第五十四話
「うわっ、さ、さむっ……」
部屋を出てすぐ、広がるのは白の世界だった。
全てが凍りついた世界。
えっちゃんの領域。
滑らないように駆け出しながら、ミャコはユーミにも話を聞きつつ、ざっと状況を整理する。
青い光線に打ち抜かれ、落ちていったあの時。
えっちゃんに、よく見ててって耳打ちしたあの時。
ミャコはただ突っ立てたわけじゃなかった。
それは思いつきの初めての目論見だったんだけど。
相手が時の力を持つものだって分かってた時点で、その反則っぽい力に勝つためにはどうすればいいのかって考えてた。
それが、風の力にお願いした、『とめて』って言葉に繋がってくる。
止めたのは風そのもの。
大気中に漂うその力の活動を停止させてもらった。
ちょうどミャコとえっちゃんを覆うように。
それは真空。
時を止めて攻撃してくるだろうって、そう思っていたから、それはミャコの予測にすぎなかったけど、出来としては50点ってとこだろう。
相手も中々慎重だった。
その真空の範囲に飛び込んできたのは、あの黒い豹だけで。
黒い豹は、ミャコに噛み付くその直前で、真空に刻まれた。
それで黒い豹は倒したんだろうけど。
黒い鎧の一撃を受けたミャコも一緒に落ちていってしまった。
ミャコはそこまではかろうじて覚えている。
ほんとはそれで終わらすつもりだったんだけど、そううまくはいかないらしい。
そして、ミャコがやられたことで切れてしまったえっちゃんが、レイアークを発動。
その無差別の攻撃に敵方も一時撤退。
ミャコもあえなく巻き込まれて。
セイルさんやディノになんとか助けられて……ってことらしい。
たまたまユーミが全ての怪我と状態変化を治すっていうレイアークの力を持ってたからよかったものの、でなければ今頃はミャコは、氷のオブジェになってたに違いない。
そんなミャコに、
「全て分かっていた上でのことでしょう?」
なんて冷たく言われて。
思わず苦笑を浮かべるしかなかったわけだけど。
やがて辿り着いたのは、元は中庭だっただろう白い世界だった。
そこには満身創痍のえっちゃん、セイルさん、ディノの姿。
この場から撤退したのか、水の兵士たちの姿はない。
青く切り裂く光線をばらまく黒い鎧と、これまた黒い、天井を塞ぐんじゃないかってくらい大きな怪鳥の姿があった。
「えっちゃん!」
ミャコは叫び、風の力を手のひらに込めて駆け出していた。
「ミャコ!」
ひびの入りかけた氷の盾で自分の身を守りながら肩で息をしてるえっちゃんが、まるでお化けでも見たみたいにびっくりしてるのが分かって。
その瞬間、砕ける氷。
迫る青い光線。
ミャコはその進路に向かって風の塊を投げつける。
拡散して進行方向が逸れた光は、えっちゃんの足元を掠めて。
よろめくえっちゃんをなんとかミャコは支え、抱きしめるのに成功した。
「ミャコ……生きてる。あんなに血が出てたのに」
あの時のミャコがえっちゃんにどう見えたのか、
泣きそうなえっちゃんを見てると想像に難くない。
でもあれはほとんど敵の返り血で、むしろえっちゃんの氷で生死を彷徨ってました、なんて言えるはずもなく。
曖昧に濁してミャコは笑って。
「さぁ、こっから畳み掛けるわよ!」
ミャコはそのまま、きっと空を睨みつける。
「ぐぅっ、な、何をしているルック! 早く片付けろっ!」
ミャコの知らない間に、怪鳥の姿になってるディアル。
戻ってきたミャコに対しての狼狽を隠せないままに、黒い鎧のやつに命令する。
だが、そう言われた黒い鎧は、唸ったまま宙を浮いていた。
たぶん、あの光線を打つのには少し時間がかかるんだろう。
あるいは弾切れか。
いずれにしても、これはチャンス。
相手は時を操る奴らだ。この隙を逃すわけにはいかなかった。
ミャコは一同をざっと見渡し、叫ぶ。
「セイルさん、噴水の脇、通路の下よ! ぶっ叩いて!」
「承知した!」
それはミャコが寝てる間戦ってたみんなもよく分かってるんだろう。
ミャコのその一言だけですべきことを理解してくれたのか、一声あげてその手に持つ大きな槍を、大地に突き刺す。
するとそのとたん、天高く吹き上がる水。
「ディノ! えっちゃん、お願いっ!」
ミャコは再び手のひらに風を集め、その水に向かって駆け出す。
ミャコの叫びに一緒になって駆け出す二人。
それぞれの手のひらが噴き出す水に触れて。
「ウルガヴ様、頼みます!」
「ルッキー! がんばって!」
ハモる二人の声。
その瞬間、無軌道に上がっていた水は、蛇のように蠢き伸びて。
そしてそれを追うようにして、水が凍りだす。
ミャコはそこに躊躇いもなく足を踏み出した。
穴あきの翼を羽ばたかせて、周りの風に支えられて。
えっちゃんによってできたその道を駆け上がる。
「おのれぇっ!」
目前に迫ろうかろいう勢いのミャコに、激昂するディアル。
そこには、初めて現れた時のような冷静さは感じられない。
動揺しているのだろう。
ミャコに時の力を破られたのが、それを使うことに躊躇ってしまうくらいに。
えっちゃんたちがミャコが寝ている間に耐えられたのも、きっとそのおかげで。
ディアルがもっと冷静に力を使えていれば、負けていたのはミャコだったんだろう。
その場に満ちる、時の魔力。
力を使うその合図。
「ヴァーレストよ、守って!」
駆け出しながらのミャコのそんな声と、キィンと空間が軋む音が響いたのはほぼ同時。
次にミャコが気付いた時には、ルックと呼ばれた黒い鎧から打ち出された青い光線が、ミャコの目前まで来ていて。
さっきと同じ要領で、光を拡散させることに成功する。
だがそれを受けた衝撃までは打ち消せなかった。
ミャコは狭く不安定な氷の道から弾き飛ばされて……中空で静止した。
「なっ!?」
驚愕に染まるディアルの声が聞こえる。
それもそうだろう。
大穴が開いてぼろぼろなはずの翼なのに、ミャコが空を飛んでいたのだから。
と、そんなミャコの不可解さを紐解くかのように、背中の翼がアイラディア様からもらった翼が、散る花のように細かな羽となって風に流れて飛んでいった。
それでも、ミャコは落ちない。
羽ばたいている。
12のナヴィの中で唯一空を支配することのできる風のナヴィ。
そう言われる由縁。
それは背中にある風の力によって作られて見えない翼があるからこそ、だった。
本当は、アイラディア様から貰った翼がなくても飛べたんだ。
ただミャコは、臆病だっただけ。
飛ぶことが、自分の力で飛ぶことが怖くて、ずっとその翼を広げられないでいた。
それが今になって飛べるようになったのは、アイラディア様から貰った翼がその役目を終えたからなんだろう。
それは、飛べないミャコの補助輪のようなものだったのかもしれない。
ミャコは両手のひらを合わせて、突き出す。
そして、驚愕に染まったままのディアルを見据え、口を開いた。
「風のキセキよ、その姿を示せ! 【アンヴァ・ヴァーレスト】ッ!!」
ガオオオォォン!
手のひらから生まれるは、白金の虎の咆哮。
伸び上がるように踊り出て、目の前の獲物を食らい尽くす。
その断末魔も、命奪うことの悲しみと罪を悔いる、その時間すらも。
そして……。
落ちていくのは、金色の石一つ。
(……一つ?)
それを見てミャコははっとなった。
一人しとめ損ねた。
戦慄を覚え、辺りを見回す。
それは上空。
白金の虎の顎を……力を使って逃れたのか、いつの間に灰色の人の姿に戻り、ふらふらと血塗れで満身創痍のディアルの姿が見える。
「……くっ!」
まだ何かする気なのだろうか。
レイアークを使ったことの反動で、心と身体に軋む痛みを覚えつつも、その後を追いかける。
そんなミャコに気付いたんだろう。
しばらくして観念したのか、ディアルはミャコのほうを振り向いた。
「まだだ、まだ終わらんっ!」
そこには予想とは裏腹の、戦意を失っていない瞳があって。
ミャコはそんなディアルの背後に広がる光景に、息をのんだ。
それは、さっきも見た巨大な花。
あろうことか、そいつはシノイの町へと向かっている。
「見ろ! このまま町は終わりだっ……」
その手にレイピアを構えているディアルは、額に血を零しながらも喜悦の表情を浮かべ、言葉を失うミャコにさらに言葉を続ける。
「止めたければ貴様の命を差し出せ!」
「……っ」
そして、時の根源を表わす紋様の入った、そのレイピアを向けてくる。
これ以上ない、ベタな脅し。
だがそれをミャコは受け入れることしかできそうになかった。
身体が動かない。
ただ、着実に歩みを進める花の怪物を見つめることしかできなくて……。
変化が起きたのはその時だった。
花のドリード、その胴体部分にぱっと小さな橙色の光が噴き出した。
あれは何だろう?
そう思って状況も忘れて目を凝らしたその瞬間。
四方八方、あらゆる角度から橙の光が飛んできた。
それは、火のついた矢のようにミャコには見えて。
「ば、ばかな……」
今度こそ全てのカードを失ったのか、呆然と声をあげるディアル。
まるで何かの儀式のような、神秘的で綺麗な光景。
気付けば火は、花のドリードを覆うように広がっていく。
それは……まるで町を、火に弱い花の化物が襲うことが分かっていたかのような、あまりに準備のよすぎる光景で。
―――『火事になるのは分かってたから避難させた』。
その時思い浮かんだのは、そんなアキの言葉で。
やっぱりアキは……。
ミャコがそう確信を持ったとき。
「何故だ!? 何故こうもうまくいかない! アイラディアの神は我らをお見捨てになったというのかっ」
信じられない、と言った口調でディアルは赤い赤い火を見つめる。
その言葉に、ミャコは答える術を持ち合わせてはいなかった。
何故ならば。
ミャコのレイアークを受けたディアルは。
もうすでに、事切れる間際だったからだ。
ミャコのほうを見ないまま、ミャコに何も言わせないままに落ちてゆくディアル。
風に攫われ、ボロボロに崩れて……。
やがて銀色の石になって、見えなくなる。
「……」
残されたのはミャコと、風の泣く音。
いつの間にか熟していた太陽が、最後の勢いを持って白く燃える炎と混じり、ミャコの目頭を熱くする。
結局、勝ったのか負けたのか。
これでよかったのか悪かったのかも分からないままで。
「疲れた……」
ただ思うのはそのこと。
思い出したらふっと力が抜けて。
ミャコも落ちていく。
ようやく優しくなってくれた、その風に包まれながら。
そして。
心地よい風の中で眠りに落ちるその瞬間。
ミャコが聞いたのは。
やけに近くに聞こえる羊の鳴き声と。
遥か遠くから聞こえる、大歓声だった……。
(第五十五話につづく)
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