追憶の戦場

うさぎつき

第1話 忘れられた殺意を腕に



まるで認知療法みたいだ、そう僕は思った。

アルファシンノコイドと名付けられた軍事用の薬物の効用が身体からすっかり抜け落ちるまで、担当するドクターより携帯用のデバイスを片手に毎日の記録を付けるようにと命じられた。

荒野に降り立つのが今までの任務なら、真白で漠々とした画面を制圧するのが新たな任務らしい。

そうは言っても、訓練者や銃火器の取り扱いマニュアルを読むのが精々という人間が文章を書けと言われて初っ端からまともな物が書けるはずがない。小等部の学生が記述するような単純な短文の羅列がいいところだ。

肩を竦めて、皮肉交じりにドクターにそう返せば、僕と同じように戦闘ばかりで頭が空っぽな兵士の扱いに長けた産業医は慣れた様子で淡々と、

「なんでもいいんですよ。日常で見付けた色彩。ちょっとした風景。腹が立ったこと、涙を零したくなった事件、身をよじるほど愉快な出来事……重要なのはあなたが何を見て何処に行って何を感じたかを自分自身で把握することです」

とカルテに記載しながら言葉を吐いた。

その行為の奥には、下級兵士には理解の及ばない意図が間違いなく隠されているのだろうが、遠目で見ればそれはたかだか日記だ。変に反抗的な態度を示して評価Cマイナスを食らった日には、再び戦場に立つことは到底難しくなる。

僕は仕方なく、左手に頑丈に取り付けられた携帯端末を眺めながら、出来の悪い生徒が教師に見せるように「イエス」と頭を下げて頷いた。


ところで僕の左腕に取り付けられた携帯端末。正式名称は意思行動傾向把握認知装置で少々長ったらしい。

巷ではそれを揶揄して携帯型監視監獄装置だの歩く道徳的強要コレクションだのと呼んでいるがーー世間で認識されている程度には一般的に普及されているデジタル機器だ。

元々は刑務所から出所したばかりの犯罪者に取り付けられていたそうだが、それが一部の若者には反体制的なファッションとして受け入れられ、今では大多数の人間が娯楽用に取り入れている。

どんな機器も大抵の場合は軍事や医療産業用に生み出され、より高品質に小型化されて大衆受けする道具に変貌させられるというが、アダルト目的でなく普及するのは珍しい。そういった原則によりこの機器もまた地下組織において高額な売買が行われているそうだ。

だがそれは久しぶりに泥濘でない、完璧に舗装された道路を新品のスニーカーで歩む僕にとっては無関係な話だ。

今はまだ、凡庸でありながら新鮮なこの世界をどうやって僕自身の言葉で翻訳していくか、それを考えて青空に顔を向けるだけだった。



退屈。

真っ先にデバイスに打ち込んだのはその一語だった。

かつては連日のように歩いたニューヨークの大通りも、何度も死線を彷徨ってきた僕にとっては退屈そのものとしか言いようがなかった。

ありふれた平和に聞き慣れた言語は、国境警備隊の一員を相手として任務に当たっていた僕には物足りない物だった。

遥か先まで立ち並ぶ金属のフェンス。ブーツの底で蹴りをかませばガシャンとやかましい音を立てて軋むありふれた妨害物だ。時にはそれが有刺鉄線となり、高圧電流が流されることもあるが、いずれにせよ絶対的な境界線として人々の前に立ち塞がっていた。

当然ながら周囲にはサブマシンガンを備えた警備兵も並んでいた。フェンスを挟んだそれぞれの集団が民族、言語、あるいは宗教などの面によって絶対的な差があればあるほどに両者間の緊迫感も強いものだった。

僕がそこで何をしていたかと言えば、見事なまでの領域侵犯。フル装備で警戒に当たっていた警備兵の頭蓋骨を撃ち抜くか、頸動脈をナイフで掻き切るか、心臓が二度と動かないようにハートを左右に引き裂いてやるのが仕事だった。

当然ながら危険は多い。死んで当然の覚悟を決めた本気の兵士を相手に、上からの命令に絶対服従の下級兵士が正面から挑んで敵うことは極々まれだ。

だから僕たちは大体の場合は五人一組でチームを組んで任務に当たらされた。仲間割れを防ぐための五人。いざという時に民主主義の象徴である多数決のルールに従い決定を下すための五人。ソビエトの経済政策にも使われた五という数値。

それで能力が均等にそれぞれ割り振れればいいのだが、中には寄せ集めだけの成果しか出せないチームもある。万が一、それが前線に送られた場合は単なる犬死にの集まりでは許されない。敵国の捕虜として捕まる場合は勿論のこと、運よく死んだところで装備や武器の形状から何処から指令を受けた存在か、分析されて暴かれてしまう。そうなればそいつらは単なる目眩しの捨て駒どころか、本部が標的として扱われる一因として大損害を引き起こす。

そうならないために何度かの訓練と経験の後、僕たちは一目で互いの力量と諸々の技術を把握する能力を得た。そして互いが何を動機として特殊兵の道を選んだのか、人生における隠された闇までも見抜けるようになった。大抵は金か仕方なくこの道を選ぶしかなかった負け犬連中ばかりだったが、そういう奴らほど生に対して貪欲だ。無茶はせずに慎重に落ち着いた作戦と、無難ながらも確実な一手で相手を仕留めて、成果を必ず物にする。

死を前にすれば誰でも必死になる。


そういう中では、オットー・ビアノスミスは例外とも言える存在だった。



オットー・ビアノスミス。

社交的でハンサム、そして有名大学院出身のインテリ。語学の才能もあり、故郷に帰れば両親が大金を暖炉の前に並べて待っている。本人の口から漏れた情報を繋ぎ合わせてみれば大体はそんなところだが、抽象的な評価だけが周囲にまとわりついて、肝心の実態については長年一緒に連んでいた相方のミーヤ・ベルギアンにすら分かりかねる部分があった。

炭焼き工の末裔かと尋ねたこともあるが、僕が精一杯の知識を活用して問い質していると察すると、含んだように両頬を吊り上げてにやにやと曖昧に首を振るだけだった。そういう名前のぼかしと同様に、オットーには肝心なところで真意をぼかす悪癖があった。

それが任務外の一時ならば気障ったらしい同僚として、無視をすればいいだけだが、オットーの場合は時には敵も味方も両方がごちゃ混ぜに破壊と暴力に巻き込まれることを楽しんでいる、そんな気配も見え隠れしていた。

例えば食事時に起きた一つのトラブルがある。知り合って間もなくの頃はまだ気にも留めなかったが、今から振り返ってみれば小さな混沌の破片こそがオットーを極めてよく象徴していたと思う。


物語というのは得てしてそんなものだ。一つ一つは些細な断片なのだが繋ぎ合わせてみればいかようにも変貌を遂げる一つの絵となる。いや、逆に全体像があらかじめ存在し、そこから散らばった破片の一つ一つが時たま見え隠れして、異形や畏怖の対象となるのかもしれない。

なんにせよ、その日のエピソードはアンバランスで身の収まりがどうにも悪い。

僕の胸のうちにある違和感を振り返るつもりで、デバイスに打ち込んだ退屈の文字の下にオットーと名前を打ち込み、幾つかの象徴的な単語を連続的に並ばせた。



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追憶の戦場 うさぎつき @04-19

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