第三十七話



「ミャコさん、こっちだょ」


ミャコはアズに手招きされて、危なっかしくも森の木々、その枝葉を足場に駆け抜けてゆく。


その回りにはミズが作り出したもこもこの猿たちが、キィキィとつかず離れず取り囲んでいて。

そんなミャコたち二人は、相手の出方を見極めるための偵察を任されていた。



船から下りてきたもの。

その目的はなんなのか、その最後の見極めをするために。



「この辺りで待ってればいいかな」

「……わわっと」


急にぴたりと背の高い枝葉の上で、制止するアズ。

実はついていくのがやっとで、いつ落ちるのかとヒヤヒヤしていたミャコは、急に止まったアズに驚き、そのまま抱きつくような体勢になってしまう。


「ふわふわだね、ミャコさん」

「ご、ごめん」


特に気にした様子もなく、笑みをこぼすアズ。

触れられなかったはずのぬくもり。

それに気恥ずかしくなって、ちょっと悲しくなって。

さりげなく身を離し、ミャコは苦笑いを浮かべる。


ミャコたちが待機している場所は、海側から均された道の続く、船からやってきたものたちがやってくる可能性の高い場所だった。

月明かりに照らされる、そこだけ草の生えていない、道だと分かるその場所を見据えながら、彼らがやってくるのをじっと待つ。



「……ねえ、ミャコさん」


たぶんきっと、この作戦が成功するためには一番重要な役目を任されただろうミャコたち。


そんな緊張感をほぐすためなのか、緊張などには元より縁の無い性格なのか。

気さくな様子でアズが声をかけてくる。


「なに?」

「ミャコさんさぁ、さっきはマイカさまに言われて誤魔化してたけど、ほんとはボクたちのこと知ってるんじゃない?」

「……」


無邪気に何の悪意もなく、アズはミャコがただ唯一秘密にしていることを蒸し返そうとする。

何か言いたかったけど、言葉が出てこない。


「ほら、さっきさ、ボクのこと助けてくれた時、アズって呼んでくれたじゃん? ボクのこと、よく知ってる仲良しさんを呼ぶみたいにさ」

「それは……」


言い訳のできない、決定的な証拠だった。

ミャコがこの世界の人じゃないってことを知られてしまうことへの。


今まで、アキやルーシァにも、えっちゃんにも結局言えなかったこと。

どうして今の今まで口にできなかったんだろうって、そう思う。


口にしたってミャコが消えるわけじゃない、と思う。

ミャコが嫌われるわけじゃない。

ウソつきだって、騙してたんだって、非難されるかどうかも分からない。

実際にそれを口にしたわけじゃないんだから、どうなるかなんて誰にも分からないのに。



「ごめん、アタイ……」


なのに、そういうことになるかもしれないって怖かったのは、そんなミャコをずるいって、罪悪感を持ってたからなんだと思う。


みんな悲しい目にあって終わっちゃったのに。

ミャコだけこんな続きがあって、やり直しがあって許されるの? って。



「何でミャコさんが謝るの?」

「……」


不思議そうに聞いてくるアズに、やっぱりミャコは答えられない。

その理由を話したが最後、怖いことしか待っていない、そんな気がしてならなかったからだ。

臆病なミャコには、俯いてその返事から逃げることしかできなかった。

そんなミャコを、アズはどう思ったんだろう。



「やっぱりそれって言っちゃいけないことなのかな? ボクはミャコさんがそうだといいなって思ってたから、その答えが聞きたかっただけなんだけど」


小首を傾げて、ちょっと残念そうにアズは笑う。

ミャコは、そんなアズの言葉の真意を測りかねて、思わずアズを見返してしまった。

青白い月のような瞳が、まっすぐミャコのことを見ている。


ミャコが違う世界のひとで良かったってこと?

一体どういうことなんだろう?

ミャコは、その答えを求めて首を横に振る。


「言ったら、アタイ自身が消えちゃう気がしたから……言えなかったの。でもね、そうなんだ。ミャコは、この世界の……」


ひとじゃない。

そう言おうとして、続きは言葉にならなかった。

アズの小さな手のひらに、その口を塞がれたからだ。


「だ、ダメだょ、消えちゃ! 言わなくていいょ、もう分かったから。ボクは知りたかっただけなんだ、それを知ることで、ミャコさんをどうこうしようってわけじゃないんだょ。ただ、お月さまみたいな髪をしたミャコさんが、本当のお月さまだったらいいなって思っただけなの」


焦って泣きそうな顔をして、それを誤魔化すみたいに。

アズは中空に浮かぶ、まんまるの月を見上げている。


二の句が告げないミャコは、そんなアズの言ってる言葉の意味が、こう言っちゃなんだけどいまいち分からなかった。

ここで最初に会った時にもちょっと思ったけど、何か独特の世界を持ってるっていうか、思い込みが激しいというか、詩人さんな感じがする。



「アーヴァインの御名を持ってるボクが言うのもなんだけどさ、お月さまって何のためにあるんだろって、ずっと思ってたんだ。お日さまが出てる時は見えないけど……いつもお空にいて、いつもボクたちのことを見てるのは、何でなんだろうって」

「……」


ミャコの口を塞いだまま、何もツッコミできないまま、自分の世界に入ってしまったらしいアズはそんな事を言う。


「でもね、ボク分かっちゃったんだ。お月さまの正体。ミャコさんのおかげだょ。

だからこれ以上は聞かない。せっかくお友達になれたのに、お月さまに帰っちゃうの、ボクやだもん」


そして、一人でしみじみと納得して、その手を離してくれる。



「……えっと、うん。アタイも帰りたくはないかな、はは」


何だかよく分からないけど、違う世界の住人……ミャコの故郷は、お月様になってしまったらしい。

この世界どうやって来たかも分からないミャコは、当然そんなアズの言葉を否定なんてできるはずもなく。


そこはかとない罪悪感に包まれながらも、苦笑して、そう頷くしかなかった。

何故この世界に月があるのか、その意味を考えればこの世界の真実が見えるってことを、その時は気付くこともなく……。


              (第三十八話につづく)







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