第十六話
アキの予言は、その一文をアイラディアの神から下されてから(ルーシァ談)、遅くてもだいたい2、3日後に発現するらしい。
今考えるとそれより早いことだってあるんだろうから、のんびりヤーシロで一泊してたことに、ちょっぴり背筋に寒いものを覚えたけれど。
まぁ、そのタイミングは予言した本人のアキが分かってるんだろうなって思いたい。
そんなわけで、アキの予言が起こるまでのタイムリミットは、遅くて明日の今頃になるらしい。
つまるところ、ミャコたちには時間がなかった。
だけどそんな事情も知らないだろうえっちゃんは、何をしても氷の棺から出てきてくれる気配すらなかった。
壊すのも溶かすのも論外。
みんなで呼びかけてみても、えっちゃんは眉ひとつ動かさない。
甘い物好き(特にアイス)のえっちゃんだから、みんなで食べて見せて釣ろうとしてみたけど、やはり結果は芳しくなかった。
アキが言うには、こちら側の声が届いている可能性は高いらしい。
でなければ、自身の命のキセキをあげてもいいと思える人物がやってきても気付く術がないからだということなのだが。
ミャコは、そこまで聞いてはっとなった。
「え? あれ? そう言えば、なんで二人はえっちゃんが氷のレイアだってこと、知ってるの?」
今の今までそれを口にしたことなどなかったはずなのに、二人はえっちゃん……氷の姫が命のキセキを持つナヴィであることを当たり前のこととして話していた。
別に二人を信じてないってわけじゃないけれど、レイアがレイアであることを知られるのは、その命を預けたのと同義なわけだから……ミャコはそれを知っている理由をどうしても知りたかった。
「知ってるっていうか、見れば分かるじゃんか。コドゥとナヴィの見た目が全然違うのと同じで、ただのナヴィとそうじゃない特別なナヴィの違いなんて一目瞭然でしょ? ほら、佇まいって言うかオーラがあるっていうかさ、自分は他とは違うってアレだよ。あ、でもでもこれって普通のナヴィやコドゥにはわからないことだろうけどね。レイア同士だからこそ分かることなのかも。……って言うか、ワタシミャコさんに会った時だってすぐに分かったよ。あ、レイアの子がコドゥにちょっかいかけられてるって。何の属性のレイアなのかとか、ミャコさんが翼あるものだったってことは、流石に分からなかったけど」
激流のようなルーシァの言葉。
まさかそんな理由だなんて思いもよらなくて、実はミャコも最初からレイアだって気付かれてたなんて思いもよらなくて。
「そ、そうなんだ」
ミャコは半ば呆然と、そう頷くことしかできなかった。
確かに言われて見れば、ミャコだって二人に会ってすぐにレイアだと、レイアかもしれないって思ってたのは確かだったからだ。
それから気を取り直して、えっちゃんを目覚めさせるその方法を模索していたけど。
日が沈んで暗くなるほどにいろいろ試したのにうまくいかないから、ほんとにミャコたちの声が聞こえてるのかな、なんて思い始めていた。
「今日は無理かな、流れ的に。寒さも厳しくなってきたし一旦仕切り直さない?」
そんなミャコの心情を組んだみたいに、ルーシァがミャコに向かってそう問いかけてくる。
アキが何も言わないということは、それは二人の総意なんだろう。
「でも、時間ないんでしょ? いつえっちゃんが危ない目に遭うかも分からないのに」
たぶん、この後えっちゃんにどんな不幸が降りかかるのか、一度その目で見てたからこそ、ミャコは二人より焦ってたんだと思う。
ルフローズに住むコドゥに火をつけられて、命の危機を感じたえっちゃんは、氷のレイアであることを皮肉にも証明するかのように、その身に秘めし氷の力を暴走させてしまった。
山を焼こうとした炎が消えた代わりに、ルフローズの村はその氷の根源を示す名前の通りに、すべてが氷の彫刻へと変わってしまったのだ。
家も人も動かず、溶けることのない氷へと。
そこまでするつもりはなかった。
見た目では分かりづらかったけど、えっちゃんの落ち込みようは尋常じゃなかった。
自分のしてしまったことをその命消えるまでずっと後悔していた。
それはもしかしたら、えっちゃんなりにコドゥと歩みよろうとしたのに、それが最悪の形になってしまったことに悔やんでいたのかもしれなくて。
「んー、そうだね。ミャコさんの言いたいこともよく分かるよ。だけどさ、この寒さは氷のナヴィじゃないワタシらには危険だよ。助けようとしてワタシらがこの寒さにやられちゃったら意味ないでしょ?」
「それは、ルーシァの言う通りだけど」
ルーシァの言い分はもっともだった。
ルーシァのフルアーマーにはすでに霜がおり始めてるし、その声も僅かだけど震えている。
かく言うミャコも、すでに身体の芯まで冷え切っていた。
アキは見た目平気そうに見えるけれど、時折吐き出される白い息は、この場所がミャコたちにとって長時間いられる場所じゃないってことを如実に示しているようで。
それなのにも関わらず。
どうしてもここを離れたくないミャコがそこにいる。
二度と同じ、悲しいことは繰り返さないって、意地になってたからかもしれなかった。
「ミャコはいいよ。ここにいる。二人は村に戻って……むひゃっ? ふ、ふめたいっ!?」
でもそれはあくまでミャコのわがままだから、無理に二人に付き合わせる必要はない。
そう思ってついて出た言葉だったけど。
その途中、ミャコは両頬をつままれてしまった。
「そんな言い方されたら戻るに戻れないってさ。あ、そうだ。それじゃ交代制にしようよ。それに、予言されたことを回避するのに、何もこの場所にずっといる必要もないんだよね。こっから外まで、一本道なんだしさ。起こすことが無理なら、守ればいいんだ。氷山の入り口のとこならここよりいくらかはマシでしょ」
首を横に振ろうものなら、両頬に激烈なダメージを受けかねない。
そんな雰囲気。
ミャコは半ば強制的にそれに頷いて。
結局ミャコたちはえっちゃんを起こすのをいったん諦め、レッキーノの氷山の入り口で待つことにしたんだけど。
それが起こったのは、アキとルーシァが暖を取るために村へ戻って、ほんとにすぐのことだった。
アキから借りたケープ(暖かいけど普通のケープだった)で身を包み、縮こまるようにして夜空を見上げていると、それまで休むことなく明滅を続けていた星が、不意にその姿を消したんだ。
ミャコは初め雲でもかかったんだろうって、そう思ってたんだけど。
突然地面に吹き付ける強い風を感じて、風音に混じって聞こえてくる羽音に気付いて。
はっとなってミャコは再び夜空を見上げた。
「あれは、カム・ドラゴン?」
闇にまみれるようにして飛んできたのは、一見山登りの途中で遭遇したカム・ドラゴンに見た目が似ていたけど、その大きさは倍くらい違った。
さらに、その背には通常のカムラルドラゴンにはないはずの、赤黒く鋭角な一対の翼が生えていて。
ふいに、月明かりでも映したのか、それの目が闇の中、赤く怪しく輝いた。
そのギラギラした瞳は、確実にミャコのことを捕らえていて。
それの目的がミャコであることをミャコ自身が認識した瞬間。
それは、急降下しながら炎を吐き出してきた。
翼あるものと炎。
アキの予言に出てくる翼あるものは、ミャコじゃないのかもしれない。
そんな冗談めいた言葉が真意だったのかもと気付いた時には、もうその熱波が届きそうなくらい放射された炎が近付いてきているのが分かった。
このままじゃ、氷山が炎に包まれてしまう。
アキの予言の通りになってしまう。
えっちゃんを、この危険で一杯の世界に晒してしまう。
そう思ったら、いてもたってもいられなくなって。
「ヴァーレストよ!」
ミャコは叫んでいた。
自らがレイアとして仕えし、風の御名を。
とたん、ミャコの右手に目で見えるほどに強い風の魔力が渦をまいた。
ミャコは目前まで迫っていた炎を打ち払うようにその右手を凪ぐ。
それだけで、風の魔力はいつの間にか炎すら切り裂く不可視の刃と化していて。
風の刃が炎に触れたその瞬間。
炎は雷を受けた大木のように中心から二つに隔てられ……その姿を保てられずに、虚空に散ってゆく。
だが。
それに怯みはしたものの、そのまま激突しかねない勢いで降りてくるカム・ドラゴンの姿が見えた。
その剣みたいな牙が、鎌のような爪が、ミャコを狙っている。
「ヴァーレストよっ!」
ミャコは流れるような動きで、一度振り下ろした風の爪を翻し、空へとかちあげた。
「ゲヤァッ!」
闇の中、確かな手ごたえ。
まさか、あのタイミングで二撃目が繰り出せるとは思ってもみなかったんだろう。
事実、前の世界でここに来たばかりの頃のミャコだったら、不可能なはずの芸当だった。
長年旅をして戦ってきた経験の結晶。
それが失われなかったことに、ミャコはちょっと安心する。
その一方で、ミャコの根本的な部分は変わっていないんだってことに、少し気落ちもした。
せめてもの救いは、倒したことで降り注いできたのが、肉塊ではなく、色の薄い赤の石だったことで。
「これでえっちゃんは、外に出なくてもすむのかな……」
本当は、薄々気付いていた。
出てきて欲しいって、目を覚まして欲しいって声をかけていても、それがミャコの本意じゃないってことくらいは。
ミャコはえっちゃんに目覚めて欲しくなかったんだ。
自分自身の存在も含めて、外に出ることはえっちゃんにとって悲しいことにしかならないって、そう思っていたから。
だけど……。
そう簡単にうまくはいかないらしい。
風が切り裂かれて、空が泣いていた。
無数の星空隠す赤黒いものが、羽ばたきやってくる羽音によって。
(第十七話につづく)
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