第四話


頭の中で、高らかで爽やかな笛の音が響いてくる。



「……っ!」


それを認識したと思ったら、ミャコは目を覚ましていた。

山と聞いたら川と答えるみたいに、それが当たり前のこととして。


混乱。

頭の中が、さっきまでの夢でぐちゃぐちゃになってる。



「夢? まさか、そんなわけないじゃない」


なんだか他人事みたいに響く、ミャコ自身の声。

だけど、言ってることは間違ってないはずだった。


あれは、夢なんかじゃない。

紛れもなくミャコ自身が体験したこと。

なのに、激しい違和感が拭えない。

考えれば考えるほど、混乱が深まっていくような気がする。

ミャコはそれ以上考えることをやめて、辺りを注意深く見渡した。


あまり見覚えの無い部屋。

簡素だけど清潔そうな感じのベッド。

小さめの鏡台と箪笥。

窓口には一輪の黄色い花が咲いてる花瓶と水さし、羽ペンとメモ帳が置いてある。


家なしのミャコだからそうだと断言はできないけれど。

たぶんここは、コドゥたちが使う旅の宿か何かの一室なんだろう。

建物の上階にあるのか、窓の向こうへと目を向ければ……

広がるは色とりどりの屋根と、それほど遠くない場所に聳える、アイラディア大陸を支える山々が見えた。


射し込む太陽の光は、翼を日干すにちょうどいいくらいの暖かさを保っていて。

ひどく眠気を誘う、のどかな情景。

元々気ままにのんびりなのが性に合ってるから、自分の置かれている状況を一瞬だけ忘れて、和みそうになる。


だけどその瞬間。

トントンと階段を上ってくる人の気配に気付いて。

ミャコははっと我に返った。

それがどれほどの意味があるかも分からないままに、ミャコはベッドのところに丸まっていた掛け布団を引っ掴み、それで身体を覆うようにしてしゃがみ込んだ。


さっきまでのことは夢なんかじゃない。

あの高さから落ちて怪我ひとつしていないのはどうにも不思議だったけれど。

ここが死んだ人の行く世界でないのなら。

死ねなかったのなら。

どんなひどい目に遭わされるかも分からなかった。

ミャコ自身よりも、みんなの願いの詰まった翼だけは守らなくちゃって、そう思って。



「……っ!」


大声を出しそうになるのをかろうじて止める。

抱えていたはずの翼がなかった。

当然背中にもない。

すでに奪われてしまったのかと、最悪の想像が頭をよぎる。


泣きたくなる気分の中、不幸中の幸いにも近付いてきた人の気配は、ミャコのいる部屋を素通りしていくのが分かって。

とりあえずすぐにはこの部屋にやってこないだろうことを察すると、慌てて起き上がり、行方不明の翼を探した。

もう奪われてしまったのなら、この部屋にあるはずもなかったんだろうけど……。



「な、なんで?」


アイラディア様から授かった金色に縁取られた純白の翼は、ちゃんとそこにあった。

もう随分と長い付き合いのはずの、麻でできた道具袋が真新しい。

その口元からはみ出るようにして仕舞われている。

ぞんざいで罰当たりな仕打ち。

慌てて駆け寄って手に取って。



「え?」


気付いたのは力抜けるほどの違和。

翼は恐ろしいくらいに軽く、小さかった。

まるでおもちゃのような翼。

そこに、命のキセキを内包する輝きも重みも感じられない。

まさしく、何もかも振り出しに戻ってしまったかのような、そんな有様で。

それこそがミャコの置かれている状況についての正しい答え、だったんだけど。

その時のミャコは、当然そんな都合のいい解釈なんてできるはずもなくて。



「探さなくっちゃ」


叶わなかったレイアたちの願い、その結晶。

それは、それぞれに世界にひとつしかないものだから、価値は物凄いんだと思う。

だけど逆に、その結晶はこの世界を壊してしまいかねない危険なものでもある。


どこにあるのか。

誰が持っていったのかも分からなかったけれど。

なんとしても取り返さなくちゃいけなかった。


味方はもう誰もいない。

周りはみんな敵。

一人ぼっちのミャコの行く先は、絶望という名の暗雲が立ち込めるようだったけれど。

こうしてまだ生きている以上、ミャコは止まるわけにはいかなかった。

この世界から離れてしまったアイラディア様を継ぐものとして、進み続けることがミャコの意味であり使命なのだと。

悲壮感すら湛えて、今一度自分自身を見つめ直した時。



「失礼するよ」

いきなりかかるはノックの音と、誰かの入ってくる気配。


「……っ!」


反射的に掛け布団の中に包まったミャコだったけど。


「なんだ、いるじゃないか。だったら返事をしておくれよ、子猫ちゃん」

「……」


よくよく聞いてみるとそれは、クールに芝居がかった、懐かしさを覚える……ナヴィの声で。

ミャコには、その向けられる声が信じられなかった。

ただ、丸まってることしかできなかった。


「もうお天道様も白けきっているよ? 目覚めのキスがご所望なら、顔を出してもらわないと」

「うにゃぁっ!?」


しかし声の主は、そんなミャコのことなんかお構いなしな言葉を発していて。

さらにあろうことか掛け布団ごと持ち上げられ、言葉のやさしさとは裏腹に床に放り投げられる始末。

易々と相手の思い通りになるようなナヴィとは一味違うって自負してたミャコだったけれど。

相手の方が一枚上手だったらしい。

殺気も何もないそれになす術も無く転がされて、ついでに掛け布団まで引っぺがされて。

ぽかんとするミャコに対して向けられたのは、人好きのする朗らかに花咲く笑顔だった。

翠緑にきらめく短めの髪が、風もないのにきらきらと靡いて星を撒く。

その瞳は、本当にそこにガーネットでも潜ませているんじゃないかってくらい澄み切った朱色で。

それを一度目の当たりにしただけで、今まで張り詰めていた緊張の糸がふっとゆるんで、力が抜けてしまった。


この世界は悲しいって、ひとりぼっちだって、そんな事思ってるのはミャコだけなんじゃないのかなって、そんな錯覚にすら陥る。

何故ならば、それは忘れたくても忘れられない、だけどあり得ないはずの、知っている人の顔だったからだ。


―――セイル・ガイアット。

地の根源……『ガイアット』の御名を冠するレイア。

見慣れていた深緑の貫頭衣ではなく、何故かエプロンドレスを身につけてはいたけど、その滲み出る高貴さみたいなものは、やっぱり彼女以外にありえなかった。


「ほら、なんて顔しているのさ。笑顔だよ笑顔。一日の始まりはすがすがしく行こうじゃないか」


目の前のセイルさんは、表情を変えぬままそう言って、手のひらを差し出してくる。

混乱気味のミャコはそれを、半ば無意識にままに手に取ってしまった。

翼あるものはアイラディアの死神だと、ずっと恐れられて……触れる事を避けていたはずのそのぬくもり。

何故だか、拒む気持ちは湧いてこない。


「ありがとう」


自然と、つられるように笑顔。


「ふっ、礼なんていいさ。それより、可愛い子猫ちゃん、きみは氷の姫君に会いに行くのではなかったのかい? あまりのんびりしていると、日が暮れてしまうよ?」


少しだけ、困惑気味な顔。

もしかしたら、照れているのかもしれないけれど。

その後に続いた言葉に、今度こそミャコは驚きを隠せなかった。



「え? 氷の姫? 会いに行くって……」


反芻しかけて、言葉を失う。

確かにミャコは、風の祭壇で11の命のキセキを集める命を受け、手始めに氷の根源の御名を冠するレイアに会いに行くつもりでいた。

その居場所も何も知らなかったミャコは、風の祭壇に一番近いヤーシロの街で、占い兼情報屋をしていたセイルさんに会い、その助言を受けた。


だから……そのことだけを考えれば、セイルさんの言葉におかしな所はないんだろう。


ただ、それがもうとっくの昔に終わってしまったこと……過去のことでなければ。



              (第五話につづく)








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