フェネックのきもち

フェネックのきもち

 アライさんのことは自分が一番よく分かっていると思っていた。


 だからアライさんが「フェネックなんてもうしらないのだー!帽子泥棒は一人でさがすのだー!」といって駈けだしていってしまったとき、私は驚いて咄嗟にとめることができなかった。


 その行動は予想外だったからだ。


(……でもアライさんのことだからきっとすぐに寂しくなって戻ってくるよね)


 私はいなくなってしまったアライさんが戻ってくることをここで待っていることしかできない。

 アライさんを完全に見失ってしまった今となっては下手に探しに出ると逆に行き違いになってしまう可能性があるからだ。


 幸い、この近くには『としょかん』という目印がある。森の中を無暗に探し回るよりはここで待っている方が再会できる可能性は高い。私はそう判断し、アライさんが戻ってくるまでここにとどまることにしたのだ。

 それにしても……


「はあ……なんであんなこといっちゃったんだろ~……」


 そう、そもそもこんなことになってしまった原因は今からほんの数時間前の些細な言い争いにある。


 ■


「アライさーん。もう疲れたよー。ちょっと休憩しようよー」


 アライさんに付き合って「帽子泥棒」を追いかけてきた私は一日中歩き続けたことによってさすがに疲れてしまい、アライさんにここらへんで一休みすることを提案した。それなのにアライさんの方にはまだ体力が余っているらしく、その提案は却下されてしまったのだ。


「なにいってるのだフェネック―!そうやって休んでいる間に帽子泥棒はどんどん逃げていってしまうのだー!休んでる暇なんてないのだー!」


 少し、ムッとした。

 アライさんはその帽子を探すことに夢中なのだろう。それこそ足腰の疲れも忘れてしまうぐらいに。

 だけど、実のところ私の方はそれほどその帽子には興味がないのだ。

 その帽子の近くを通ったボスが喋ったということについてもそうだし、喋っていた内容についてもそうだ。

 ただ、アライさんがその帽子泥棒(といってもこれはまたアライさんの勘違いかもしれないのだが……)を追いかけるといったとき、これはなんだか面白そうなことになったなと思った。

 というのも、これまでアライさんが何かをやるといったときにそれに付き合って楽しくなかったことはないからだ。


 アライさんは思いこみが激しく、いつも一生懸命で、そんなところが可愛くて、やるといったことがうまくいってもいかなくても私はアライさんと一緒にいることが楽しかった。


 ……アライさんはちがうのだろうか?

 アライさんは私と一緒にいても楽しくないのだろうか?

 だから私の体力に気遣ったりすることなく、どんどん先にいってしまおうとしているのだろうか?


 そう考えだすと急に不安が湧き出てとまらなくなる。


 ……アライさんが私と一緒にいて楽しくないなんて、そんなことあるはずない。

 おっちょこちょいなアライさんを助けてきたのはいつだって私だったもの。もう親友といっていいぐらい仲良くなれたはずだ。アライさんだって私と一緒にいることが楽しいに決まってる。


 だから、そんなあり得ないことへの不安を打ち消すために、私はちょっと意地悪なことを言ってみることにした。


「アライさん、でもその帽子泥棒っていうのもたぶんアライさんの勘違いだよ。そうやってアライさんがはりきって勘違いじゃなかったことってある?またそれで問題がおきたらフォローするのは私なんだよ?この前だって──」


 ……あ。


 そこまでいってようやく気付いた。目の前にいるアライさんの眼に涙が滲んでいることに。

 羞恥によるものか、屈辱によるものか、あるいはその両方か。顔は小刻みに震え、やや赤みがかっている。


 さすがにいいすぎたかもしれない。そう思って謝ろうとしたのだが──


「フェネックなんてもうしらないのだー!帽子泥棒は一人でさがすのだー!」


 ……私が謝るよりも早く、アライさんはそう叫ぶと森の中へ向かって駈けだしていき、私がそのことに動揺している間に見えないくらい遠くまでいってしまった。


 ■


 そしてそのまま数時間たってもアライさんは戻ってこなかった。


 私はその間ずっとはぐれた場所で待っていたので足腰の疲れはとっくにとれている。


 疲れがとれ、冷静になってくると「やっぱり言い過ぎたな…」という気持ちがだんだんと強くなってきた。

 休憩を提案するにしてももっとうまい誘い方があったはずだ。

 賢い自分はいつだってそうやってきたはずじゃないか。

 ……。

 だけど、今。

 出会ったばかりのころとは違ってアライさんと長い時間を過ごしてきた今の自分はアライさんに「フェネック疲れたのかー?じゃあ休むのだ―!」と気遣ってもらいたかったのだ。それだけなのに。アライさんは……


(もしかしてこのままずっと──)


 嫌な考えが頭をよぎる。


 こんな喧嘩別れみたいな別れ方、絶対嫌だ。

 私はアライさんともっと一緒にいたい。

 アライさんの怒った顔も、悲しんだ顔も、吃驚した顔も、嬉しそうな顔も近くでずっと見ていたい。

 私はもうアライさんのことが大好きになっていた。


(探さなきゃっ……)


 さっきまではこの場所でまっていた方がいいと思っていた。


 だけど、アライさんはもう戻ってくる気はないのかもしれない。

 そう思い始めたのはいなくなってから時間がたちすぎているからだ。


 自分はアライさんのことを一番わかっていると思っていたが実際には何も──


(探して、せめて一言あやまらなきゃ)


 そう思って立ち上がった。


 その時──


 近くの草むらがゴソッゴソッと動いていることに気付いた。

 そこから飛び出したのは良く見慣れた小さな耳。大きな目。小ぶりな口。


 アライさんだった。


「アライさんっ!」


 思わずだきついてしまう。自分らしくはないが仕方がない。もう二度と会えないかもしれないと思っていたのだから。


「アライさんっ!アライさんっ!アライさんっ!」

「フェ、フェネック!?やめるのだー!苦しいのだ―!」


 それからゆっくり話をして。

 アライさんが何時間も戻ってこなかったのは単に道に迷っていただけだったということがわかった。


「ア、アライさんもちょっと怒りすぎたのだ。フェネックが疲れているなら言う通りに休憩をとればよかったのだ……」


 そういって項垂れるアライさんを見て。

 私はやっぱりこの子のことが好きだなと思った。

 ……伝えなきゃ──

 ふと思う。

 今、このきもちを。

 またアライさんがいなくなってしまう前に。

 私は、今、ここで、告白する決意を固めた。


「アライさんあのね、私、アライさんのことがす──」


「……静かにするのです。お前らはうるさいので」

「……少し黙るべきです。お前らはうるさいので」


 図ったようなタイミングでとしょかんの中から出てきたのはいないと思っていたコノハはかせとじょしゅのミミちゃんだった。


 もしかしてずっといたのだろうか。


 せっかくの告白に水を差されたような気持ちになった私はまた少しムッとしたが、案外これで良かったのかもしれないとも思う。アライさんとは友達のままで一緒に楽しい時間を過ごそう。

 ……それでももしいつか告白するべきタイミングがくればその時は──

 その時まで──


「おおーはかせたちー!……ん?フェネック、今なんて言おうとしていたのだ?」

「なーんでもないよー!」


 このきもちはしまっておきましょう。大切に。鍵をかけて。   <了>

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フェネックのきもち @ago_36

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