第12話 世界銃とは何なのか。どんなことができるのか?②
説明を終えた鏑はさっさと部屋に戻ってしまって、でも、漠然とした"嫌な予感"が、腹の中でざわざわと揺れている。
続く言葉を待っている僕に背を向け、本棚をじっと眺めていた鏑は――
「……持ってたんだ」
心なしか憎々しげにつぶやいて、一冊の漫画本を抜き出した。
『魔法少女は一人でいい』――ファンシーな絵柄からは想像できないダークな展開が話題を呼び、カルト的な人気を獲得した魔法少女漫画である。
ひょんなことから魔法少女となった主人公は、街の安全を守るべく仲間と共に魔物と戦う――よくある設定の魔法少女漫画だが、この作品の特徴は、魔法少女たちの使う魔法に「クラス」の概念があることだ。
クラスⅠからクラスⅩまでに階層分けされた彼女らの魔法は数字が増えるほど強力になり、クラスⅩの力を得た魔法少女は、新世界の創造すら可能にするという。
妖精との契約によって少女たちは魔法少女になるのだが、その際妖精たちは必ずこの言葉を口にするのだ。
『クラスⅩの力を手に入れれば、なんでも好きな願いが叶う――』
各々の願いを胸に秘め、少女たちは魔法少女になる。
クラスⅩを目指して魔法の修練に励む傍ら、街を襲う邪悪な魔物たちを退治していく――そういう感じのストーリーになっている。
「……ストーリー、わかってるよね?」
「まあ、うん……」
最新刊まできっちり揃った本棚に、しらーっと擬音が聞こえてきそうなほどの冷たい目を向けて。鏑は、つまらなそうにつぶやく。
「じゃ、たとえばこの漫画を世界弾にして紘一を撃てば……紘一は、"『魔法少女は一人でいい』の登場人物:首藤紘一"に、書き換わる」
ばん、と人差し指で僕を撃つ真似をしてみせて、鏑は投げやりな口調で言った。
「『魔法少女は一人でいい』という物語の世界に、『首藤紘一』という人物が存在していたら。その場合、『首藤紘一』はどういうキャラクターになるか?」
そこで意味ありげに言葉を切って、僕のほうをちらりと見る。
魔法少女というのは、基本的に女の子がなるものだと思う。当然、この漫画の主要人物はそのほとんどが女キャラで、ストーリーに関わる男キャラなんて数えるほどしか存在しない。
どこにでもいる普通の男子高校生の僕が、『魔法少女は一人でいい』の登場人物になったとして――その場合。
「……モブキャラにしかならない、ってこと?」
「そう。この漫画は、魔法が存在することを除けば現実と同じような世界を舞台にしているので……たぶん、そのへんの男をこれで撃っても、何の変化も起きないはず」
コマの隅っこで見切れている通行人Aが関の山で、当然魔法なんか使えない。
そういうことになるらしい。
「では、そのへんの女子高生を一人適当に捕まえて、この銃を撃ったとする。その場合は?」
「ええと……」
女の子だと、やっぱり魔法少女になるのだろうか?
そう、鏑に聞こうとしたところ――
念を押すような冷たい声色で、いくつかの条件が追加された。
「これといった特徴もない、量産型の高校生。ぶっちゃけて言えば顔もそんなにかわいくないような、そんな女子高生が『魔法少女は一人でいい』の登場人物になったとして……その場合は、どうなる?」
「……やっぱり、何も起こらない?」
「そう。『現実』というこの世界で、大した役を持っていない役者は……別の物語の登場人物になったところで、やっぱり、大した役は持てない」
念を押すような冷たい声色で、手厳しい意見が返ってきた。
さっきスコープ越しに見た僕の胸には、『mob character』の文字が燃えていた。
結局、僕はどこにでもいる普通の高校生でしかなく――どんな世界の登場人物になろうと、その他大勢のモブキャラに過ぎないのは変わらない。そういう役、ということだろう。
「えっと、……その銃を使って、『魔法少女は一人でいい』を弾にして、片っ端から女子高生を撃ちまくったところで……魔法少女をいっぱい量産できるってわけではない、んだよね」
「舞台に上がるつもりなら、それなりの"役"を持ってないといけない」
この不思議な拳銃にも、いろいろとルールが存在するようで――
頭の中に浮かぶのは、無限の骸骨を従えた黒衣。
「でも、藍原さんは……変身してたよ」
「現在、あの女はクラスⅢまで使える」
「……え?」
――鏑は、本当に藍原さんのことが嫌いなんだろうな、と。
不意に言い捨てられたこの台詞を聞いたとき、なんとなく思った。
本当に、心の底から憎々しさを吐き捨てるような言い方だった。
「藍原微という人間が、『魔法少女は一人でいい』の世界に存在していたとしたら。その場合、あの女は間違いなく魔法少女の資格を得る。それだけの器と存在感が、あの女にはあるってこと」
「……そのへんのモブキャラとは違う……って、ことで、いいんだよね」
「藍原が、もしも『魔法少女は一人でいい』の物語に登場していたならば……。あの女は間違いなく魔法少女の一人としてストーリーに登場し、物語をひっかき回す。そういう"役"の役者だと、神に認められた存在。それが、藍原微という悪女」
逃走劇の真っただ中で、藍原さんが何度も繰り返したあの言葉。
『悪役』という短い単語は、今でも耳の中にこびりついている。
「僕が、この世界における『モブキャラ』であるように……藍原さんは、世界における『悪役』。……いや、『悪役』って何なの?」
「……さあ。人でも殺してるんじゃないの」
そう適当に言い放った鏑は敵意を隠そうともしていなくて、
僕はといえば、『魔法少女は一人でいい』の設定を思い出していた。
「あの、さ……鏑。……じゃあ、つまり、これって……」
武闘派というか悪役というか、そういうポジションのキャラクターは『魔法少女は一人でいい』の原作にも登場する。
自分の願いを叶えたいがために――他の魔法少女を積極的に殺そうとする魔法少女。
「モブキャラじゃない、ちゃんとした"役"を持った女の子を十人集めて……『魔法少女は一人でいい』の設定を、現実で、マジにやろうとしてるってこと?」
「……いくら、人を変えたところで……現実に、魔物は出てこないから。今は……」
僕のベッドに、ぱたりと背中から倒れこんだ鏑は――
色のない瞳で天井を見上げて、ぼそりと、力なく、つぶやいた。
「――『殺し合い』ってところだけ、抽出したみたいな感じになってる」
街を破壊する魔物の襲撃は日に日に激しさを増していって、けれど主人公はいつまでたってもクラスⅠより上の魔法を使えない。
思いつめた彼女はある日、クラスⅡの魔法を扱う先輩に、そのことを相談する。
――先のクラスへ進むには、どうしたらいいんですか。
そのときの先輩は何も答えずあいまいに目を伏せるだけで、だから、主人公が真相を知ったのは――あるとき、一人で先走って戦いに臨んだ友達が、魔物に殺されてしまってから。
魔法少女が一人死ぬと、その力は別の魔法少女に移譲される。
死んだ友達の力を受け取って、魔法少女二人分の力を得た主人公は――
それでようやく、クラスⅡの魔法を使えるようになる。
――――これは魔法少女の戦いなんだよ。魔法少女同士で戦って、最後まで生き残ったひとりが、なんでも願いをかなえられる。
一つの街に魔法少女は十人。
クラスⅩへと至る方法は、自分以外の九人が死ぬこと――それ以外に存在しない。
動揺する主人公をあざ笑うかのように魔物は強さを増していき、そこで、妖精は囁くのだ。
――今度の魔物は、クラスⅢの魔法でなければ太刀打ちできないだろうね。
今度はクラスⅣ、今度はクラスⅤ、いやいや今度はクラスⅥ……ハードルはどんどん上がっていくし、それでなくてもクラスⅩの魔法は願いをなんでも叶える力。
魔物から街を、身を守るため。あるいは、叶えたい願いのため――
それぞれの動機を胸に秘め、魔法少女たちは殺し合う。
『魔法少女は一人でいい』というタイトルは、そのまま内容を表していたわけだ。
そして、『魔法少女は一人でいい』という作品は今、そのまま鏑の置かれている状況を表しているわけで。
――――そこの灰塚ちゃんも魔法少女だったんだけど、とある事情で彼女は変身できなくなってしまいました。
突如、階段を上ってくる足音がして、まもなく僕の部屋のドアがノックされた。
「ちょっと紘一、帰ってきてたんならただいまくらい言いなさ……」
ノックの意味がないほどの超速で遠慮なくドアを開けた母は、
……銀色の拳銃を大事そうに握り締めている鏑を見て、目を白黒させた。
「……あ、えーっと、なに。モデルガン……よね? それ……」
「……ちょうどよかった」
ベッドから立ち上がった鏑は、ポケットから一本のペンライト――のように見える何かを取り出した。つかつかと僕のほうに歩み寄ってくると、すっと片手を伸ばして、僕の視界を塞ぐ。
動かないでと一言添えて僕の身じろぎを止めてから、鏑は一度咳ばらいをした。
「では、お母さま。こちらに注目を。――目を閉じて」
鏑は小声で僕に囁き、見えないながらに、何かがピカッと光ったような感覚があった。
「拳銃なんて見ていないし、灰塚鏑なんて人間がこの家に来たという事実はない。私はただ紘一くんにプリントを届けに来た同級生です。以上」
マジシャンが風呂敷を取り払うように、僕の視界を塞いでいた手を鏑がすっと脇にどけると、僕の目の前に現れたのは――
「あらやだ、紘一のクラスメイトさん。ごめんなさいねわざわざ……。ろくにお構いもできませんが、どうぞゆっくりしていってくださいね」
昨日、あれだけ鏑と親しげに話していた僕の母親が。
初めて見る子を相手にするような、よそ行きの声色を使う姿だった。
そそくさと部屋を出て階段を下り行く母の足音を聞きながら、問う。
「……かぶら」
「なに」
「なんか、こういうの、……映画で……見たこと、ある……」
「やりよう次第で、こういうのも手に入れられる拳銃ってこと」
とんでもないことをさらりと鏑は言ってのけて、それで昨日からの父と母の態度の謎が解けた。けれどそのことを問い詰める暇もなく、窓際に佇む鏑は――隣の家、かつての自分の部屋をしばらく眺めてから、静かに、窓を全開にした。
「……お世話になった。ありがとう。でも、巻き込んじゃった。……ごめんなさい」
「え、……いや、ちょっと!」
一切のためらいなく窓枠に手をかけ、鏑は窓から飛び降りた。
慌てて追いすがってみたところで、階下に鏑の姿は見えず。
鏑は、またもや姿を消した。
見てみろと拳銃を渡されて、自分の胸に『mob character』の文字を確認した、あのとき。
ちらりと、銃口を横に逸らして――鏡の中の鏑をスコープで覗いてみた、あのとき。
鏑の左胸には、何もなかった。
藍原さんには紫色の『villain』、僕には緑色の『mob character』。
ここを撃ち抜けと言わんばかりの的が、心臓の位置に張り付いていたのに、
鏑にだけは、それがなかった。
鏑が一人で去ってなお、そのことが気になってしょうがなかった。
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