第10話 転校生 vs 幼馴染
もうもうと舞う煙の中から弾丸のように飛び出して、鏑に手を引かれるまま走る。
「か、鏑! 鏑! これ何が起きてんの!」
「説明してる暇がない!」
長い黒髪をなびかせながら振り返りもせず走る鏑は滅茶苦茶に角を曲がって逃げるが、後ろからカタカタと妙な足音、骸骨が追ってきていると一発でわかってしまうこの足音!
鏑は一度舌打ちをすると僕を放り出し(勢い余って僕はコケた)、腰に差していた銀の拳銃を右手で抜き取った。それから左手を懐に差し入れナイフを一本取り出すと、
なぜそんなものをと問う暇もなく、ナイフの腹に銃口を密着させ――発砲した。
ステンレスの刃の表面が、石を投げ入れた水面のようにぷるんと波立って――
――小ぶりなナイフはみるみるうちに巨大化して、僕の二の腕と同じくらいの長さになった。
「……ちょっとでいいから時間稼いで!」
「えぇ!?」
そして尻餅をついた僕にそのナイフをぽんと手渡して鏑が走り出したものだから!
「いや、え、なんなのこれ!?」
「ダガーナイフ。初期装備!」
なんの説明にもなっていないが振り返るとすぐそこに骸骨がいて、
僕はとにかく死ぬ思いで立ち上がった。
「か、ちょっ、か……かぶらぁー!!」
黒い瘴気をたなびかせながら、それこそ本当に幽鬼のように僕に飛びかかってくる骸骨の頭を――刃渡り三十センチ近いナイフの腹で僕は殴打する。バコンと間抜けな打撃音を立てて骸骨の頭が転がり落ちて、それがどうしたと言わんばかりに首なしのまま襲い来る骸骨に決死の前蹴りを食らわせてバックステップ。
わき目も振らず僕は逃げ出した。
鏑は一階がコンビニになった雑居ビルの前で立ち止まっていた。左のポケットから財布を取り出し、それを真上に放り投げると――コンビニのガラスにまず一発、続いて落ちてきた財布にも一発。目にもとまらぬ速度で発砲する。
やはり弾丸は着弾と同時に消滅、落ちてきた財布を素早くつかみ取った鏑は自動ドアをくぐって店内に消えた。
何をしているのかまったくわからなくて足を止めたその一瞬の隙に、
――背後でがちゃがちゃと骸骨の足音!
がむしゃらに後ろへ振るったナイフは確かに骸骨へ命中したのだが、なんと刃が骨盤のところにちょうど刺さって食い込んで抜けなくなった。嘘だろという悲鳴が喉元までせり上がってきたが、骸骨がゆらりと伸ばした両手に出かかった叫びを飲み込んで後ずさる。
ゾンビ映画のクライマックスみたいに骸骨が道路を埋め尽くしている。助けを求めて周囲を見渡しても誰もいないというところまで律儀にゾンビ映画のようで――
「伏せて!」
コンビニの自動ドアが開いたと同時、中から鏑が何かを投げた。
オレンジ色の、ゴツゴツした石――宙を舞う投擲物を間抜けに観察していた僕に、伏せる暇などあったはずがなく、
――謎の石は、骸骨たちの頭上で炸裂。
赤黒い爆炎が猛烈な勢いで燃え広がって、すべての骸骨を飲み込んだ。
当然ながら間近にいた僕も爆風でアスファルトの上を転がって、でもあちこち擦り傷で血がにじむのを気にしていられる場合ではない。
「な、……いや、なに今の!?」
「サラマンダーの息吹」
「は!?」だって鏑の答えがまったく答えになってないわけだから!
大丈夫、と差し出してくれた鏑の手を取ることすらできず、僕が困惑しているうちに――
「あれ? やられちゃったんだ」
頭上から声が降ってきて真上を見上げた次の瞬間、
雑居ビルの屋上から黒いゴシックドレスが舞い降りた。
僕をかばうように前に出た鏑が、吐き捨てるようにぼそりとつぶやく。
「……用意ができてれば、あれくらいは倒せる」
「小細工ばっかり上手だよね。しゅとーくんビビっちゃってんじゃん」
ふわり、となんでもないことのように着地した大鎌の魔女――藍原さんは、敵意を剥き出す鏑を軽くあしらい、それからへたり込んでいる僕にはじけるような笑顔を向ける。胸元に燃える『Villain』の文字――
「あたしは悪役なんだけどー、できれば優しい悪役でいたいのね。人気が出るタイプの悪役。だからしゅとーくん、きみにも発言の権利をあげましょう」
自分の身長より大きな鎌を、体操選手の扱うクラブのように器用にくるくると回し、藍原さんはポーズを決めた。
「今のあたし、どう見える?」
さて――この状況で話を振られても、ものすごく反応に困るのだが。
この場において藍原さんの笑顔はかなり強力なプレッシャーを放っていて、発言権を与えられたからには答えないわけにもいかず。
「…………魔法少女?」
正直なところを答えるしかなかった。
『作風がダーク寄りの』という注釈が頭につくものの、藍原さんの格好はたしかにそう見えたのだ。事実、そこで急にぱちぱちと拍手を始めた様子を見る限り、大きく外してはいないようである。
「そ、これは魔法少女の戦いなんだよ。魔法少女同士で戦って、最後まで生き残ったひとりが、なんでも願いをかなえられる。……で!」
満足げにふんふんとうなずいた彼女は――そこで一転笑みを消し。
「そこの灰塚ちゃんも魔法少女だったんだけど、とある事情で彼女は変身できなくなってしまいました。魔法少女の資格をなくした灰塚ちゃんは、にもかかわらず……往生際の悪いことに、魔法の
濡れたように光る鎌の穂先を、僕の前に立つ鏑へと向ける。
「そんなの許せるわけがないってことで、あたしが回収を命じられた。というのが、ここまでのあらすじです」
現実感がなさ過ぎて、むしろどうでもいいところに気が回った。
――『命じられた』ってことは、藍原さんには上司的な存在がいるわけだよな、と。
「さて、あたしもこれで一応夢と希望の魔法少女だからねー。一般人のしゅとーくんは巻き込まないであげてもよろしい。灰塚ちゃんはもう見つけたわけだし……」
こつんと鎌で地面を叩くと、再びアスファルトから骸骨が這い出てくる。今度は、僕と鏑をぐるりと取り囲んで円陣を組むように、大量に。
「その子を引き渡してくれるなら、君だけは無事に帰してあげるよ。どうする?」
何をどう考えても絶体絶命、ゆえにこの提案は渡りに船、だけど――引き渡した後、鏑はどうなるか? 何をどう考えても、ろくなことにはならない。
「……鏑」
呼びかけてみたところで、鏑は振り返りもしなかった。
黙って、僕をかばうように立っている。
「ざぁーんねん。時間切れでーす」
そして聞いてから五秒もしないうちに藍原さんはまた鎌を回し始めた。
「あたしの理想の反応はねー、即答で『こんな女どうにでもしてくれていいから命だけは助けてくれ!』って迫ることだったんだ。ちょっと間違えちゃったかな?」
一度まばたきをしたその直後、藍原さんは僕のすぐ目の前で鎌を振り上げていた。
「言ったのにね。あたしは、悪の魔法少女なんだ――って」
え、と声を上げる暇すらなく、鋭い刃が僕の首を抉り飛ばそうと迫りくる――
――金属音。
目を閉じる暇すらなかったのですべてがはっきりと目視できた。
鎌とナイフの鍔迫り合い。さっき鏑から渡された、刃渡り三十センチ超のナイフ――そのナイフを今、鏑はしっかりと握りしめて、大きな鎌を受け止めている。
鏑がどんな表情をしているのか、僕のほうからは見えなくて。でも鏑と向かい合っている藍原さんからはその眼がはっきりと見えたようで――火花を散らさんばかりに鏑と視線を交差させた藍原さんは、口の端を吊り上げて笑った。
「……悲しいよねえ灰塚ちゃんも。最後の砦が藁の家って感じ?」
嘲るようなその台詞に鏑はわずかに両肩を震わせた、ように見えた。
けれど、そんなのは僕の見間違いだったかもしれない――そう思うほどに素早い動きで、鏑は藍原さんの足を払うと、ポケットに手を突っ込んで、
「あ」
しまった、という顔をする藍原さんに構わず、取り出した白い羽根を一枚、ふわりと宙に放り投げた。
途端、視界が真っ白な光に包まれて、僕は思わず目を閉じる。
「あー、もう……灰塚ぁー!?」
薄目を開けてもいまだ世界は白光の中、苛立ったような藍原さんの声が聞こえる以外は何もない。
やがて耳元でごうごうと強風の吹き荒れるような音が鳴り始めて、その声すらもあいまいになっていった。
「――この場は――見逃――! でも、さすがに――逃げ切れると――思――――」
目も耳も使い物にならない中、世界がぐるぐると回り出したような感覚が全身を襲い――
気づくと、僕は自宅の前に倒れていた。
硬いアスファルトの道路に寝っ転がって、夕暮れ時のオレンジ色の空を呆然と眺めていた。
「……ごめん。やっぱり巻き込んだ」
そんな視界にひょっこりと顔を出す、僕を覗き込む鏑のとても申し訳なさそうな表情――
なにから聞いていいのかすらまったくわからない状況なのだが、もうそんなこと言ってる場合じゃなかった。
「……かぶら」
機械のようにぎこちない動きで上体を起こし、機械のようにぎこちない動きで鏑のほうへ向き直り。
「さすがに、説明、してくれないかな……。……その銃、なに?」
だらりと力なく垂れ下がった鏑の右手に握られていた、銀色の拳銃を指さした。
とりあえずはこの拳銃だ。鏑がいろんなものを撃った拳銃、藍原さんが自分を撃った拳銃。ここからすべてが始まっている。
「……わかった」
鏑はしばらくためらうように口をもごもごとさせていたけれど、やがて意を決したかのように、決然とした瞳を僕へと向けた。
「この銃は、撃ち抜いたものの世界観を書き換える銃――世界銃」
「……」
「……」
「ごめん。……なんて?」
「
「……」
「……」
こんなときに言うことではないのは重々承知しているけれど、それでも、それでも……ひとつだけ。
――昔から、鏑にはネーミングセンスがなかった。
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