第三十二話


アキの予言を臆面通り考えるとするならば。

あの水の国の軍船に乗ってやってくるものたちは、日の暮れだした今日はやって来ないんじゃないかなって思っていた。


何故なら、彼らが上陸する頃はこの辺りは夜になっているはずで。

力押しで魔王を倒しに……マイカの命のキセキを奪いに来たわけじゃなく、騙して抱き込んで利用する腹積もりなら、日が沈んだ夜に訪問、なんて不審がられてもおかしくないようなことをするとは思えなかったからだ。


少なくとも初めは、魔王となるものの信頼を勝ち取ろうとするはず。

最後の最後まで騙され、信じていたかつてのマイカのことを思うに、それはあながち外れてないんじゃなかろうかってミャコは考えていたけど。


その不審がられてもおかしくない時間帯に、森に入ったミャコたちは、案の定というかなんというか、思い切り不審の風に晒されることとなる。


それは陽が赤く暗く染まり出して、ゆったりとした暖かい雰囲気に見えた森の空気が一変した時のことだった。



「……え?」


まるで生き物のみたいに、足を踏み入れたミャコたちを非難するがごとく、茂る葉がざわざわと揺れている。


「何かいるよっ」


それの正体がなんなのか、最初に気付いたのはえっちゃんだった。

指し示すほうに目をやると、両手両足と尻尾を巧みに使って木々の枝づたいに離れていく緑色のもこもこした、猿の姿が見える。



「あれは……」


闇の魔王、その片腕のひとり、『ミズ』のレイアークに見えた。

だけど、ミャコの記憶にあるものと比べると随分と小さい。

たぶんそれは、ミャコみたいに一度に全力を出すタイプのものじゃなく、極力力を使わずに温存する、おそらくは偵察のようなものなんだろう。


ざわざわと、一斉に騒ぐ森。

その数はひとつじゃないらしい。

どうやら、この森一帯を覆っているようだった。

キィキィと警告の鳴き声が連鎖のように木霊する。


そして……。

ざぁっと、一層強い風が吹いて。

流れる雲に陽が完全に隠れ、出番の早いだろうまんまるの月がその顔を覗かせた時。



「来るぞっ!」


それはやってきた。

えっちゃんのレイアークに勝るとも劣らない強烈な存在感を含んだ風とともに。


そいつは、意思疎通なんかくそ食らえって感じで、ミャコたちに向かって低い威嚇の三重奏を漏らしている。


見上げるほどの大きさのそれは、三つの首があった。

青黒く、たくましく引き締まった体躯に支えられて。

三つの首それぞれには、まるで剣のような光沢を放つ、鋭く太い牙が生えている。

間断なくそれぞれが荒い呼気を繰り返し、その牙の隙間から血のような舌を覗かせていて。


極めつけはその首を、体躯を支える前足だろう。

ひとつの首とは比べ物にならないくらい大きいそれには、五つの刃が仕込まれている。

ブクブクと沸き立つ紫色の何かを滲ませながら。



「あれは……ドリードじゃないな」

「ミャコさんの言うところのレイアークってヤツですか」


レイアだからこそなのか、アキとルーシァの二人は、すぐにそれの正体が何か分かったようだった。


「おぉ、強そうなわんこだ。ミャコのにゃんことどっちが強いかな」


逆に緊張感のないえっちゃんは、そんな事を言ってふらふらと近付いていきそうになる。

それは、ミャコやえっちゃんがかつて命をかけて戦った相手だった。

その時の恐怖が甦って、ほとんど無意識のままに、ミャコはそんなえっちゃんを引き寄せる。


「魔王の片腕、アズのレイアークよ。レイアークにはレイアークって所だけど」

「こっちは戦いに来たわけじゃないのなら、戦うわけにはいかないよね?」


どうする? っといった感じでルーシァが聞いてくる。

まるで、ミャコに何か策がある、そうと分かってるみたいに。


「この手をまさかいきなり使うことになるとは、思わなかったけどね」


そんなルーシァに、ミャコは深いため息をついて。

えっちゃんの手を離し、しょっていた道具袋からあるものを取り出した。



「……ほね?」


緊張感のない様子は変わらぬままに、えっちゃんは首をかしげている。

まぁ、徐々にミャコもそんな感じになってはいるけども……。


そう、それは骨だ。

骨に見せかけた、動物兼ドリード用の餌(特大)。


ここに来ることは、分かっていたから、ヤーシロの町で念のために買っておいたものだ。


「ケル! べぇ! ロス!」


ミャコは、片腕で何とか持つことのできる特大の骨を掲げながら、ゆっくりと威嚇の声を上げ続けるそれに近付き、その名を呼んだ。

主と身近なものしか知らないはずの、その名前を。


これで全く見当違いの名前だったのなら、ただただ笑えない結果になったわけだけど。

案の定、三匹はぴくりと反応した。

すっと、威嚇の声を止め、息遣いだけが聞こえてくる。


かつて一度だけ、彼らの主であるアズがそう呼んでいるのを聞いたとがあったんだけど、効果は抜群だったらしい。

後は、元々仲良くなるきっかけのつもりで買ったこの骨が、どれくらい通用するか、なんだけど……。


「それっ、とってこい!」


ミャコはそれを彼らの鼻先に近付け、かと思ったら振りかぶって遠くへと投げる。

うまい具合に放物線を描いて、森の茂みの向こうへと消えてゆく骨。



「まさか、そんなことで……」


つられるはずがない。

アキはそう言いたかったんだろう。

ミャコも半分以上、やけくそだったのは確かだったんだけど。


「……行っちゃった」


えっちゃんの、ちょっぴり残念な声が辺りに響いて。

かと思ったら、草に隠れた向こう……骨の飛んでっただろう所から、何やら激しく争う声が聞こえてくる。


ミャコにはそれが、一本しかない骨を三匹が喧嘩して奪い合ってるのかな、なんて益体もないことに思えて。


(まさか、そんなわけないよね)


思わずミャコは苦笑を漏らす。

気づけば、進む道を塞ぐ障害がこうも容易くなくなってしまったことに、一同軽い拍子抜けを覚えていたけれど。


「なんて言うか、ほんとに生きてるみたいだねあのレイアーク。ま、いっか。戦わずにすんだんだし。今のうちに急ごう」


ルーシァの言う通りだった。

もたもたしていると、戻ってきてしまうかもしれない。

思うより早く、ミャコたちは城へと向かって暗い森の中を駆け出すのだった……。


             (第三十三話につづく)







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