第13話 悪役は意地も性格も悪い
舞台の上でうろうろしている台本を持った骸骨たち、メガホン片手に怒声を飛ばす藍原さん。
それを、観客席に座って眺めている僕――という奇々怪々な夢を見た。
そのせいだろうか、おもいっきり寝坊した。
「友達来てくれてんのにあんたはもう……! あんなかわいい子待たせちゃダメでしょう!」
「……?」
部屋にまで乗り込んできた母に起こされて僕は目を覚ましたものの、寝ぼけた頭では『友達』と『かわいい子』がまったくイコールで結びつかない。誰の話をしてるんだ?
とりあえず顔だけは洗って、もうしばらく待ってくれとパジャマのまま玄関先に出ていった僕がそこで目にしたのは――
「おはよーねぼすけさん! 今日もいい朝だよ!」
藍原さんだった。
①鏑の居場所を聞き出しにきた②口封じにやってきた。
どちらだろうかと考えて、どちらにしても朝食なんかまったく喉を通らなかった。
あんたにあんな友達がいたとはねとしみじみ呟く母の言葉もまったく耳に入っていなくて、時間割を確かめる余裕もなく適当に教科書を鞄に詰め込んで。
どういうわけだか藍原さんと二人一緒の登校である。
「お母さん生きてるんだね。ちょっと意外」
「……はっ?」そして彼女の第一声には脈絡というものがまったくなかった。
「両親、どっちもご健在?」
「ご健在って……」
「いやあ。交通事故で二人とも死んでるとか、そーいうのあるかなって思ってたから」
「……ないですよ、そんなの」
「共働き? 実はこれからお父さんもお母さんも長期の海外出張に出る予定とか、そーいうのあったりしない?」
「…………」
出会ったときからずっとそうだが、藍原さんはいつも微笑んでいる。
第一印象ばっちりの明るい笑み。バイトの面接なんか一発で通過するんだろうなと思わせる、活発そうな雰囲気をまとっている。
けれど、笑顔の裏に隠された大鎌と骸骨を見てしまった今――
この問いを発するまでに、僕は何度も冷や汗をぬぐわなければならなかった。
「……何の話がしたいんですか?」
「主人公って、そういうもんじゃない? お決まりのパターンってやつ」
藍原さんは相も変わらずとぼけた言葉だけを返す。
柔和に微笑むその瞳は、僕のほうから切り出すのを待っているように見えた。
……覚悟を決めるほかない。
「役柄って、なんなんですか。……"悪役"って、なんなんですか?」
――赤ずきんを丸飲みにする狼のように、
――あるいは、口裂け女のように。
藍原さんは、ゆっくりと唇の端を吊り上げていった。
「こー見えて、あたしは相当な悪人ってことだよ。しゅとーくんなんか一口で食べちゃえるくらいの悪女。がおーっ」
右手をキツネみたいな形にして、キツネの口で僕の頬を挟む。
こんな時でさえなければ女子との触れ合いにドキドキしただろうけど、昨日ああいうことがあった上で、今こういうことをやられると――なんというか、心臓に直に触れられているような気分がして、差し迫った生命の危機に胸がかなりドキドキする。
ひとしきり僕をつつき回してから、藍原さんは小さく息をついた。
「ま、でも……なんて言えばいいかな。"役柄"っていうのは、実際、そんなにかっちりしたものでもないんだよね」
「かっ、ちり……?」
たとえばだよ、と指を一本立てて。
すらりと長いその人差し指を、ゆっくりと僕のほうに向ける。
「それまで、なんの特徴もない、ふつーの高校生だった人が……何かのきっかけがあって、もののはずみとかで、人を殺しちゃったとして。その現場を誰かに見られちゃったからそいつも殺さなきゃならない、とか……そんな感じで、なんか止まれなくなって、二人三人って立て続けにばんばん殺していったとするじゃん?」
ばんばん、の言葉に合わせて二回、銃を撃つような真似をした。
「最初のその人は、ただのモブキャラだったはずなのに。殺人鬼になった後のその人をスコープで覗くと……」
「"悪役"になってる……と?」
「そ。"役柄"っていうのは、現実での行動やら環境やら、そーいうのに引っ張られて変わる」
だからまー、しゅとーくんも一生モブキャラとは限んないかもしんないよ――大きく伸びをしながら、どうでもよさそうに藍原さんは言い終えた。
役柄というのは、変動するもの。
僕がモブキャラで、藍原さんは悪役。この区切りだって一生そうとは限らない。
――鏑に、"役柄"がなかったのも。この理屈で説明がつくのだろうか?
「藍原さんは……」
「はい、なんでしょー?」
「……と、いうか。鏑は……」
「なんだ。そっちか」
露骨にがっかりした様子で声色を変える藍原さん、その一挙手一投足に地雷処理でもしているような気分になるが、現状の僕に何ができるでもない。
下手な小細工を考えるよりは、素直に切り出すほうがいいだろう。……たぶん。
「鏑は、……なんで、こんなことに……巻き込まれてるんですか?」
「あれ、灰塚ちゃんからそれ聞いてないんだ? へー。なんでか。なんでかなー……」
しばらくの間、難しい顔をして腕を組んでいた藍原さんは――
二、三度うなずいて口の端を吊り上げると、ゆっくりと説明を始めた。
「そもそもの話をしますけど。この『現実』って物語にはね、登場人物が多すぎる。地球の人口七十億、日本だけでも一億人……」
指を折るのも無意味な単位だが、それでも指折り数えるふりをしながら、藍原さんは続ける。
「こんだけいっぱい人がいるとね、ほとんどはモブキャラなんだよ。まともな"役"持ってる人間とは、ちょっとまあ、そうそう出会えないよね。だから、この銃を使うにあたって……上の人たちは、まず"役"持ちの人間を探さなきゃならなかったわけです」
さらりと飛び出した『上の人たち』という言葉に注意を払う間もなく。
藍原さんは、僕に水を向けた。
「でも、探すってもどうやって探せばいいのかなって話じゃん。しゅとーくんならどうするかな? 『悪役』の役持ってる人をどっかで探そうってなったらどうする? あの銃持って刑務所とか行くかな?」
一瞬、バカ正直に考えてしまった。
あの拳銃のスコープを使えば、相手の"役柄"が見えるらしい。
となれば、道行く人々一人一人に拳銃を向けて観察すれば――
……すぐに警察を呼ばれるだろう。
「これは、たとえばの話なんだけどね?」
そう言って、口元を吊り上げた藍原さんの笑顔は――
悪魔の微笑みのように見えた。
「『親が交通事故で死んでる』、『親が長期出張で妹と家に二人きり』……こーいう主人公あるあるを、真に受けちゃった馬鹿がいたとして」
「この『現実』という物語の主人公も、こーいうところから生まれるに違いない。こーいう子供の中にこそ、"役"持ちがいるに違いない! って、いい年して信じ込んじゃった大馬鹿がこの世にマジでいたとして……」
「事故や災害で親を亡くした、不幸な孤児たちを引き取って、『保護』する。そーいう組織があるんだよって言ったら、しゅとーくん、信じる?」
保護、をいやに強調した藍原さんの口ぶりが、耳についてしょうがなかった。
親を両方亡くした鏑を、親戚の誰もが目を逸らした鏑を、
父と母は、首藤家で引き取ろうと息巻いて――それでも、簡単に決められる話ではなくて、
――慈善家の人から、鏑を引き取りたいという申し出もあって。
金銭面の問題も考慮に入れて――結局、鏑は、そちらに行ったのだ。
それが。
それが――――――
もうすぐ駅にたどり着こうかというころ。通学路から突如脇道に逸れた藍原さんは、住宅地の小さな公園の前で足を止めた。
「ここまでついてきてもらってなんなんですけどー、実を言うと、灰塚ちゃんのことはもういいんだ。向こうから申し出あったからね」
「申し出って」
「これ以上巻き込みたくないってさ。泣かせるよねーあの人も」
誰もいない、こじんまりした公園のジャングルジムをちょいちょいと指して、藍原さんは淡々と続ける。
「五時。ちょーどこの公園だよ? 今日の夕方の五時、ここに来てもらうことになってる。銃持って。それであたしはミッション達成、しゅとーくんにはお咎めなし。そういう話でケリがついたよ」
「ちょ……いや、ちょっと待って!」
それだけ言って立ち去ろうとする藍原さんに、僕が追いすがろうとしたその瞬間――
藍原さんは振り返りもせず、右手の指をぱちんと鳴らした。
「待ちませーん。しゅとーくんと二人仲良く登校とか、噂になったら嫌じゃんね?」
――いつの間にか藍原さんの右手には、あの大きな黒い鎌が握られていて。
ぬらぬらと光る鋭利な刃が、僕の動きを止めていた。
「君と、あたしじゃ、釣り合わないから。身の程ってのは弁えるべきだよ?」
最後の最後に一度だけ、嘲るように、口の端だけで、藍原さんはかすかに笑った。
「そのくらい、自分でわかってるよね? 『モブキャラ』の、しゅとーくんならさ」
煙のように鎌をまた消して、すたすたと歩き去る藍原さんの背中を――
僕は、立ち尽くしたまま、見つめていた。
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