第11話 嵐の前の静けさ

「なにか悪い予感がするのう」


 理事長は自らの住居である一戸建て、その軒下の段に座っていた。学校敷地内の東にあるこの場所で、趣味の庭園を眺めている。

 複数回起こる地震。

 先ほどのは大きい。過去、巨大な魔物が地上から飛び出してきて襲ったことはない。ないが、直感が言っている。地下になにか蠢いている、と。

 おいぼれが騒いだところで迷惑なだけなのでしばらく様子を見ることにするが、直感が正しければ大変なことになる。

 今のうちに魔法士たちに連絡しておくか。

 そんなことを考えながら薄暗くなっていく景色を見ていると、斜めから声がした。庭の入り口である背の低い門の前に立っている男子生徒がいた。


「理事長。ちょっとお話が」


 あの子はアレンくんか。

 少し寝癖のある黒髪、背は低く、痩せているので弱々しく見えるが、目は以前にも増して輝いていた。


「入っていいぞ」


 手招きすると、笑いながら駆け寄ってくる。


「どうしたんじゃ? そんな嬉しそうに」


 アレンはカバンを置き、その中から一冊のノートをとって、それを広げて見せた。


「こ、これを見てください」

「ん? どれどれ・・・・・・」


 そこには汚い走り書きした文字で、ハントキャット。その横にこう書かれている。


 ス毒暗沈睡混麻石

 ○×××××○×


「おお・・・・・・」

「ど、どうですか」


 キラキラと目を輝かせるさまは、なんというか少年のようだった。

 というか顔が近い。

 はて? これはなんじゃ?


「なかなか達筆な文字じゃのう」

「そこじゃないです!」


 恐ろしいほど素早いツッコミを受けた。耳の近くで声を出されたため、き~んとなる。

 アレンは両の手を握り、上下に振っていた。ウズウズしているようで、地団駄を踏みそうな勢いがある。


「すまんが、わしにはわからんのう。説明をしてくれんか?」

「状態異常魔法の正しい効果表です。僕が調べたんです」


 目をパッチリ開けて、鼻息荒く興奮している。しかし、いまいちどういうことなのかよくわからない。


「つまり、どういうことじゃ?」

「図鑑の効果表が間違っていた、ということです」

「ほお・・・・・・」


 そんなことがあるのか。

 すぐ思いついたのは個体種と呼ばれる魔物のことだ。同じ人間でも姿、性格、好き嫌いが違うように、同じ魔物でも違うところが多々ある。つまり偶然、状態異常の耐性が低い個体種に対し、状態異常魔法を使ってみた可能性はある。

 しかし、そんなことをはっきり言ってしまうと、「なんだ・・・・・・」となって好奇心が失せるかもしれない。それだけは避けねばな。

 それに本当にアレン君が書いた効果表が正しいかもしれない。真実はわしにもわからん。


「ほほ。すごいのう。アレンくんは」

「へへっ」


 満面の笑みだ。

 やはり外に出して正解だったな、この子は。

 理事長はノートを返した。アレンはそれを入れたカバンを背負う。


「どうじゃ? レベッカとはもう慣れたか?」

「あ、はい。ていうか理事長、本当に驚きましたよ。彼女が来たとき」

「アレンくんが喜ぶと思ってのう」

「そんなことは・・・・・・」


 アレンは照れているのか、視線を泳がせた。

 この様子だとうまくいっているようじゃな。


「あ、それと、ありがとうございます」

「ん?」

「図鑑のことです。あれ、高かったんじゃないですか?」

「いや、もともと古くなっていたし、買い替えようと思ってたところじゃ」

「そうなんですか?」

「そうじゃ。だから気にするな」


 まあ、古くなっていたのは事実。仕方あるまい。

 暗いので理事長は灯りをつけた。


「ほい」


 理事長の指先から小さな火が放たれる。それで点火されたロウソクを長方形の四角いカゴの中に入れた。カゴの側面は紙が貼られていて、中の火が優しげな明るさを作り出していた。

 アレンはその光景を不思議そうに見つめてきた。


「幻想的じゃろ?」

「あ、そうですね」

「どうした?」

「さっき、魔法名を言わずに魔法を使いましたよね? そんなことが可能なんですか?」

「そうじゃ。これはオリジナルの指輪じゃからのう」


 人差し指にはめた指輪をアレンに見せた。見た目は魔法指輪と変わらないが発動言語を変えてある。


「自分で作ったんですか?」

「うむ。魔法士になれば、誰もがやるようになる。短時間で発動するためにのう。まあ、わしの場合、使いやすいからそうしてるだけじゃが。ただ、ときどき暴発してしまうことがあるから注意が必要じゃ」


 アレンは微笑んだ。


「理事長は、昔すごい魔法士だったとか」

「昔の話じゃ。今はただのおいぼれ」

「そんなことないです。僕は理事長がいなければ、今でも苦しんでいたかもしれない」


 理事長は首を振った。


「そんなことはない。わしがいなくとも、アレンくんは自ら動いていた。立派じゃよ」

「それでも、もう一度お礼を言わせてください。ありがとうございました」


 頭を下げるアレン。

 いい子じゃな。少し悲観的なところもあるが純粋。だがそれゆえに・・・・・・。

 アレンは庭園から去り際、門でもう一度頭を下げた。理事長は微笑んで手のひらを上げた。

 それゆえに、魔法士になるときついかもしれんのう。

 理事長は灯火が淡く照らす傍らで、少しの間、座っていた。




 異変が起きたのは翌日。

 暗闇からじょじょに明るくなりかけの早朝。

 再び地震が起きた。強烈な横揺れ、地響き。

 何かが地面から飛び出す。それは巨大な魔物だった。

 土色のワームは傍にあった家を吹き飛ばし、空高く伸びていく。細長い巨大な虫、その先端にある口が大きく開いた。

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