第十五話
それから。
ミャコたちはルフローズの村を出て。
チャウスの頂、レッキーノの氷山へと向かっていた。
そこまでの道のりは、山途中と比べても随分と平坦なものだった。
ルフローズの村からそれほど離れていないというのもあるけれど。
それは何より氷の姫が眠る氷の棺がある場所までのルートを、観光客のためにと整備してあったおかげだった。
それがいいのか悪いのかと聞かれれば、ミャコにとってみればあんまりよろしくないわけだけど。
「そう言えば、なにげに気になってたんだけどさぁ。ミャコさん氷の姫さまとお友達って言ってたよね? 氷の姫さまって氷の棺の中でずっと眠ってるのに、どうやって友達になったの?」
「え? えーと」
そんな事を考えていると、懲りずにおしゃべり好きなルーシァがそんな事を聞いてきた。
思わず言葉に詰まるミャコ。
確かによくよく考えてみれば、気になる点ではあるだろう。
氷の姫はナヴィの中に命のキセキがあるという事実が世界に広まるよりも早く、自らを氷の中に閉じ込めここに眠っていたらしい。
それはコドゥかナヴィの命のキセキを狙うようになることを知っていたからなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。
昔……というか前の世界で一度だけ氷の棺の中にいた理由を聞いてみたけど、その時は笑ってはぐらかされてしまったからだ。
ただ、誰の手にも触れぬようにと自分を氷の棺の中に閉じ込めたその行為は、皮肉にも世界で一、二を争う有名なナヴィとして知られることになるのにそれほどの時間はかからなかった。
その、自分は何かありますよって態度が、彼女を氷の姫へとまつり上げたことに間違いはない。
本人はそれを『目立ちたかった』、なんて言っていたけど。
その本当の理由に、ミャコは気付いていた。
コドゥたちの目が少しでも自分に向けば、その分だけ他のナヴィたちの危険が減る。それを見越しての行動だったことを。
と、ミャコはそこまで考えて、改めて一番の問題点を思い出した。
今の今まで考えている氷の姫のことは、あくまでミャコの記憶の中にあるものだと言うことを。
「えと、その。友達って言っちゃったけど、それはそもそもミャコが勝手にそう思ってるっていうか、たぶん向こうはミャコのこと知らないんじゃないかな?」
咄嗟に気の効いた言葉が思いつかなくて、だけど違う世界から来たかもしれない、なんてとんちんかんな事も言えなくて。
気付けばミャコは、そんな答えになっていない答えを返してしまった。
「あ、そうなんだ。なるほどー、ミャコさんも氷の姫のファンだったんだね。チャウスの山に来たことあるって言ってたもんね。姫は可愛いって評判だし、気持ちは分かるよ。あんまり好きすぎて向こうも同じ気持ちなんだって思っちゃうんだよね。ええと、なんて言ったっけ、そういう人のこと」
答えになってないかと思いきや、ルーシァにとっては違ったらしい。
うむうむと、一人で納得している。
「それってもしかしてストーカーのこと?」
「あ、そうそう。ミャコさんよく知ってるね!」
「そんなわけないでしょって否定したいんだけどね」
無碍に否定できないのは、全部えっちゃんが可愛いからと言うことにしておこう、うん。
そんなこんなで。
ミャコは期待と不安の気持ちをせめぎ合わせたままチャウスの山の頂、レッキーノ氷山に辿り着いた。
「それで? 氷の棺っていうのはどこにあるの?」
ミャコが知っていて当然とばかりに、ルーシァが辺りを見回しつつ聞いてくる。
「あ、うん。っと、その洞穴に入ってまっすぐだよ」
さすがに氷の根源ゆかりのある場所らしく、村と比べても寒さの規模が違った。
山の下では緑が青々と茂り、花の香りとどまることを知らないこの季節ですら、油断すると震え出しそうな寒さだった。
元々寒いのが苦手なミャコにとっては、あまり長居したくない場所でもある。
折り重なり連なる氷山の隙間隙間にある洞穴。
その中の一番大きなものを指し示し、ミャコは自分をかき抱くようにしてそう言った。
「寒そうだね、ミャコさん」
「そう言うルーシァこそ、見てるこっちが寒そうなんだけど」
鎧の通気性がいいのか、金属でできた鎧が、ダイレクトに寒さを伝えてくるのか、すでにルーシァの声に寒さによる震えが混じってるのが分かる。
寒さなど無縁そうに見えるのは、アキだけだった。
まぁ、アキがぶるぶる震えて寒がってるなんて想像できないのは確かだけど。
とはいえ洞穴の道は、自然のものとは思えないほどに通りやすかった。
歩きやすい一本の道。
侵入者を惑わせるような、分かれの道もない。
明かりはなくて薄暗かったけど、夜目のきくミャコにはむしろちょうどいいくらいで。
もうなんだか習慣になっちゃってる気がしなくもないルーシァとのいろんな世間話をする暇なく、ミャコたちはそこに辿り着いた。
「ふむふむ。思ってたよりも小さいんだね、氷棺って。なるほど、これは確かに名が知れ渡るわけだわ」
氷棺と言うより、人がすっぽり入る水晶の球といったほうがいいだろうか。
虹色の乱反射が近付くたびにその氷を様々な色に変化させている。
そのきらきらと輝く水晶球の中心に隠されたゆたうようにして、えっちゃん、氷の姫と呼ばれるひとりのナヴィが眠っていた。
(えっちゃん……)
色変える光のせいで、はっきりとその相貌ははっきりとはしなかったけれど。
相変わらず触り心地のよさそうな、藤色の髪。
トレードマークになってる、その髪を横っちょに括ったオレンジのリボン。
ルーシァほどじゃないにしろ、その小さな体躯も雪のような白い肌も、氷自ら発光してるようにも見える七色の光に照らされてなお、彼女はミャコの知っているえっちゃんに間違いなかった。
そう思っただけで、涙が出そうになる。
もうどこにもいなくなっちゃったはずのえっちゃんが。
ほんとに嫌なことをなかったことにしちゃったみたいに、時間が戻ったみたいに、ミャコの記憶と変わらない様子で眠っていたからだ。
「わざわざこんな見える、手の届きそうなとこに閉じこもってるんだもんねぇ。
欲深い悪党どもに狙ってくれるって言ってるようなものじゃない。そうやって自分が犠牲になって少しでも悪党どもをひきつけておけば、他の子たちが安全になるって、そう思ってたのかな」
と、ミャコが二人をそっちのけで感慨にふけっていると、ルーシァの何だかちょっと怒った風のルーシァの声が聞こえてきた。
それは、えっちゃんが氷棺に閉じこもった理由として、ミャコが考えていたものと同じで。
自らを犠牲にしようとしていたえっちゃんに、同じように怒った自分を思い出す。
「でもさ、それは無駄だと思うよ。コドゥの……人の欲望には限りがないんだから。キミがここで尊い犠牲になっても、全く意味がないんだ」
でも、ルーシァの言葉はそれだけに留まらなかった。
もうほとんど、えっちゃんに問いかけるみたいに、残酷な現実を語っている。
「だいたいそんなこと勝手にされたって迷惑なのよ。ありがた迷惑っていうか余計なお世話って言うか?」
そこまで聞いて流石に言いすぎじゃないかって、カチンときた。
「ちょっと、何もそこまで言う必要ないんじゃないの!?」
「わわぁっ。ゆ、揺らさないでよぉっ。分かってる、分かってるって、本気で言ってるわけじゃないってば! って言うか、ミャコさんが先に怒っちゃ意味ないじゃん。せっかこの怒らして出てきてもらおう作戦が台無しだよっ」
アキの肩上にいたルーシァを両手で抱え込むようにしていたら、くぐもって返ってきたのはそんな言葉だった。
「……え、作戦?」
「そう、作戦。何せアキ様の予言が起こるまでもう、あんまり時間ないからさ。なりふり構ってられないっていうか、何とかして起こさないと思ったんだよ。ここが、炎に焼かれないうちにさ」
「……」
だったらあらかじめその作戦内容を教えて欲しかったっていうか……たぶん、それは言い訳っていうか、後付けのような気がした。
だってその表情こそ分からないけど、ルーシァのその言葉は本気に聞こえたからだ。
本気で自分の身を危険に晒すような真似をしているえっちゃんのことを怒っているように聞こえたからだ。
それは、アキが何も言わず見守っているから、余計にそう思えたのかもしれないけれど。
「呼びかけたくらいじゃダメかな。ミャコさん、何かいい知恵ない? 氷の姫さまに会いに来たの、初めてじゃないんでしょ?」
そう簡単に出てきてくれる方法なんてないってことくらい、その方法を実践しようとしないミャコを見れば分かるはずだった。
だけど、ルーシァは少ない可能性にも縋るかのように、そう聞いてきた。
聞かれたミャコは、前の世界のことを思い出しながら考えてみることにする。
単純なのはそれこそ氷を壊したり、炎で溶かしたりってことなんだろう。
だけど、それはえっちゃんを助けるための、最終の手段なのだろう、
強引なやり方であるのは確かで、炎つけて炙り出そうとしたコドゥの行為となんら変わらないからだ。
このままここにいることが危ないってえっちゃんに伝えることができて、えっちゃんが自分の意志で出てきてくれるのが一番いい形なんだろうけど……。
「ううむ」
気の効いた案も出ずにミャコが悩みこんでいると。
何を思ったのかアキが氷棺に近付き、その手を触れた。
「何故彼女は……こんな目立つ場所にいるんだろうな?」
そして、今さっき話題にしたばかりのことを口にする。
「え? だから他のナヴィに目が向かないようにコドゥを引き付けとくためでは?」
いぶかしげにルーシァが聞き返すと、アキは頷いて。
「それはおそらく……正しいんだと思う。だが、二人が考えてる意味と、彼女の考えていた目論見は違うのかもしれないな」
そう言った。
「それってつまり? ここにえっちゃんが、氷の姫がいるのには別の意味があるってこと?」
それは考えもしなかったよってミャコが反芻して聞き返すと、もう一度アキは頷き言葉を続けた。
「これはあくまで私の考えだけど、彼女はこうしてここにいることで、選別してたんじゃないかと思うんだ。こうすれば、たとえレイアだと自らで名乗らなくても、かもしれないってだけで多くの人が彼女の姿を見に来るだろう? 彼女はきっと、その中にいる自分にふさわしいと思える……命のキセキをあげてもいい、たった一人を探してたんじゃないかって思うんだ」
「そ、そんな……そんなコドゥなんて、いるわけないよ」
それは世迷言だと、ミャコは思わずにはいられなかった。
かつては儚い夢としてミャコを含めたレイアが思っていて、叶わなかっただけに、余計にそう思える。
だけど、そこでアキは首を振った。
「誰もコドゥとは言ってない」
「え? そ、それって」
じっと見つめられて、ミャコは動揺する。
コドゥじゃなくて、命のキセキを受け取ることができる人っていったら、翼あるものであるミャコしかいなかったからだ。
ふと思い出したのは、前の世界での記憶。
氷山崩れるほどの火事に見舞われたあの時。
ミャコとともに行くことが、成り行きでなくえっちゃんの意思だったとしたら。
最初から、ミャコが何であるのか分かってて、ミャコを選んでついてきてくれたのだとしたら。
それはもう二度と知ることはできない、ミャコの想像の中の話だけど。
今の今まで気付くことのできなかった自分が、たまらなく悲しくて……。
(第十六話につづく)
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