第二話
「ミャコっ!どうして戻ってきたのですかっ!?」
高貴なる水の騎士であるナヴィ。
ディノ・ウルガヴの切羽詰まった叫びが、寂れた礼拝堂に響き渡った。
その声色に焦りがありありと伺えるのは、とんでもない大勢が歩を進める音が地響きとなって聴こえてくるのが、はっきりと分かったからなんだと思う。
「何って、ちょっと忘れもの」
対して、息を切らせて戻ってきた私……ミャコは、いつもの笑みを意識して浮かべながら、そう呟いてみせる。
「っ! そんな場合ではないでしょうっ!?」
「……」
返ってくる激昂にミャコは、少しだけ笑みの度合いを強めただけ。
時間なんかないはずなのに、長い長い沈黙が続いて。
「……いったい、何をお忘れなのかしら? このような所に」
この状況においても変わらないように見えるミャコに折れるように.ディノは戸惑いながらもそう問いかけた。
「忘れものは、あなたよ、ディノ」
「まさか、わたくしを助けに来たとでも?」
ディノは、ミャコの言葉にはっとなって顔を上げる。
でも、ミャコはゆっくりと首を振った。
「違うわ。だってこんな濡れ衣でむざむざ殺されるなんてまっぴらごめんだもの。アタイはあんたと違って水(ウルガヴ)の国とはもともと関係も何もないわけだし」
「そう……ですわね。あなただったらそう言うでしょうね」
おどけた様子で辛辣な言葉を紡ぐミャコ。
なのにディノはそのことで初めて微笑みを浮かべた。
ミャコには分かってたことだった。
何かあってもここを動かないとディノが決めていることを。
それを止めることは、ディノの忠義、存在を蔑ろにすることだってことを。
それは……蓋を開けてみればありがちな話だったんだろう。
ミャコたちは、コドゥの手を逃れる旅の途中で、ディノの故郷、水の国に身を置いていた。
水の国の王はコドゥだったけど、民の信頼も厚くてナビィを対等に扱う、世界には珍しい、やさしい王だった。
何より、光の御名を持つナビィ、その命のキセキで、願いを叶えることのできた王は、ミャコたちにとって信頼の置ける人なのは間違いなくて。
特にディノにとっては、親にも等しい存在だったんだと思う。
だけど。
王は、願いを叶えられない……叶えさせてもらえないと思い込んでいた息子によって殺されてしまった。
その息子も、水の国の乗っ取りをたくらんだコドゥに殺されて。
それが巡り巡って。
ミャコたちは、その罪をかぶせられてしまった。
水の国は、その王一人が全てを支えていたといっても間違いではなくて。
王が愛されていたが故に、ミャコたちはそこから逃げる以外に濡れ衣を晴らす術を持ち得なかったんだ。
「それで、何をお忘れになったの? 逃げるのならもう時間ないですわよ?」
「ええ。ちょっと、確認したいことがあったのよ」
「……確認したいこと?」
伺うようにディノにそう聞き返されて。
ミャコは覚悟を内に秘め、凄絶な笑みを貼り付け、言葉を続けた。
「あなたは死ぬのが怖くないの? あなたの命のキセキを、知らない誰かに奪われるかもしれないって、思わないの?」
「……っ」
ミャコにそう言われ、ディノは表情を凍らせて俯くのが分かる。
「アタイはいや、そんなの嫌よ。だから、アタイはっ」
感情に任せた言葉は。
それ以上は出てこなくて。
それでも何かを口にしようとして。
それをディノに遮られた。
「ひどいナビィですわね、あなたは……」
「……」
それはミャコ自身が一番分かっていたことだったけれど。
それでも改めて口にされると、とても辛いもので。
「必死に考えないフリをしてましたのに。……そうですわ、ミャコの言う通りです。わたくしは怖い。死ぬことではなく、誰ともつかないコドゥに、命よりも大切なものを奪われてしまうことが、怖くて怖くて仕方ないのです!」
何かこらえていたものが決壊したかのように、ディノは叫んだ。
その身体は震えていて。
ディノがそう思わないはずがないことくらい、ちゃんと分かってた。
それを分かっていて、ミャコは傷口に塩を刷り込むようなことをしてるってことを。
でも、それでも。
ミャコは言葉を止めることは許されない。
「今までアタイはみんなに黙っていた、隠していたことがあるの」
そんなミャコの言葉は、一見違う話題のように響いて。
「翼あるもののことは知っているでしょ? ナビィの命のキセキを奪う、アイラディアの死神のことは」
「もちろん、知っていますけど」
ミャコの突然の話題の意図が掴めないまま、頷きそう呟くディノだったけれど。
その続きは言葉にならない。
何故ならミャコが、ディノの目の前、息かかるほど近くにいたからだ。
「ごめんなさい……それって、アタイのことなの」
瞬間、様々な感情とともにディノのアクアマリンの瞳に浮かぶのは、涙滴の紋様。
ディノが、水の根源の御名を持つレイアである、その証。
気づけばそれはミャコの手のひらにあって。
次の瞬間にはその背中にある黄金の翼へと吸い込まれる。
それが意味するところはつまり、ディノの命のキセキがミャコに奪われた、ということで。
「どうして……?」
ディノは、微れ声で呟く。
命のキセキは、コドゥでなければ奪うことができないのはずなのに。
どうしてミャコにそれができたのかと。
翼あるものに命のキセキを奪われたナビィは、そのまま命を落とすと聞いていたのに、どうして自分は立っていられるのかと。
「翼あるものはね、トクベツなの。レイアが一つしか抱えきれない命のキセキを、その翼に溜めておくことができるの」
それに、ミャコは答える。
それを伝えることがせめてもの義務だと思ったから。
そして……ディノから離れて。
薄い笑みを貼り付けながら、ミャコは背中にある黄金色に縁取られた一対の翼をはためかす。
「あなたが死なないのは……もう死を覚悟していたからなの。分かる?アタイはこの時を待っていたのよ、あなたが死ぬ気になってくれるまでね。だって、そうすれば殺して奪う手間が省けるでしょう?」
口調は辛辣なままで。
言葉のナイフは受けるディノよりも、むしろミャコ自身を傷つけているってことにミャコは気付いなくて。
「それでは、最初からそれが目的でわたくしたちに近付いたのですか?」
「……そうよ」
「エミィさんにもそのつもりで近付いたとでもいうのですか?」
「……」
一瞬の沈黙。
それは周りの、もうすぐそこまで近付いているだろう騒ぎすら消そうになるほどの長い一瞬で。
「……そうよ、始めからえっちゃんにも、そのつもりで近づいたの。猫かぶって仲の良いともだちのふりをして、いつかその寝首をかいてやろうって……思って、たんだからっ!」
「……」
再び訪れるは静寂。
それは、さっきのものとは少し違ってて。
「さきほどの言葉、撤回させていただきますわ。あなたは、不器用で、それでいてやさしいひと……」
ミャコは、何を言われたのか分からなくて顔を上げて。
ディノが女神のようにやさしい、涙交じりの微笑みを浮かべているのを知って。ますますわけが分からなくなって。
「なんでっ!? アタイは、あなたをっ騙してっ!あなたの大切なものを奪ったのに!」
「だってあなたは泣いてくれているもの。わたくしのために」
「……っ」
そう言われて。
ミャコは初めて、自分が大粒の涙を流していることに気付いた。
「これはっ、うれし涙よっ!」
慌てて涙拭っても、それは止まらない。
ミャコはその感情を、抑えることができなかった。
「ありがとう、わたくしのために泣いてくれて。わたくしの唯一の心残りを解決してくれて」
「違うっ。アタイは本当にあんたをっ、騙してただけなんだからっ!!」
本当に救われる。
そんな表情のディノに、縋り付くようにミャコは叫んでだ。
最初はディノを……みんなを騙して、いつか命のキセキを奪ってやろうって思っていたはずなのに。
どうしてこんなにも涙が出て、哀しいんだろうって。
「最後のひとがあなたでよかった。わたくしの願い、命のキセキをよろしく頼みますわね?」
そしてそれが、ミャコの聞いた、ディノの最期の言葉だった。
すぐに怒号ともつかない、コドゥたちの声がして。
ミャコはそこから逃げ出したからだ。
―――天にまで届く、慟哭とともに。
(第三話につづく)
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