第39話 シャルロットの涙

「いやあ。今日はいいもの見れたな」


 ウィルは砂浜の上で満足したようすで微笑んだ。

 時はもう定時の五時に近づいている。アレンたちは先に水着から着替えたあと、木の家の近くで女性たちを待っていた。

 カート対決は結局、エルザの勝利に終わった。というのもレベッカにハプニングが起きたからだ。何らかの拍子で彼女の水着のヒモがゆるみ、俗にいうポロリが発生した。

 胸を隠す彼女のあわてっぷり。ゴールにいたウィルのガン見。それらが思い出される。勝負はときの運。こういうこともあるんだなと思った。

 もう一回勝負、とエルザに詰め寄るレベッカだったが、その願いは叶わなかった。がっくりうなだれる彼女をアレンは励ましてあげた。

 レベッカたちが着替えをすませて出てくる。


「お待たせ。それじゃあ行きましょう」


 

 階段を上がり、寮に戻る。仲良く話を展開するエルザとレベッカ。シャルロットは一人離れて歩いている。その後ろにいるアレンとウィル。


「なあアレン。あとでお前の部屋、行っていいか?」

「いいけど、なに?」

「いや、ちょっと気になることがあってな」

「気になること?」

「ああ。ハズレかもしれないけどな。まあ調べればすぐにわかる」


 頭にクエスチョンを浮かべるアレン。ウィルの視線は無言で歩くシャルロットのほうを向いていた。


 ★★★


 アレンのカバンには今、シャルロットの財布が入っていた。海辺の家で工作し終えた彼女はドキドキしていた。

 定時後、廊下にいる管理部長のゴーザに話しかけた。仕掛けをしたことを伝える。すると目を見開き、不気味な笑みを浮かべた。


「すぐにアレンの部屋に行ったほうが良さそうだな。奴が財布に気づく前に」

「そうですね」

「あとで君の部屋に行く。そのあと直行だ。いいね?」


 シャルロットはうなづいた。


 寮に戻ってしばらくすると、ノックの音がした。ゴーザが立っている。


「行くぞ」


 シャルロットは鍵を閉めて廊下に出た。アレンの部屋は四階の401号室。階段を上がり、その部屋の前まで来る。

 心臓が高鳴った。

 いよいよだ。この一件でアレンを辞めさせることができる。これで私の願いに一歩近づく。彼には悪いけど、犠牲になってもらうしかない。

 ノックのあと、アレンは出てきた。ゴーザの訪れに驚いたのか、目を点にした。


「ちょっといいかな? 少し話があるんだが」

「いいですけど」

「ここじゃあなんだ。入らせてもらえるかな?」

「はい」


 シャルロットが後に続く形で中に入る。先客がいた。ウィルだ。


「君はウィルくんだったね。これからアレンくんと個人的な話をしようと思っているんだが」

「ああすみません。出て行きますよ」


 彼は素直に従った。ドアを閉める音がしてから三人が部屋に立っている。


「立ったままじゃあなんだ。座ろうか」


 狭い部屋の床に三人は座った。


「実は、シャルロットさんの財布がなくなってしまってね」

「え? そうなんですか?」

「それで彼女が言うには何者かに盗られてしまったみたいなんだ。海辺にある家でね。それで一人一人調査をしている。疑っているわけじゃないがこちらとしても調査をする必要があるということで動いている。すまないがカバンの中をあらためさせてくれないか?」

「は、はい。わかりました」


 アレンはベッド付近にあった黒のカバンを渡した。


「じゃあいいかね?」

「はい。どうぞ」


 ゴーザはチャックを開き、中身をまさぐった。出てきたのは図鑑、ノート、地図・・・・・・。


「ん?」


 つかむものが、あるはずのものがないのか、ゴーザは何度も手を入れて確認した。しかし出てこない。しまいにはカバンを反対側にして振ったが、落ちてくるものは砂とホコリだけだった。


「財布が、ない・・・・・・」

「そのようですね」


 ゴーザは、シャルロットを見た。

 どうなってるんだ?

 責めるような目つきに、彼女はうつむくしかできなかった。

 そんな。確かにカバンの奥のほうに入れたはず・・・・・・。


「す、すまないね。確認はとれた」

「あ、はい」

「それでは失礼する」


 ゴーザは立ち上がり、シャルロットと一緒に部屋を出た。廊下でウィルが壁を背にして待っていた。ほくそ笑む顔を見て、彼女はハッとした。

 あいつだ。あいつが気づいたんだ。カバンに私の財布があることに。


 一階まで下りたところでゴーザの足が止まる。シャルロットのほうを向いた。


「どういうことかね?」

「す、すみません。こんなはずでは・・・・・・」

「まったく。こんな簡単なこともできないようでは、君のほうこそ魔法士としてふさわしくないのかもしれないな」

「そ、そんな・・・・・・。次こそは成功させます」

「次? 次があるとでも?」


 魔法士を辞めさせられたら・・・・・・そう思うと胃がギュッと縮まる気がした。お兄様にふさわしい妹として、お母様にふさわしい子供として、それが一気に崩れてしまう恐怖が襲う。


「君の処遇をどうするかは、こちらで判断する」

「ま、待ってください!」

「離しなさい」


 シャルロットはゴーザの服の裾をつかんだ。それをふりほどく彼の目には優しさはない。残された彼女の表情には生気がなく、通り過ぎる人たちを驚かせていた。


 シャルロットは部屋に戻り、イスに座った。机にひじをつき、うなだれる。

 ウィル。あいつはずっと私を疑ってたんだ。だから気づいた。こんなことならもっと慎重に行動すべきだった。

 夢は賢者になる。

 数日前、アレンに言った言葉だ。それが叶わなくなる現実に、絶望を感じていた。

 なんで私だけこんな目に。お兄様。お母様・・・・・・。

 ふと昔のことが思い出す。


「お兄様。すご~い!」


 魔法士の素質があった兄、レイン・ド・フェアリーズ。彼は生まれたときから周囲の期待を受けていた。七歳のころだ。外の遊び場で、兄の魔法を間近で見たとき、シャルロットは歓喜の声をあげた。


「シャルロットも指輪を買えばできるんじゃないか?」

「私には無理だよ。才能ないもん」

「そんなことはない。やるか、やらないかだよ」

「そうかなあ」


 そこから魔法を覚え、兄のあとを追った。魔法学校を主席で卒業したとき、母は祝った。


「さすがレインね! 私の自慢の息子」


 シャルロットが卒業したとき、母は祝ってくれなかった。

 ある日、リビングにいる母に向かって言った。


「お母様。私、将来賢者になる」

「そう。がんばりなさい」

「・・・・・・はい」


 一大決心を伝えたつもりだったが、母の反応は鈍かった。もっと驚いてくれるかと思ったが・・・・・・期待した私が間違っていた。もっとがんばらないと。もっと結果を出さないと。

 久しぶりに兄が派遣先から帰ってきた。盛大に迎える母の表情は、やっぱり私と接するときとは違っていて・・・・・・。


「レイン。あなた、本当にすごいわ!」


 ズキッ。

 兄が誉められてうれしいはずが、心が痛む。

 なぜ私を誉めてくれないの? なぜ私の気持ちをわかってくれないの?

 ・・・・・・いやいや。違う。なにを言ってるんだ私は。私のがんばりが少ないからだ。もっとがんばらなくては。

 本音と自分を正す声の板挟み。

 もっとがんばらなくては・・・・・・。もっと、もっと・・・・・・。


「うっ・・・・・・」


 泣きそうになるが堪える。

 泣いてはダメよ。シャルロット。こんなところで涙を見せてはダメ。泣くのは弱い奴がすること。強く生きなくちゃ。

 コンコン。

 ノックの音がした。

 誰だろう。ゴーザか。それともウィル? 奴が私をとがめにきたのだろうか? 後者なら出る必要はないが、前者なら出なくてはいけない。

 失意の中、ドアを開ける。


「あ・・・・・・」


 思わず声を上げてしまった。そこに立っているのはゴーザでもウィルでもなくアレンだった。彼は手に財布を持っていた。真珠の財布だ。


「これ、たよ」

「そ、そう・・・・・・」


 弱いところを見せないため、強気に振る舞いながら受け取った。

 落ちていた、とはどういうことだろう。彼は知っているはずだ。ウィルから聞いたはずだ。私がはめようとしていたことを。


「じゃあ」


 引き返そうとしたそのとき。


「ごめん」

「え?」


 頭を下げるアレンにシャルロットは目を点にした。本来言葉にしないといけないのは自分だ。なのに謝る必要のない彼が謝ったことに驚いた。意表を突かれたというか、部屋に戻るタイミングを逸してしまった。


「この前、シャルロットさんを怒らせてしまったこと」

「あ、ああ・・・・・・」


 私が賢者になると言ったときの話? なぜ今更そんなことを蒸し返すのか。


「エルザから聞いたんだ。シャルロットさんのお兄さんが有名な魔法士で、お兄さんを目標にしているってこと」


 あのお喋り。人の秘密をペラペラと・・・・・・。


「僕なんかとは比べものにならないくらい、厳しい環境だったんだね。それを知らずに偉そうなこと言って、ごめん」

「べ、別にそんなこと」


 シャルロットは斜め下に視線をずらした。

 偉そうなことを言ってるのは自分かもしれない。私はなにも達成できてない。どんなに頑張っても兄には追いつけない。虚勢ばかり張って、中身はない。そんな自分が嫌になる。


「こんなことを言うと、また気を悪くするかもしれけど・・・・・・」


 少し溜めたあと、彼はこう言った。


「つらかったね」


 なにも言えなかった。床に足を縫われたようにただそこに立って、彼を見ていた。

 ポツリ。

 気づくと涙が頬を伝い、床に落ちた。

 なぜだろう? 

 「つらいんだろ?」と言われると「そんなことない!」と反抗してしまうが、「つらかったね」と言われると受け入れてしまう。心の奥に突き刺さるというより、がんじがらめの心を優しく解いてくれる。無理矢理ではない。静かに開くという感じ。

 涙を指で拭うが、止まってくれなかった。

 本当は私は、誰かにわかってほしかったのだろうか? このつらさを。この苦しみを。

 彼は驚いたような顔をしていた。シャルロットはただ、その場で泣いていた。今まで我慢していた分、決壊した涙はしばらく止まらなかった。

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