第十話


そんな益体もない、でも意味のあるやり取りをしつつ歩みを進めていると。

しばらくして並木の道を抜け、一気に視界が開けた。


ごつごつした岩の増え始めた山道は、山の形に合わせるかのように急激に折れ、坂の角度がはね上がっているのが目で分かるくらい急な斜面になっている。


山登りは、ここからが本番だった。

ここからはドラゴンの住処で、下手に歩き回れば彼らの巣の真っ只中に飛び込んでしまうことだってある。

ドラゴンの巣をうまく避けることができたとして、頂上まで一日でつけるかどうかだろう。


「とりあえず、ドラゴンの巣は避けて通るようにするわね。頂上付近に氷の一族が棲む村があるから、そこまで頑張りましょ」

「ええと、確かルフローズの村だったっけ。『氷の姫』がいるって有名なところだよね」


ミャコはルーシァの言葉に頷き、わずかに近付いてきた白い一対の頂を見据える。


―――『氷の姫』。

それは、アイラディア大陸……とくにチャウス山付近で暮らす人々の間では有名な話だった。


チャウスの山の頂上、レッキーノ氷山。

生き物を拒む極寒の地。

その一角に、七色の氷棺が埋め込まれていて。

誰の手にも触れられぬように眠り続ける一人のナヴィがいるのだと。



「それって本当なのかな。あの山のてっぺんに本当にいるの? その氷のお姫様って」


別にルーシァの言葉を否定したいわけじゃないし、噂を信じてないわけじゃない。

ただミャコは確認したかったんだ。

ルーシァが言うように、今も氷の姫がちゃんとそこにいるのかどうかを。


ミャコの前の世界での記憶では、もうそこには氷の姫はいないはずだった。

アイラディアの死神。

その毒牙にかかって彼女は……。



「……ミャコ?」


その瞬間、アキに名前を呼ばれて。

ミャコははっとなる。

胸の奥が軋み、熱を持っていて。

瞳から溢れる寸前だった涙を慌てて拭う。

そして、苦笑いを浮かべた。



「どうかした、ミャコさん?」


表情は分からないけれど、やっぱり心配気なルーシァの声。


「ううん、なんでも。それより急ご? あんまりもたもたしてると、日が暮れちゃう」


だけど今のミャコには、そう誤魔化してふたりに背を向けて、駆け出すことしかできなかったんだ……。






「あ、ちょっと止まって!」


それから、広まった急斜面の道を駆け上がって。

草も木も伸び放題の、ドラゴンの生息地帯に近づいてきたことを示す獣道に入った頃。

ミャコは、そんな声とともに後ろを振り返った。

すると、つかず離れずついてきていたアキが、とくに息を切らすこともなく立ち止まり、その澄んだ黒い瞳でじっとミャコを見てくる。



「なになに、どうかした?」


ついさっき様子がおかしかったミャコのことはとりあえず考えないようにしてくれているのか、いつもアキの肩の上で悠々自適なルーシァがノリよくそう聞いてくる。


「あ、うん、そのね。このまま登ってくとドラゴンの巣に直行しちゃうから……

ついてきてくれる?」


ミャコはそんな二人に感謝しつつ、脇にある道かどうかも分かりづらい細く狭い獣道を指差した。


その先は日の光の届かない、鬱蒼と茂る森の中へと入っていく道だ。

ツタが絡まって張り巡らされていて、先が見えにくくなっている。



「ん? まぁ、ついてくのはもちろんだけど、この道って下ってない?」


そう。そこはルーシァの言う通り、これまた急激に下っていく道だった。

それは一見、頂上を目指しているミャコたちにしてみれば遠回りにしか見えなかったけど。


「うん。そうなんだけどね、これが意外に近道なんだよ」


ミャコはちょっと得意げにそう言う。

ミャコがそもそもこの道を知ったのは、何も知らずに真っ直ぐ上っていって、ドラゴンの巣に突っ込んで散々な目にあったおかげだった。


だからまぁ、実は自慢できることでもなんでもないんだけど。

近道は事実なわけだし、後は本当にこの先がミャコの知っているものと同じかどうかを祈るのみで。


しかしそんな内心の不安は、杞憂に終わった。

道の曲がり具合や、生い茂る木々の配置まで。

鮮明にこうだったと思い出せるほど、一緒だったからだ。


ミャコにとってもっとも都合がいいのは、ミャコが辿ってきたアイラディアの世界での人生ともいうべきものを、悔やんでも悔やみきれない結末を、やり直せること、なんだろうけど。

そんな独りよがりなことが現実に起こりえないだろうことは、ちゃんと分かっている。

だけど少なくとも、この世界はミャコの知るアイラディアの世界と根本では変わらない、そんな気がしていた。

どうしてミャコが、この世界に放り出されたのかは、分かりようもなかったけれど。



いい加減下っていくと、獣道で分かりづらくはあったけど、再び分岐の道に差し掛かった。

一つはそのままどこまでも下っていくような道。

そしてもうひとつは、きつい角度で先が見えない登りの道だ。


ミャコは、二人に目配せだけで左の道へと足を向ける。

突き出した岩壁を折れ、ますます傾斜の厳しくなった道を進むと、そこは両脇を背の高い岩壁に囲まれた長くくねった坂道だった。


普通に登ってくれば、まずは通らないだろう道。

それもそのはず、この道はかつて道ではなく、溶けた氷山の水が流れ出す川だったらしい。

その名残なのか、足元がわずかにしっとりしているのが分かる。



「で、ここから先は確かに近道なんだけど、見ての通りの一本道だから……」

「ドリード……ドラゴンとかに出くわしちゃったりなんかすれば、戦いは避けられないってことだね」


神妙に呟くミャコに、何故かちょっと嬉しげに聞こえるルーシァの声。

まぁ、巣の中に突っ込むよりはましだから、この道でドリードに遭遇するのは仕方ないと言えば仕方ないんだけど。

もしかして、ルーシァって好戦的なナヴィなのかなってちょっと思ってしまう。


戦うことが苦手でしょうがないミャコにとってみれば、理解に苦しむって言うか、ある意味羨ましいやらって感じで。


そんな事を考え口にしたからいけなかったのか。

ミャコたちは運悪くドリードと遭遇してしまった。


しかも、ドラゴンが三匹。

火(カム)・ドラゴンと呼ばれる、非常に厄介なタイプのドラゴンに。



グルルルッ。


こっちがその存在に気付いたのとほぼ同時に、三体のドラゴンは威嚇の唸りを発する。

体長は数いるドラゴンの中では小柄なほうだろう。

とはいえ三体もいると、道は完全に塞がってしまっていた。

鋭い爪や牙はドラゴンの標準装備ではあるけれど、その身体にドラゴン特有の硬いうろこは少なく、つるりとした肌を持っている。

他のドラゴンと比べて身を守る術に乏しい代わりに、性格は凶暴で獰猛で。

敵を目視し、怒りに任せて吐き出してくる炎の吐息は厄介極まりなかった。



「おっ、出たな出たなっ! お前たちがさては翼あるものだろ、覚悟しろっ!」


なるほど、単純にそれを期待していたのだろう。

いつぞや聞いたばかりの芝居がかったルーシァの啖呵が辺りにこだまする。

そのせいで完全にこちらを敵と認識したのか、その場に焦げるようなつんとした匂いが漂いはじめた。

それは、カム・ドラゴンが炎の吐息を吐く前の合図のようなもので。


「って、そんなわけないでしょっ、第一あいつら翼なんかないじゃない」


さすがにそれはないだろうと、思わずミャコはそう突っ込んでしまった。


「あ、それもそっか。んじゃ、どうする? 戦う? 魔法? 逃げる?」


すると、冗談だったのか本気だったのかよく分からない様子のルーシァが、全く緊張感の無い調子でそんな事を聞いてくる。



「逃げるっ!」


だからミャコは、ほとんど反射的にそう叫んで。


今来た道を引き返そうとしたんだけど……。



              (第十一話につづく)








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