第5話 意味ありげな台詞だけを残して去っていく幼馴染
* * *
僕らが小二のとき、鏑のお母さんはひとりで九州の地元に帰省した。病気をしたお婆さんの面倒をしばらく見る必要があったとかで、ただし仕事の都合があってお父さんはそれに付き添えず、鏑も学校があるからとこちらに残っていたのだが――
タイミング悪く、九州のほうで大震災が起きた。
鏑のお母さんは二度と帰ってこれなくなってしまった。
大きな地震だったから、毎日のようにニュースを見たし、とんでもないことが起きたらしいのは小二の頭でもわかった。とはいえ、ここからは遠く離れた土地での話だから、実感なんかはまるで持てなかった。
それでも、鏑が何を言っていたかだけは今でもよく覚えている。
「天罰なんだって、言ってた。テレビ見たら、偉い人が」
「天罰?」
二階の僕の部屋から鏑の部屋の窓が開けられる、そのくらいの至近距離で僕らは暮らしていた。だから普段は窓越しに話をしたりすることも多かったのだが、その日の鏑はその窓から僕の部屋にやってきてこう言った。
「神様がね、怒ったんだって。人間、悪いことばっかりするから……欲張りなことばっかり言ってるから。この地震で、それを反省しなきゃならないんだ、って」
ぽつり、ぽつりと鏑は続けた。お母さんもそうだったのかな、と。
「お母さん、悪いことしてたのかな」
「わたしが欲張りだったからかな?」
「罰……当たったのかな?」
当時小二のクソガキなりに、いたたまれない気持ちにはなった。けれど何も言えなかった。鏑は泣きもしなかったし、淡々とした語り口は、あまり傷ついているようにも見えなかったから。
今となっては、このときは鏑もまだ実感が持てていなかったんじゃないかと、そんなふうに思うけど――
それから、二年後の話。
急な出張が入ったとかで、鏑のお父さんは鏑を僕の家に預けると、飛行機に乗って旅立った。
そしたら、その飛行機が落ちた。
――母の死では実感が持てなかった鏑に、『死』というものを理解させるため。神様は、立て続けに飛行機を落としたのかもしれない。
一瞬、そんなふうに考えてしまったほど、不運極まりない事故だった。
* * *
引っ越しなんかじゃなかった。あのとき鏑はずっと泣いていたのだ。
親戚には誰も鏑を引き取ろうという人はいなかった。ならば首藤家で引き取ろうと父と母は息巻いたが、しかし犬猫を拾うのとはわけが違う。簡単に決められることではない。
そんな中、鏑を引き取りたいという申し出があった。
有名な慈善家の人だった。
その人も、件の飛行機事故で身内を亡くしたらしい。事故のことを調べているうちに鏑の存在を知り、とても他人とは思えなくて声をかけた、と言っていた。
もともと孤児院への援助なんかをしている人でもあったらしく――微妙な話になった。
一応、向こうは一歩引いていたそうだ。他に適した人がいるなら、愛情を注げる人がいるならそのほうがいいのかもしれない、と。とはいえ本当に微妙だったのだろう。一般家庭の首藤家とは違い、向こうに行けば少なくとも、お金がらみで肩身の狭い思いをすることはなさそうだったから。
結局、最後は鏑の意思。
鏑は――今までありがとうございました、と言った。
それが、僕の中にある記憶。
「……鏑」
立ち止まると、後ろの鏑も止まった気配がした。
遠くに引き取られていった鏑が、なぜこんな微妙な時期に、アパートを借りてひとり暮らしをしてまで故郷に戻ってくるのか。その理屈もよくわからないが――
僕の父と母の中では、鏑の両親が生きているということになっていた。
明らかに、おかしい。
「あのさ、かぶ――」
さすがに問い質さねばならないと、意を決して振り返った瞬間――
額に、こつんと何かが当たった。
鏑が僕のすぐ前に立っている。右腕を突き出して立っている。
「ら……」
額に、冷たく硬い感触――ぴったりと押し当てられたその正体、確認のために一歩下がって、ピントを合わせる。
銃口だった。銀色のリボルバー。
鏑が拳銃を握っていた。
鏑が、まっすぐに腕を伸ばして、僕に拳銃を突きつけていた。
――幼馴染に、銃口を向けられている!
「……、……!」声が出なかった。
鏑は鋭い目で僕を見据えたまま、撃鉄に親指をかける。
小さな金属音とともに、撃鉄が起こされ――同時に。
シリンダーの上あたりで、緑色のスコープが起き上がった。
――スコープ?
五百円玉くらいの大きさの、薄っぺらい緑色の円。円の中心を通る十字はスコープのように見えるけど、しかし緑色の円は接触の悪いテレビみたいにガサガサと揺れている。
ホログラム映像、のように見えた。
「……」
「……」
鏑はしばらくホログラムスコープをのぞき込んで黙っていたが、ふと目を閉じると、上げた撃鉄をゆっくりと元に戻した。
拳銃を懐にしまいながら、言う。
「……ありがとう、匿ってくれて」
「匿っ……」そんな話だったんだろうか。
「でも……」
鏑は気まずげに目を伏せると、苦しそうに眉根を寄せ――くるりと、僕に背中を向けた。
「……ごめん。来ないほうがよかった」
「あっ、ちょっ、鏑!」
そのまま黙ってすたすたと歩き始めたものだから、慌てて呼び止める。
聞かなければならないことが腐るほどある。それはもうザルですくえるほどある。
けれど、どれから聞けばいいのかもう本当にわからなくて――
だから、口から出たのは、こんな台詞。
「……あの、ひとり暮らしって、こっち転校してくるって……あれ、ほんとなの?」
曲がり角の手前で鏑は立ち止まった。振り向きもせずに、一言だけ。
「ほんとだったら……よかったけどね」
それだけ言って駆け出した鏑は、角を曲がると煙のように消えてしまった。
煙のように。
もはや驚けもしない。驚けもしないが……どうなってんだ、本当に。
昨日からずっと夢を見ているようだ。かしげた首が元に戻らない。
どうすればいいかもわからないまま、とりあえずは学校へ向かうことにする。本当に転校してくることになっているなら、先生あたりに聞けばわかるんじゃないか――
なんて、考えながら歩いていたときのことだ。
「あわわわ、遅刻、遅刻~!」
「……?」
素っ頓狂な声と、パタパタとアスファルトを蹴る足音――
曲がり角の向こうから聞こえてきた珍妙な音に、立ち止まる。
誰かが走ってきているようだ。ぶつからないよう数歩下がって、塀のほうに身を寄せる。
「遅刻、遅刻~!」
案の定、すごい勢いで制服姿の女の子が飛び出してきた。ショートの茶髪を振り乱しながら強烈なドリフトを決め、ほぼ勢いを殺すことなく僕の隣を駆け抜けていく――
「――っと、すいません!」
と思ったら、急激なブレーキ音。
靴底をすり減らしながら止まった女の子は、僕のほうに振り返って言った。
「いやごめんなさい、えっとですね、明洋高校ってここからどう行けばいいかわかります!? あたし土地勘なくって……」
「明洋ですか?」僕の高校だった。
その場でせわしなく足踏みをしながら、僕の目をまっすぐに見据えて聞く。くりくりした瞳が焦りに光っていた。
「……えっと、明洋ですか。あの、それなら電車使ったほうが……」
「電車! そこからか! じゃあ駅ですね!? すいません、ありがとうございました!」
「あっ、ちょ……」
駅の場所はわかるんだろうかと言ってから気になったのだが、少女は引き留める間もなく弾丸のように駆け出していってしまった。
「……」
なんなんだろうな、今日?
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