第五話
「どうした子猫ちゃん。顔色が優れないようだが」
「えっ? あ……うん、なんでもないよ?」
しばらく自失していたミャコを気遣うようなセイルさんの言葉。
ミャコはそれに慌てて繕うように、そう言って見せながら……
もはや際限なく膨らみ始めた混乱と、内心で戦っていた。
いや、改めて気付かされたといってもいい。
全てが終わった過去のこと。
それは、今目の前にいるセイルさん自身も含まれる。
この町、おそらくヤーシロの町だと思うけど、ここに来たときミャコはセイルさんが地の根源の御名を冠するレイアだとは知らなかった。
でも今は違う。
そんことを、ちゃんとミャコは知っている。
だって、セイルさんの命のキセキを奪ったのは、ミャコなのだから。
セイルさんはアイラディアの死神の犠牲者のひとり、だったのだから。
「……」
ミャコは混乱の渦から抜け出せないまま、セイルさんを見つめる。
「どうかしたのかい? 私の顔に見とれるのは一向に構わないのだけども」
「えっ? あ、それはそのっ」
つまりこれは一体どういうことなのかと考えをまとめようとして、セイルさんにそう言われて、はっと我に返る。
いつに間にやらお互いの顔の位置が随分と近かった。
そう、まさしく洒落にならないくらいの距離に。
「ああ、みなまで言わなくてもいいよ。全部分かってる。私が欲しいのだろう?
ほら、いくらでも奪ってくれたまえ」
本気なのか冗談なのか。
真意の読めないからかうような表情。
キスを待つ仕草。
「うにやぁっ!? だ、だだ駄目だって。しかもナヴィ同士でっ!」
思い出した。彼女はこういう人だったっけ。
だけど今思えば冗談交じりのその行為が冗談にならないってことを、セイルさんは気付いていたのかもしれない、なんて思う。
ミャコの本当の正体を知っていたのかもしれないって。
「ナヴィ同士だからいいんじゃないか」
「だ、だから駄目だって!」
「ふふ、恥ずかしがりやさんだね」
……前言撤回。
やっぱりセイルさんは素でこういう人なんだろう。
ミャコもどっちかと言えば可愛いナヴィには弱い方だけど。
なんというか直接的すぎるというか、とにかくたちが悪いのがセイルさんその人で。
「戦略的撤退!」
ミャコは条件反射でその場から逃げ出していた。
「残念、こっちはいつでも準備ができているからね」
追いすがることもなく、余裕な捨て台詞なんか吐いちゃってるとこなんか、余計に油断ならないものを感じさせたけど。
ミャコがセイルさんから逃げ……部屋を飛び出したのには、ちゃんと訳がある。
ミャコが今置かれている状況。
それをちゃんと把握したかったからだ。
結論から言うと、部屋を飛び出してすぐに、ミャコ自身に起こっている状況というものを思い知らされた。
目が覚めて最初に思い浮かんだ都合のいいことこそが、やっぱり今のミャコが置かれている状況に一番近かったんだろう。
そう、ミャコはすでに終わってしまったはずのことを、繰り返しているらしかった。
何故ならば。
宿屋兼酒場らしい建物の玄関口。
人のいない番台に立てかけてあった日めくりのカレンダー。
そこに、『ガイアットの月、3日』と書かれており、その日付が……ミャコ自身が旅に出た日から数日しか経っていなかったからだ。
―――どうしてこんなことになってしまったのだろう?
―――もう一度、大切な仲間で友達だったみんなに、会いたかった。
まさしく、ミャコの本当に願っていたことが叶ってしまったかのように。
こんな、ミャコにだけ都合がいいみたいな奇跡が起こった理由。
それは当然ミャコには分かりもしなかった。
アイラディア様が、失敗したミャコにご慈悲をくださったのかもしれないし、
何かほかの理由があるのかもしれない。
その理由が分からないのは、少し怖いことでもあったけど。
もう一度やり直せる。
しかも失敗したこれからの記憶を持ったままで。
そう考えるだけで、ミャコの心は躍って。
浮かれているうちに、今度こそ失敗はできないといった重圧に気付かされる。
……臆病風。
そうミャコを称したのは誰だったか。
そのことで少し冷静になったミャコは、外出用のケープを羽織りフードをかぶって、建物の外に出ることにした。
それらには、涙滴の紋様が刻まれている。
水の根源ウルガヴを示し、水の国の王へ従うナヴィであることを示すそれらは、
風のレイアであるミャコにとっては正体を隠すために重宝するものだった。
ナヴィに寛容な唯一の大国である水の国、その国に従じるナヴィだと分かれば……そうそう街中で命を狙われることはないからだ。
何より、ミャコ自身の特徴でもある金ぶちふさふさの耳を隠すにはもってこいのはず、だったんだけど。
「……なんで?」
宿屋兼酒場を出てすぐ。
ミャコは呆けたような声をあげていた。
ガイアットの月特有の、大地の香りがするうららかな日差し。
その日差しから身を守るようにミャコと同じウルガヴの紋様が入った様々な服を身につけたナヴィたちが何人も目に入ってくる。
朗らかに買い物に興じるもの。
遠目に見える公園広場でおしゃべりしているもの。
もの珍しげに通りを歩く旅人たち。
それは、やり直しができると今さっきまで浮かれ気を引き締めていたミャコを打ちのめすには充分な光景だった。
目の前に広がるそれは、思い出せる今までと同じようでいて、全く異なる。
まるで流行りもののように身につけているウルガヴの紋様入りの服もそうだけど、それよりもミャコは、町中でなんの警戒もなさそうに歩くナヴィたちに驚きを隠せなかった。
それは、ミャコがかつてこの風の祭壇に最も近い町であるヤーシロを訪れた時にはまず見られることの無かった光景だからだ。
ナヴィはみんなコドゥのことを恐れ、願い叶えると決めたコドゥ以外には姿を見せないのが普通のはずだったのに。
よくよく見てみれば、天下の往来でコドゥと談笑しているものも数多くいる。
それは、ミャコが理想として思い描いていた光景には間違いはなかったけれど。
その時ミャコが感じたのは、漠然とした不安だった。
やり直せると思ったのは気のせいで。
ここはミャコの知らない、ミャコが神様になって救わなければならない世界とは別の世界なのかもしれない……と。
(第六話につづく)
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