第三話


それからも。

ミャコの旅は続いた。

大好きなひとが今にもどこか遠くへ行ってしまう。

そんな悲しい旅が。


でも、どんな旅にも途中があるように、この旅にも終わりが迫っていた。


辿り着いたのは、ミャコを除いて最後の命のキセキを持つ、マイカ・エクゼリオのいる闇色に染まった城だ。

強大な力でコドゥを抑え込み、この世界を牛耳ろうとしていた……闇の根源の御名を冠するレイア。


そんなマイカから命のキセキを奪うことができれば、ミャコの願いを叶えることができる。

ナヴィが幸せに暮らせる世界を作ることができる。

ナヴィで唯一、それを知っていた翼あるもののミャコは、そう確信していたのに。



いざそのマイカを目の前にした時。

こんなはずじゃなかったと。

自分はいったい何をしているのかと。

とめどない後悔がミャコを襲った。


見上げるほどに大きな扉を開けて、ミャコがマイカのいる玉座に目を向けた時。

マイカが刹那垣間見せた表情は、孤独から解放されたことへの安堵と、やってきたものが自分の近しい者ではないことへの絶望感だったからだ。



「翼あるものっ、ふたりを、どうしたっ!?」

「……」


二人……それが、マイカの片腕であり家族でもある二人のレイアのことだろうことは、ミャコにもすぐ分かったけれど。

闇の根源の御名を冠するレイアとして皆に恐れられたマイカが、開口一番部下の心配をするなんて、思ってもみないことだった。

まるで、ミャコのほうが諸悪の根源であるかのような……そんな物言い。



「アタイが一人でここに来たってことが、それの答えよ!」

「……っ!」


風をまとい、肉薄するミャコ。

それを迎え撃つように、マイカが闇の力を解放して……

戦いが、始まった。



それは、まさしく命の削りあい。

ミャコとマイカは幾度となくぶつかり合い、その戦いに終わりはないかのようにも見えたけれど。


三日三晩続いた果てのないように見えたその戦いは。

ミャコの勝利で幕を閉じた。

二人の力の差はほとんどなく、決め手……勝因は、少しの運と背負うものの重さの差、だったのかもしれない。




「……負けちゃった、あなたの勝ちだね。あたしの命のキセキ、好きにすればいいよ」

「ええ、そうさせてもらうわ。これで、ようやくアタイの願いが叶うんだから」


膝を突いたままで発する、何も感情を含まないマイカの言葉。

身体も心もひどく疲れていたけれど、ミャコはそれに無理矢理笑みを張り付かせて、何とか言葉を返す。



「願いかぁ。あなたは、全てのナビィの力を手に入れてまで、何を願うの? 一人きりになった、この世界で」

「……」


いざマイカにそう聞かれても、ミャコはすぐに答えることはできなかった。

最初はこんな世界を変えたいって、ナビィが苦しむこの世界を失くせばいいって思っていたのに。

今、ミャコの心にあるのは、深い悲しみと後悔だけだった。

思い出すのは、散っていった大切な仲間たち。

そして、大好きだった一番のともだち。


全ての思いが背中にあって……。

全てを奪ったのはミャコ自身で。

そんな犠牲と引き換えにできる願いなんてこの世にはないんだって、気付いてしまったから。



「みんなと会いたいな。えっちゃんに会いたいよ……」


ぽつりと呟いたのは、きっと本当の願いだったんだろうけれど。



「ようやく終わったか……さて、大人しくなった所で、命のキセキを渡してもらおうか」


しかし、そんなミャコの呟きは、突然降って沸いた第三者の声によってかき消された。



「……っ!」

「な、なにっ?」


ミャコもマイカも急に掛かったそんな低い声に、びくりとなる。


気付けば、周りをたくさんのコドゥに囲まれていた。

周りに気を配っている余裕のなかった、ふたりの戦いを嘲笑うかのように。



「待ってたぜ? くそ生意気なお前が、こうやって弱るのをよぉ?」

「……くっ!」


コドゥの誰かが言った一言に、ミャコはようやく状況を理解した。



「まさか負けるとはなあ? ま、オレたちにはどっちでもよかったんだけどよ。お前らナビィが後生大事に持ってるもんをいただくのにかわりはないからな」



初めから、そのつもりだったのかもしれない。

レイアの中でも特に突出した力を持つマイカを出し抜くには、まさにこの瞬間しかなかっただろうから。


嫌悪感を伴うニヤニヤ笑いを浮かべながら近付いてくるコドゥたちを、ミャコはこの時ほど心底憎くて、怖いと思ったこはなかった。



「っ……下っ端のコドゥのくせにっ! 王は、王はどこっ!」


それでもマイカは叫ぶ。

たった一人信じた、コドゥの名前を。



「悪いねぇ。これもその王のいいつけなんだ。だから、大人しく命のキセキってやつ、渡してもらおうか?」

「なん、なんでっ!? これが、王の……王の命令だとでも言うの!?」

「そうだよ、最初からお前の力が命のキセキが目当てだったのさ」

「……っ」


そしてそれが、決定的な一言だった。

それまで張り詰めて精悍だったマイカの表情が、くしゃりとゆがむ。


このとき初めて、目の前にいるマイカが……あるいはミャコ自身よりも弱い、ひとりのナヴィであることに、ミャコは気付かされた。


たった一人のコドゥのために、全ての泥をかぶって、いつか命のキセキで願いを叶えてもらう。

そうやって生きてきただけなのだと。



「そんなの……そんなのっ、嘘だーっ!!」


瞬間。闇の力が爆ぜる炎になって、爆発した。

コドゥたちは、次々と闇の炎に巻き込まれ、なすすべも言葉もなく灰と化して消えてゆく。


炎はそのまま周りの建物にも燃え移り、大きくなって。

やがてマイカ自身にも火をつけた。

それは、マイカの慟哭とともに放たれた命の火、だったのかもしれない。



「嘘っ、うそだよぉ。ほ、欲しいならっ……あげたのにっ!」

「……マイカ」


レイアだけが知っている、命のキセキの使い方。

それは本当の意味で、愛してもらうということ。

それは、教えられるものではなく。

その身に持つナビィがいくら望んでも与えられるものではなくて。

結局、マイカにとってたったひとりだけのコドゥは、それを望まなかったのだろう。

ここにいないという時点で、その全てを物語っていて。



「……」


自らの炎につつまれ、ぽろぽろと涙をこぼしながら、消えゆこうとするマイカに。ミャコは眦を決し、ゆっくりと近付いた。


そして、闇の炎をものともせずに抱きしめて。


命のキセキを奪った。


それは、一対のブラックオニキスの中に潜みし円の中に描かれた星。

マイカが闇の根源に従いしレイアである証。



「……っ、どうして?」


呆けたように呟くマイカ。


「アタイね、決めたんだ、マイカ。アタイ……みんなの願いを叶えることにする」

「みんなの、願い?」

「そう、レイアみんなの願いよ。今はね、こんな世界で願いは叶わないかもしれないけど、いつかきっと世界が生まれ変わって、自由に願いを叶えられる時が来ると思うから……アタイがあなたの願い、預かっておいたげる。今度あなたに返すまで死んでも守るから」



だから今は、安心しておやすみ。

そんな呟きとぬくもりに。

お互いが、一瞬だけ時を忘れる。

ほんのついさっきまで敵だったはずなのに、怒りも憎しみも、二人の中にはもうなかった。

ただ、マイカの命のキセキを受けたミャコの翼が、それを証明するかのように輝いていて。



「ありがと……」


マイカの最期の言葉は、そんな感謝のひとこと。

ミャコはただ、そんなマイカの残り火を抱いて。

大声で泣き続けた。

こんな世界に生まれたことが悲しいのか。

結局、自分の思惑通りになってしまったのが悔しいのか。

一番大切な友達を失った時に枯れたはずの涙が、止まることはなかったけれど。



「行かなくちゃ、アタイの願いを叶えに」


ミャコに泣いている暇はなかったから。

やらなくちゃいけないことがあったから。

ミャコは顔を上げて歩きだした。


震えるほどの高さの、あの場所へと。




そして……。

ミャコが最後にたどり着いたのは。

アイラディアの神が舞い降りると言われる、風の祭壇だった。

ミャコが昇ってきた石の階段以外は、四方八方が雲海に囲まれた場所。

その場所で命のキセキを内に秘めた翼を捧げれば……願いは叶う。

世界の神として、世界を救うことができる。

ミャコはただそれだけを信じて。


これから翼舞うだろう虚空を見つめ、祭壇の中心に向かって、全ての願い背負った翼をはためかせた。

すると、黄金に縁取られた翼が、一つの意志を持っているかのように、ミャコの身体から離れる。


それはミャコが、ただひとりのナビィへと戻り、神になろうとするまさにその瞬間。


これですべてが終わったのだと。

ミャコはずっと信じていたのに。

ふわりと舞い上がった黄金の翼を囲むように表れた命のキセキを目の当たりにしたとき。


「えっ?」


ついて出るのは、愕然としたそんな呟き。

浮かぶ命のキセキが、10しかなかった。

11の命キセキを集めなければいけないはずなのに。

最初に気づいたのは、そこに風の根源を表す翼を模した、ミャコの命のキセキがないことだった。


何故?

溢れる焦燥感を必死に押さえつけて考えて。

ミャコは一つの結論にたどり着く。


ミャコは、勘違いをしていたのだと。

本当はミャコをのぞいて11の命のキセキを集めなくちゃいけないのに。

その数の中に自分のぶんを数えてしまっていたのだ。


笑えない思いこみ。

情けなすぎて涙が溢れてくる。

願いを叶えるに至らなかった黄金の翼は、その舞う力を失ったかのようにミャコの両腕に舞い落ちて。



「あとひとり、探さないと……」


それが誰なのか。いったいどこにいるのか。

この、ナヴィにとって地獄のような世界で、生きているかも分からない相手。


ひどい目にあっているかも知れない。

もう手遅れなのかも知れない。

今の今まで助けられなかった自分自身が、何より悔しかったけれど。




「……さあ、命のキセキを渡せっ、願いを、叶えてもらおう」

「……」


再び駆け出そうとしたミャコの足は、そこで止められた。

知らない誰か……コドゥの誰かの声が耳にうるさい。


たぶんミャコがここに来るのが分かっていて、それで追いかけてきたのだろう。ミャコにはそれに、気が付いていた。

ここに辿り着くまでに、数え切れないほどのコドゥに追われ続けていたし、今も、ミャコがやってきた階段から、ぞくぞくとコドゥがやってくる、そんな気配がしたから。


ミャコは、断崖絶壁のふちに、自然と追い詰められて。

そんなコドゥたちの方を初めて振り向いた。


「さあ、よこすんだ。もう後はないぞっ、大人しく命のキセキをよこせっ!」


再び聴こえてくるのは、歩み寄りの余地など全くないコドゥの一人のそんな言葉。

それを聞いたミャコは、ふっと笑みをこぼす。


絶体絶命。

だけどこんな結末を迎えることをどこかで予期していた自分自身に気づいたせいもあるだろう。

けどそれは単純に、その言葉がおかしいと思ったからなのかもしれない。



「本当はね、コドゥがナビィにいちいち聞くものじゃないのよ、そんなことは」


多分それは、ミャコがコドゥたちに見せた、最初で最後の本当の笑顔で。

ミャコはそんな笑顔のまま、みんなの願いのこもった翼をぎゅうと握りしめて。


とんっと軽く地を蹴る。

夢幻の雲海広がる空へと、落ちてゆく。

そんなミャコに追いすがるようなコドゥの声を振り払うようにして。


遠い世界に旅立っていってしまったみんなに会いにいくことを。


ただただ願いながら……。



              (第四話につづく)






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