【現代異能?】巻き込まれ型主人公

第4話 物語を動かすのは謎の少女との出会い


 抱き着かれた格好のまま硬直して十分ほど経ったころ、なんか呼吸穏やかになったなと思ったら鏑は眠っていた。そのままの姿勢で。信じがたいことに。

 本当にどうすればいいのかわからなかったので、とりあえず鏑は部屋のベッドに寝かせ、僕は床の上で座禅を組んで寝た。

 翌朝、目覚めるとベッドはもぬけの殻。

 変な体勢で寝た身体の痛み、そしてなぜかかかっていた毛布、それらをいっぺんに払いのけて立ち上がる。まさか昨日のは夢だったのかと目を剥きながら階段を駆け下り――


「あ」

「あっ」


 洗面所のところで鏑と出会った。

 濡れた頭にタオルを乗せて、ドライヤーで髪を乾かしている最中だった。ピンク色に上気した頬を、こめかみから垂れた水滴がすっとなぞる。

 控えめな胸のラインが薄い肌着のおかげではっきりと見えた。

 今しがたシャワーを浴びてきたばかりのように見えた。


「……」

「……」


「……おはよう」挨拶は大事だった。

「おはよ」鏑もちゃんと返してくれた。返してくれたがダメだなこれは。もうダメだ。


 なんだこの状況?


 しゃかしゃかと歯を磨き始めた鏑は、一度ちらりと僕のほうに視線を向けては、気まずげに鏡へ視線を戻し、今度は鏡越しに僕を見る。そんなことを繰り返している。

 ぼすん、と腰のあたりをどつかれた。


「おい。おい、遅いよ、紘一。鏑ちゃんのが早起きってどういうこと」

「お母さん!?」

「お母さんだけど?」お母さんだった。

 洗濯カゴで僕の背中を小突きながら、鏑のほうに視線をやり、微笑む。


「ごめんなさいねほんとに。鏑ちゃんはこーんなに綺麗になったのに、うちの息子はもう昔からずっと冴えない頼りない貧弱なままで……」

「……いや。いや……」


 鏑は苦笑しながら聞いていたが、ちょっと待ってほしい。


「いや、その、鏑……鏑、なんでここにいんの?」


 なぜこれを鏑本人でなく母に聞いているんだろうな、と他人事のように馬鹿らしくなったが。

 なぜ母は当然のように鏑を受け入れているのだろう?


「ああ、鏑ちゃんこっち引っ越してくるんだって。あんたと同じ高校らしいよ」

「……転校?」

「そうそう。でもねー、こっちで暮らす予定だったアパートが、なんかの手違いで入居が一日遅れることになったらしいの。それで、しょうがないから今日はうちに泊まっていきなさいって私が言ったのよ。そうよね?」

「はい。すみません、ご迷惑おかけして」

「いいのいいの! いいじゃない、昔みたいで。ほら、あんたもまた鏑ちゃんと一緒に学校行けるんだから嬉しいでしょ?」

「いや、待って」

「正直になりなさい!」


 母は僕の背中にバチンと張り手をかまして洗濯機のほうへと消えた。

 残される僕と鏑、僕は洗面所の鏡を見た。鏡に映っている鏑の瞳を見た。

 目が合った。

 逸らされた。

 鏑はそさくさと歯磨きを済ませると、何も言わず、僕のほうを見ようともせず、僕の脇を足早に通り抜けていった。


「……」


 肩甲骨のあたりまで伸びた長い髪を揺らしながら歩く後ろ姿――

 ――何かが、おかしい。


 *  *  *


「いや、しかし本当に綺麗になったねえ鏑ちゃん。なんていうのかな、お嬢様みたいだよ」

「あはは……ありがとうございます」

「それに比べて紘一と来たら。いつまでも子供っぽいまま背丈だけ大きくなっちゃって」

「……」


 父と母が並んで座り、その向かいでは僕と鏑が並んで座る――今朝の食卓は、なぜか四人。

 鏑を見る父の目はほとんど実の娘を見るそれだったし、鏑は照れくさそうに笑っているし、もはや母の冗談に反応する余力もない。


「こうしてると、昔を思い出すね、本当に……。あの頃は、よく遊びに来てくれた」

「ずいぶん、お世話になりました」


 父と母に頭を下げるその仕草の、なんとお淑やかなこと……。

 鏑は窓側に座っていたので、長く伸びた光沢ある黒髪は朝日によく映えていて――

 本当に、お嬢様のようだった。

 光にきらめく鏑の横顔を横目にこっそり眺めつつ、僕も味噌汁に口をつける。


「しかしまあ、お父さんもお母さんも……よく許してくれたね。女子高生のひとり暮らしなんて」

「あら、鏑ちゃんなら大丈夫よ、しっかりしてるから。紘一がひとり暮らし始めるって言い出したらバカ言ってんじゃないわよって言うけど」

「――え?」


 危うく器をひっくり返すところだった。素っ頓狂な声を上げてしまった。

 どうした、と父が僕を見る。

 どうした、どころの話じゃない。


「いや……鏑の、お父さん、お母さん、って……」

「そうだ、お父さんとお母さん元気? 引っ越してからはなかなかご挨拶もできなくて……」

「ごあいっ、さ……?」


 変な声が出てしまった。

 思わず母の顔を見た。きょとんとした目で僕を見ている。父を見た。やはりきょとんとしている。

 鏑を見た。

 鏑は僕を見ていなかった。

 テーブルに視線を落として、うつむいていた。


「……どうしたの、紘一。なんか具合悪い?」

「いや、いや、お母さ……え? ちょっと待ってよ。鏑のお父さんとお母さんって……」


 急にあたふたしだした息子に、父も母も戸惑っているようだった。が、わからないのはむしろ僕のほうだ。

 ――母は、父と顔を見合わせて、それから、慎重に……切り出した。


「あのね、紘一。忘れたわけじゃないでしょ?」

「忘れてない」

「そう。あんたが小学校の五年生のとき、鏑ちゃんのお父さんとお母さんは――」

「……え?」



「――お父さんの転勤で、遠くに引っ越すことになっちゃって。それで鏑ちゃんも転校したの。覚えてるでしょ?」



 そんな事実は覚えていない。

 鏑は一度もこちらを見なかった。



 *  *  *


 朝食を終えた僕は制服に着替え、学校へ行く支度をする。

 さて、鏑は今日この後、引っ越し先のアパートを見に行く予定があるそうなのだが。

 時間に、余裕はあるらしいので――

『どうせ転校してくるんだから、あんた一回高校まで案内してあげなさい!』

 ということで。


「……」

「……」


 僕と鏑は二人そろって玄関先に放り出されていた。

 鏑は昨日の黒いワンピースを着ていた。

 非常に気まずい沈黙があった。

 けれど、いい加減聞かないわけにもいかず――歩き出した僕は、後ろをついてくる鏑に、振り向くことなく尋ねてみた。


「あの、さ、鏑。……どうなってんの?」

「……なにが?」

「いや、……おかしいでしょ?」

「……」


 記憶の中の鏑は、もっとずっと口数が多かった。

 七年ぶりの再会だから、そりゃあ小学生のあのころと同じように話せというのも妙だ。けど、おかしいものはおかしい。

 何がおかしいのかというと、理由はそもそも鏑の転校、その原因が何だったかという話で――


 鏑は、両親を亡くしているのだ。

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