第14話 立ち上がれモブ!


  *  *  *


 ふと、昔の夢を見た。

 鏑のお父さんが乗った飛行機が落ちたというニュースが流れて、しばらく経った日の夢だ。


 二階のベランダに出た僕と鏑は、並んで空を見上げていた。

 鏑を引き取ると言った慈善家と、初めて、鏑が会ってきたのが。たしか、その日の夜だった。

 青っぽい満月の照る夜空――鏑が、ゆっくりと口を開いた。


「シンデレラは……シンデレラは、お母さん、死んでるんだよね。ほら……シンデレラをいじめるお母さんは、継母って言って、ほんとのお母さんじゃないんだ。お姉さん二人も、ほんとの姉じゃない」


 すらすらと語る鏑は、昔から童話の類が好きだった。

 ただし、僕のほうは鏑のごっこ遊びに付き合わされるくらいで、そういうものにあまり興味がない。白雪姫とシンデレラの区別も怪しい僕は、適当に話を合わせた。


「お父さんは? 生きてたっけ?」

「お父さんは生きてるよ。……あ、でも、なんだろう。最近のは、お父さんも結局死んじゃうって話になってたりするんだって」


 無神経なことを言ってしまったと思った。

 でも、鏑は特に気にしたふうでもなく、淡々と続ける。


「お話のね、主人公っていうのはさ。お父さんとか、お母さん、死んでるじゃん。けっこう、みんな」

「それはわかる」それは僕にも理解できた。

 そのとき僕が読んでいた漫画、見ていたアニメ――親と死に別れた主人公とか、旅に出たまま帰ってこない父親とか、そういうのはよくあることだったからだ。

 で――鏑が、なぜ急にこんな話を始めたのかも、理解できた。



「君はシンデレラになるんだって、言ってくれたの」



 ――親切な慈善家が語ってくれた言葉を、そのまま繰り返したのだろう。


「お母さんは死んじゃって、お姉さんからはいじめられて……つらい思いをいっぱいするけど、でも、最後には、王子様と幸せになる」


 虚空に浮かぶ台本を読むように、鏑は夜空を見上げながら続けた。



「お父さんも、お母さんも、いなくなっちゃったけど……それを無駄にしちゃいけないって。シンデレラになると思って、頑張らなきゃならないんだ、って。言ってくれたの」



 たぶん鏑はこのことを僕にしか言わなかったのだと思う。この台詞の内容が僕の両親にまで伝わっていたのなら、そのときはさすがに何か言われただろうと思うから。

 当時の僕には、何も言えなかった。

 どんな言葉をかければいいかわからなかった。

 今も、当時も、僕はあんまり変わらない。

 どこにでもいるようなモブキャラで、どこにでもいるしょうもない子供だ。


 その上で、今どう思うかと聞かれたら――

 たぶん、何かしらの支えは必要だったのだろうと、そんなふうには思う。


  *  *  *


「……おい。おい!」

「……はっ」


 光則が机をトントンと叩く音に、ようやく我に返る。

 ちょうどホームルームが終わったところだ。帰り支度をする生徒たちがガヤガヤと騒がしい。

 時刻は、四時半――とっさに振り返る。

 僕の二つ後ろの席に、藍原さんはまだ座っていた。


「何をぼーっとしとんのおまえは。今日こそ帰りにデュエルするって言ったろーが」

「あ、うん……」


 藍原さんはこちらを見ようともせずに友達と談笑していて、僕はすこし、下唇を噛んだ。

 今日一日、ずっとこんな調子だ。授業になんて身が入らない。

 午後の授業が始まってからは余計顕著で、二時、三時、四時とじりじり進む時計を見ていると、受験の直前みたいな嫌な緊張感が腹の底に溜まっていく。でも似て非なる、高校受験なんかよりずっと邪悪な焦燥感。

 ちらちら様子を伺っても、藍原さんとは目が合うことすらなかった。

 モブキャラなど、気にかけてもいない。


「おら、はよ帰るぞ。はよはよ」


 リズミカルに僕の机をカカカッと叩く光則に急かされて、いやおうなしに鞄を背負いあげる。

 このまま帰っていいものだろうか。

 五時に公園。僕にもう用はないと藍原さんは言った。何もしなければ何事もないままフェードアウトできるかもしれない。骸骨の頭を吹っ飛ばしたときの手ごたえはまだ腕に残っているが、何もしなければそれだっていつか忘れることができるかもしれない――が、でも、

 ――鏑は?


 鏑は、いったいどうなるのか。

 僕は、どうするべきなのか?


 答えはわかりきっているのに――『身の程を弁えろ』と言った藍原さんの見下した声が、今でも耳に残っていて。

 気づけば、僕はのしのしと歩く光則の後をついて、教室を出ていた。


「そーいや、おまえ昨日の公式twitter見た? 次のパックで出るカード、あれ……っげ」


 沈んだ顔の僕をいぶかしげに見やり、それでも日ごろと変わらないオタクトークに花を咲かせていた光則は――廊下の角を曲がって一歩踏み出したその瞬間、実に俊敏な動作で体を百八十度ターンさせて戻ってきた。


「……こっちダメだ。向こうの階段から下りようぜ」

「え、なに」

「何って、あれよぉ……」


 光則が嫌そうに指で示す先を、廊下の壁からそっと顔を出し、目で追う。

 たぶんラグビー部か何かだろう、と一目でわかるほどにガタイのいい男子生徒二人が、壁際に追い詰めるような格好で、二人の女子生徒と話をしている。


「ねーみまっちゃん、今日ヒマって聞いたよー? みまっちゃんいつ誘っても断られるからさー、今日くらいは一緒に遊べない?」

「……え、えっと……」


 露骨に嫌そうな顔をしているのは、黒く長い髪を三つ編みにした黒縁眼鏡の文学少女。

 その隣では茶髪の女子がラグビー部たちに愛想笑いを振りまいていて、彼女は引きつった笑みとともに「みまっちゃん」と呼ばれた少女の脇腹を肘でつつく。


「……今日だけでいいから。今日だけでいいからさー、ほら、付き合ってくれないかな……」

「で、でも……」


 困ったように声量を落としてはいるものの、『来なくていい』と言う気はさらさらないようだった。

 孤立無援の状況下、三つ編みの文学少女は今にも泣き出しそうな顔をしていて――


「うげー……。かわいそ」


 あっちの階段から帰ろうと言いつつ、光則はまだ現場を眺めたまま動こうとはしなかった。通り過ぎる他の生徒たちも足を止め、ひそひそと何事か囁いている。

 誰も、割って入ろうとはしない。


 ――絡んでいる側の男子二人は、『悪役』で。絡まれている側の女子が、『ヒロイン』か?


 どうでもいいことをふと考えてしまって、だから、光則の問いにも適当に答えた。


「あそこの女子、おまえ知ってる?」

「いや、知らない……。あれ、ラグビー部の人?」

「や、あれはバスケ部。ぶっちゃけ大してうまくもないんだけど、先輩って理由だけでやたら偉そうにしてて。キャプテンも困ってるっつってたよ」

「はー……なるほど。……え?」


 え、光則こんな声だっけ、と声の主を振り返ると――

 地毛なので学校からも認められているらしい、わずかに天然パーマのかかった茶髪。さわやかな笑みを浮かべたサッカー部キャプテン:豊田くんが、僕と同じような格好で、壁から顔を出していた。


「ろくに練習もしないくせになー。な、ちょっとお願いなんだけど」

「え、あっ……」


 "主人公"の二つ名をとるイケメン、とっさに話を振られた僕と光則は揃って言葉に詰まってしまう。


「頃合い見て、出てきてくんないかな。大丈夫大丈夫、てきとーでいいから」


 そして豊田くんは僕らの返事もろくに聞かないうちから現場へ突撃した。


「はよざーっす先輩! なんすか? たのしーことなら俺も混ぜてほしいんすけど……」

「あ? んだおまえ……」


 軽い調子でバスケ部男子二人の間に割って入ると、やっぱり軽い調子で肩を組む。その腕を敵意もあらわに振り払った二人にまるで怯むことなく、豊田くんは文学少女のほうにちらりと目をやった。


「あんま、楽しいことしに行きそうな感じでも、ないっすね?」

「……豊田か。おまえ、あんま調子乗ってんじゃ――」

「豊田ー、おまえなにしてんの?」


 サッカー部のバッグを肩にかけた数名の男子生徒が、そこでふと野次馬たちをかき分けて現れた。

 毎日毎日厳しい練習に汗を流す、屈強な男子たち。先輩方は気圧されたように一歩下がると、そのまま一度舌打ちをして去っていった――

 ――こちら側に。


「あいたっ!」

「あ? ……てめー邪魔なとこ立ってんじゃねえよ!」


 機嫌の悪さを隠そうともせずズカズカ歩いてきた先輩と、曲がり角でぼうっと突っ立っていた光則が勢いよく衝突。ガタイの差で跳ね飛ばされた光則にぶつかって僕までひっくり返り、僕と光則、二人の鞄の中身が廊下に散乱する。

 幸いにもそれ以上の因縁をつけることなく先輩は逃走、一難去って廊下の空気が緩み、部員たちは豊田くんを小突きながら彼の行為をガヤガヤとはやし立てはじめ――『頃合い見て出てこい』の意味を僕が理解したときにはもう、豊田くんは文学少女に「じゃね」と短く声をかけ、部員たちとともに去っていた。


「……すげえな、"主人公"は」


 うめきながら身を起こした光則と一緒に教科書を拾い集め――そりゃ負けるよなあ俺はなあ、などとぼやく言葉も耳に入らず、僕の頭の中では、やはり、藍原さんの声が蘇る。

 ――身の程ってのは弁えるべきだよ。

 違うだろうな、と思い直した。あの先輩二人は『悪役』なんてガラじゃない。そんな大層な役じゃない。名前もないようなモブキャラだろう。

 ……モブキャラに、何ができるというのか。


「こっち俺ので、これおまえので……あん? これは? おまえの本?」


 仕分け作業に勤しんでいた光則が、書店の紙袋を拾い上げて問う。袋を勝手に破いて中身を取り出す光則は本当に遠慮のない男で――

『魔法学校にコネ入学したはいいけど、定期試験が突破できなくて死にそうです⑤』。

 昨日の帰りに買ったはいいがその後いろいろありすぎて、結果鞄から出す暇もなくそのまま持ってきてしまったラノベだった。


「あー、これ。これあの……あれだろ、今度アニメ化するやつ。面白い?」

「……」

「おい?」


 不審がる光則に構う余裕もなく、僕の頭は静かに回る。

 僕は普通の高校生だ。役柄も"mob character"。その他大勢の一人に過ぎないと、この世界から認められた雑魚。

 たぶん、さっきの不良騒ぎだって――止めに入ったのが豊田くんではなく僕だったとして、その場合。僕では、あれほど上手にあの場を収めることはできなかっただろう。僕では役者不足ということだ。

 僕と、豊田くんでは、役者が違う――

 ――負けているのは、どの点だろうか?


 そもそもの話。

 あのときの僕は、まず、あの文学少女を助けに行こうと考えすらしなかったのだ。


 光則からラノベを取り返し、散らばった教科書を手早く鞄の中に収めながら立ち上がる。


「――ごめん。今日ちょっと用事できた」

「は? え、どしたよ急に」

「ごめん!」


 困惑する光則を置き去りに走り出し、スマホで時間を確認する。四時三十七分。かなりギリギリ。

 夕方五時にあの公園、それがタイムリミット。それまでに――できる限りの戦闘準備を整えておくことにする!

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