていないし、
今だって、鏑は目を合わせようとしない。
僕と鏑の間には、七年間の空白がある。
「なんで、……なんで、……来ちゃったの……」
震える声の微妙なよそよそしさに、その空白を見た気がした。
七年会わなかった幼馴染は、わけのわからない拳銃を持って、血まみれの姿で現れた。
わけのわからない死神に追われていた幼馴染は、僕の両親の記憶をいじって首藤家に一晩身を隠した。でもやっぱり追ってきた死神とわけのわからない力でわけのわからないバトルを繰り広げ、逃げ切れないと悟ったら、巻き込んで悪かったとだけ言い残して僕の前から消えた。
期待外れだと言われた気がした。僕の『役』はモブキャラだから。
モブキャラごときじゃ役に立たないから、おまえは話に入ってくるなと。
『巻き込んで悪かった』という台詞からは、そんな意思がにじんでいる気がした。
――でも。
本気で巻き込みたくなかったなら、僕の記憶も消していけばよかったのだ。
鞄から、文庫本を一冊取り出す。昨日書店で買ったばかり、まだビニールに包まれたままの『魔法学校にコネ入学したはいいけど、定期試験が突破できなくて死にそうです⑤』。
使い方なんて知らなかった。
だから、もしここまで来て何も起こらなかったらどうしようと思ったけれど――
僕の左手の中で、文庫本はまばゆい白光を放ち始める。
こんなときに言うことではないというのは重々承知している。でも許してほしい。
――――これがほんとの、
光り輝くライトノベルはだんだんと白く透けていき、やがて、紙の質感はそのままに、本は透明なガラスケースのような見た目を紫色の空の下に晒した。
黒々とした無数の文字がガラスケースから飛び出して、僕が左手を突き出すと、蚊柱のごとき明朝体フォントたちが一斉にその手めがけて飛んでくる。
うぞうぞと集まった十万文字は、僕の手の上で一発の弾丸を形作った。
藍原さんはぽかんと口を開けて僕のほうを見ている。
鏑は、泣き出しそうな顔をしている。
見よう見まねでシリンダーを外し、手の中の"世界弾"を装填。藍原さんがそうしたように、拳銃を逆向きに構える。
ばくばくと鳴る心臓の上、制服の胸ポケットのあたりで、緑色の炎が燃え上がるのを感じた。
――銃声。
痛みも、衝撃も、何一つないまま、銃弾は僕の左胸に吸い込まれ――全身を包む緑色の炎の中で、僕はゆっくりと目を閉じる。
『魔法学校にコネ入学したはいいけど、定期試験が突破できなくて死にそうです』。
誰もが魔法を使えるのが当たり前になった時代、人々は当然のように魔法学校へと通い、当然のように魔法を学んでいた。
そんな世界にあって、なぜか魔法がまったく使えない落ちこぼれがこの物語の主人公。魔法が使えないのだから本来魔法学校への入学などできるはずもなく、しかしひょんなことから主人公は魔法学校の教師とかかわりを持つことになり、その縁で入学を許される。とはいえ魔法が使えないことに変わりはないので定期試験では苦労する――という感じのラノベなのだが、大事なのはそこではなく。
魔法を使えるのが当たり前の世界。
これならいけるんじゃないか、と思った。
緑色の炎がはじけて散り、露になった僕の姿を見て――藍原さんは、わずかに表情を曇らせた。
さっきまで僕は学校指定の紺のブレザーを着ていた。
それが今では、アニメの中でしか見たことがないような複雑なデザインの制服を着ている。
どこにでもいる普通の高校生:首藤紘一が、『魔法学校にコネ入学したはいいけど、定期試験が突破できなくて死にそうです』の世界に存在していたら――その場合、『首藤紘一』はどういうキャラクターになるか?
答えは当然、ただのモブキャラ。
どこにでもいる、別に珍しくもない――魔法学校のいち生徒。
魔法が使えて当然の世界の
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