第22話 魔法学校の卒業とキス

「おめでとう」

「ありがとうございます」


 体育館では卒業式が行われていた。魔法士に選ばれた生徒たちが名前を呼ばれ、壇上で校長から賞状を受け取る。他の卒業生から拍手が起こった。アレンを含む選ばれた八人は、最前列の席に座っていた。規定の制服に一つだけ普段と違うのは、胸の部分に花飾りを留めてあるところだ。


「レベッカ・ド・アイスブルク」

「はい」


 横に座っていた彼女が立ち上がった。壇上へと向かう。

 緊張するなあ・・・・・・。

 アレンは太股の上に握り拳を置いていた。体が硬直している。緊張をほぐそうと、学校に入学してから今までのことを思い出していた。


 フェイルからのいじめ。

 レベッカとの出会い。

 状態異常魔法コースに入ったが、一人だったこと。

 都市を襲った巨大ワームとの戦い。

 レベッカの父、グレイさんの説得。


 つらいこともあったけど、いい思い出だ。

 グレイさんの説得がうまくいったあと、アレンとレベッカは毎日外に出て、状態異常魔法の効果表を作る作業に没頭した。今やノートは五冊目に突入している。ただ一つ気がかりなことがあった。

 それは魔物図鑑のこと。

 理事長は魔法学会に図鑑の訂正をお願いした。後日、理事長から呼び出され、学会からの返答を受けた。それは驚くべきものだった。


 図鑑の訂正、その必要はない。


 それが学会からの答えだ。

 これはどういうことだろう? 間違っているのになぜ正さない? それともなにか別の理由があるというのだろうか?

 理事長に聞いてもわからなかった。ただ、魔法学会は大きな組織であり、変更を行うことには抵抗があるかもしれないらしい。

 だとしても間違った情報を流し、放置していいのだろうか? いいわけがない。間違いがあれば正すのは当然のことで、それができない組織の理由はいくら考えてもわからなかった。苛立ち、怒りも少しある。


「アレン・ブロードウェイ」

「は、はい!」


 声が裏返ってしまった。恥ずかしい。

 アレンは壇上に向かった。


 卒業式は滞りなく終わった。

 体育館の入り口で、アレンはレベッカが出てくるのを待っていた。彼女は多くの友達に取り囲まれている状態だ。抜け出すのは時間がかかるだろう。アレンはフェイルや一部の生徒に声をかけられたぐらいで、早々と外に出られた。ため息をもらす。人が多いところは苦手だ。

 周りを見渡す。他の卒業生たちが楽しく会話をしていた。泣いている生徒もいる。ふざけて抱き合っている生徒たちも。

 一人、まっすぐアレンのほうに歩いてくる生徒がいた。確か魔法士になった八人のうちの一人だ。背の高い男で、顔は整っている。薄緑の髪を首もとまで伸ばし、さわやかな印象を与え、女の子にもてそうな容姿だった。彼は気さくに声をかけてきた。


「やあ。君がアレンだね」

「あなたは確か……ウィルさん」


 先ほどの式で、名前を覚えていた。


「さんづけはやめてほしいな。これから一緒に戦っていく仲間になるかもしれないんだから」

「は、はあ・・・・・・」


 ウィルは肩をポンポンと叩いてきた。

 初対面なのに、慣れているのかぐいぐい来る人だな。


「いやあうらやましいね。君でしょ。レベッカの恋人って」

「ははは。まあ」


 付き合ってください、と告白したわけじゃない。しかし父親に半ば強制的に許可をもらった。今や誰もが知っている公認カップルになっている。


「一日だけでも貸してくれない?」

「え?」

「冗談冗談」


 ウィルはニヤニヤと笑みを絶やさない。また肩を叩かれた。


「おっとお姫様の登場だ。じゃあな」


 彼は離れていって、別のグループの輪に入っていった。視線がレベッカと合う。彼女は近づいてきた。


「あいつと知り合い?」

「いや、さっき会ったばかりだけど」

「気をつけなさい。あの男、変態だから」

「ええ!?」


 レベッカは真顔だ。冗談とかではなくマジだ。

 もう一度彼を見る。さっきまでアレンと会話していたのに、もう輪の中心にいてハシャいでいた。


「いい人そうに見えるけど」

「だから油断しちゃダメよ。痛い目に会いたくなかったらね」


 すでに経験があるのか、彼女は眉をピクピクと動かす。なんか怖いから聞かないでおこう。


「アレンはこれからどうするの?」

「理事長に会いに行くよ。お世話になったからお礼を言いにね」

「そう。じゃあ私もついていくわ」

「もう僕たち、こそこそ隠れる必要もないしね」

「うん。そうね」


 といっても、人前で手をつないだりするのは恥ずかしいので、そのまま並んで歩き出した。


 理事長は庭園を眺めていた。声をかけると手を上げて応じてくれた。

 軒下の段に座り、優しい笑顔を見せてくる。それにアレン、レベッカも答えた。理事長の横に座り、彼女も座った。


「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

「入学式かと思ったらもう卒業か。時間がたつのは早いのう」

「そうですね。僕も過ぎてみればあっという間でした」

「これからが大変じゃぞ。アレンくん」


 「はい」と返事し表情を引き締める。


「・・・・・・といってもアレンくんはあれじゃな。肩の力を抜いて気長にやるといい。そのぐらいがちょうど良いじゃろう」


 理事長は彼女のほうを見た。


「レベッカさん。アレンくんを頼むぞ。あまりいじめんようにな」


 ニヤリと笑う理事長に、彼女は「はい」と返事して微笑んだ。


「お前たちは付き合っとるのか?」

「いや、正式には・・・・・・」


 アレンとレベッカは恥ずかしそうに下を向いた。


「そうか。そっちの進展も見られると良いのう。ほっほっほ」

「これから、ということで」

「うむ。楽しみにしておるぞ」


 少しの間、沈黙が続く。日が差し、庭園を明るくした。ゆっくりとした時間が流れる。そういえば、と切り出しのはアレンだった。


「前に言ってましたよね? ひみつの話」

「ん? なんの話かのう?」

「魔法士の資格を剥奪されそうになった話です」

「ああ。聞きたいか?」

「少し気になっていたので。もし可能であれば」


 理事長は大きく息を吸って吐き出した。視線を空に向け、思い出しているようだ。


「わしが若いころ、恋人がおってのう。ある男、元彼のそいつが彼女にしつこく復縁をしようと言い寄ってきた。彼女は拒否したが、怒った彼は暴力を振るい、顔に酷いやけどを負わせた。そのことを知ったわしは・・・・・・その男に大けがを負わせた、という話じゃ」

「そんなことが・・・・・・」

「その恋人とはそのあと、どうなったんですか?」


 レベッカが心配そうな顔をして言った。


「行方不明じゃ。顔がやけどでタダれ、わしの前から、世間の前から姿を消した。タダれた顔を人前にさらすのが嫌だったのじゃろう。それから数日後、ある村で湖に溺死した、顔がタダれた若い女性を見つけたと聞いた。駆けつけてみるが火葬が終わり、骨になった後じゃった。それが恋人かどうかは結局、わからずじまいじゃ」


 レベッカは言葉にならないのか、口の前に手をあてた。アレンも無言だった。


「大昔の話じゃよ」

「すみません。そんな過去があったなんて」

「よいよい。しかし、人間というのは本当に感情の生き物じゃな。この年になっても少しのことで怒りは感じる。逆に喜びもある。アレンくんが今日、無事卒業したこの日のように」


 その言葉には重みがあった。長い年月過ごしてきた人生から放たれた言葉だった。


「怒りをなくすことはできないじゃろう。ならば、うまく怒りと付き合う方法を考えなければなるまい。それは試行を繰り返すことで身につく。アレンくんが魔物に魔法を試行するのと同じように」


 理事長の優しげな目がアレンを見た。


「怒りにとらわれるな、とは言えん。わしにその資格はない。ただ、うまく付き合う方法はある。それはこれから見つけていくことになるじゃろう」


 まるで未来を見たかのような言葉だった。

 そのあと少し話をしてから、アレンたちは理事長の元を去った。微笑み返す老人のその裏で、過去、どんな心境が渦巻いていたのだろう。想像すると胸がギュッと締めつけられた。


「もう。アレンったら」

「ごめん。気になっていたからつい・・・・・・」


 旧校舎の教室に、レベッカと一緒に入る。狭く細長い部屋。奥の窓際にはイスが積まれている光景は、ここに入った最初の頃から変わってない。

 一回、先生から新校舎の教室を使ったらどうかと提案されたが断った。この狭い空間がやけに落ち着くからだ。

 でも、この部屋とも今日でお別れか。

 カーテンを開け、窓を開けた。心地の良い風が頬をなでる。


「アレン。そういえば」

「ん?」


 近くにレベッカがいた。彼女の青いきれいな髪が風になびいている。切れ長の澄んだ目がアレンをとらえていた。髪にはヘアピンがあった。雪だるまのキャラクターの形をしたもので、彼女の誕生日にあげたものだ。なにをあげようか考えて思いつかないから、露天に彼女を誘い、いいと言ったものがこれ。

 氷属性だから雪だるまなのだろうか。いやたぶん関係ないだろう。


「正式にアレンから言われてなかったわよね」

「それって・・・・・・告白のこと?」

「うん」

「ここで言うの?」

「アレンの口からはっきり聞きたいの」

「うぅ・・・・・・」


 面と向かってとか、恥ずかしい。こういうのは何気なくだったり、勢いで言うものじゃないだろうか。


「こ、今度またってことで」

「ダメよ。今」


 逃げようとしたら服の裾を引っ張られた。改めて向き直り、アレンは深呼吸する。ドキドキバクバクが激しくなる。

 一気に言って楽になろう。

 と彼女の顔を真正面から見るが、言葉が出なかった。


「えっとぉ・・・・・・」


 視線を泳がすアレンに、レベッカは待ってくれていた。彼はわざとらしく咳をしたあと、もう一度彼女を見る。意を決し、口を開いた。

 ここは男らしくカッコヨク決めておきたいところ。


「つ、つつつ、付き合ってくだひゃい」


 噛んだ。ダメでした。狙ってやるとろくな結果にならないね。


「嫌よ」

「ええ!?」


 まさかの即答。

 しかしレベッカは笑っていた。アレンが驚く顔を見て、嬉しがっているようだった。


「私の答え。聞きたい?」

「それは、もう・・・・・・」


 近づくレベッカ。息が顔にかかるほど近づいてきた。そして――。

 チュ。

 アレンは初めてのキスを、好きな人と交わしたのだった。

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