第6話 僕はこれからも続けたい

 魔物図鑑に記載された情報が間違っている?


 魔物ハントキャットにスタンが効いた事実と魔物図鑑との違いに、始めに出した結論だった。

 本はインクで一枚一枚丁寧に書かれる。著者が間違って書いた可能性は高い。なにせ400ページと膨大な図鑑だ。間違うこともあるだろう。

 そうなると、どこが間違っているのだろう。たまたま、ハントキャットの部分だけ間違っていたのだろうか?

 確かめたい。今すぐにでも。

 その日はふとんに寝転がっても、興奮してなかなか寝つけなかった。

 次の日。


 着替えを済ませる。姿見に映る自分はいつもの眠たそうな表情とは違い、目はパッチリ開いていた。寮を出る。

 昨日、いじめっ子のフェイルが校門前の階段で待ち伏せしていたことを思い出す。時間をずらすか。

 アレンはボロボロの建物の教室へと入った。椅子に座り、一呼吸置く。

 まるで自分の部屋にいるときみたいな自由空間。

 フェイルの怖い顔が目に浮かび、アレンは眉をひそめた。

 最悪なのは、あいつらにこの場所を知られることだ。それだけは阻止しないと。

 いつもなら机に突っ伏し、時間つぶしをしても良かった。しかし、今は体がウズウズしている。

 動き出したくてたまらない。早く、一刻も早く確かめたかった。

 不思議なことにあれだけ怖い思いをしたにも関わらず、ハントキャットに会いたがっている。まずやることは再現性の確認だ。本当にスタンが効くのかどうか、確かめたかった。

 突然、ドアが開いた。

 久しぶりの来客に緊張が走る。

 誰だろうと後ろを振り返ると、先生が立っていた。投げやりで、アレンのことを気にも止めてない茶髪の男教師が、焦った表情をして駆けつける。


「ちょっと来い」


 何かあったようだ。

 アレンは「はい」と言って立ち上がり、先生に後ろについて行った。


 すぐに思い出したのは、都市の門のおじさんのことだ。彼がアレンのことを怪しんで、学校に連絡を入れたのではないか?

 不安が胸の中で渦巻く。足取りが酷く重かった。

 コンコン。


「失礼します」


 入ったのは、北校舎三階にある校長室。掃除の行き届いていそうなきれいな部屋だ。机を挟んで座っているのは校長だろう。

 ローブで体を覆ってはいるが、太った腹が前に突き出しているのがわかる。頭には白髪が少しある程度。二重あごで、目は細く、入学式によろよろと歩いていた光景を思い出す。あのときの優しげな表情はなく、険しい顔をアレンに向けていた。


「連れてきました。こいつがアレンです」

「お前か。学校から抜け出していた奴は」


 予感は的中したようだ。悪い予想ほどよく当たる。


「今朝、連絡が入った。授業の時間だと言うのに外で何をしていんだね。君は」


 冷たい視線、口調に、言葉を失う。まるで圧迫面接を受けているような心境に陥って、うまく頭が回らない。背中から汗が出てきて、鼓動が速くなる。


「おいっ。さっさと報告しろ」


 先生も冷たく、厳しい口調だった。この部屋に味方はいない。

 なにか言わなければいけない。だんまりしていては余計責められるだけだ。


「す、すみません」

「すみませんじゃないだろう。君一人が勝手なことをされると、学校の名前に傷がつくんだぞ? 聞くところによると、君は滅多に教室にいなかったというじゃないか?」

「はい……」

「ガロ先生は毎日どこかに行く君を探し回っていたらしいぞ。申し訳ないと思わないのか?」

「え?」


 探し回ってた?

 横に立っている先生の顔を見る。真顔だ。アレンを無視するように校長へと視線を向けていた。

 嘘だ。先生こそ教室にいなかったじゃないか。忙しいから自習だと僕のことを放置しておいて、探し回ってた? よくそんな嘘をつけるな。


「どうかしたのかね?」


 様子がおかしいと思ったのか、校長が聞いてきた。もう一度先生を見る。今度は、眉をひそめ、目を細くして睨んできた。

 余計なことを言うんじゃない。

 そんな心の声が透けて見える。

 何なんだこの先生は。いや、そもそも先生なのか? 自分が攻められないよう、保身のために嘘をつく。こんなこと許されていいわけない。


「……ガロ先生は、僕を放置してました」

「なに?」


 声が震える。脚はガクガクで、呼吸をするのもつらい。それでも説明を続けようと息を吸ったそのとき、先生は言った。


「校長。こんな生徒の言うことを真に受けてはダメです。どうせ嘘ですよ」


 なんだって?

 アレンは先生を睨みつけた。


「最低のFランクですよ、彼は。才能のなさにひがみ、かまってほしかったのでしょう」

「そういうことか」


 校長は何を納得したというのか、ため息をもらした。

 怒りが極限に達し、握りこぶしを作る。そのとき浮かんだのは両親の顔だった。ここで暴れては両親に迷惑をかけてしまう。お金がないのに、一生懸命働いて学費を出してくれている両親に……。

 こぶしを作る力を緩めた。

 僕はここでは無力だ。校長は僕なんかより先生の言うことを信用している。でも、悔しい。遊んでいたわけじゃないのに。


「どうなんだ!?」


 校長の苛立った声が部屋に響いた。早く首を縦に振り、解決してしまいたい意図が見えた。ここで暴れて損をするのは僕だ。なら、認めるしかないのか?

 状況が違えば認めていたのかもしれない。フェイルにいじめられている現場を、レベッカに見つかり、遊んでいたという嘘を認めたのと同じように。認めて傷つくのは僕だけだ。

 しかし、この場合は違う。ここで認めてしまっては、最悪退学が決まってしまうかもしれない。そうなれば両親の苦労は台なしだ。それだけは避けたかった。

 少しの間、静寂が続いた。突然、後ろのドアが開く。

 現れたのは見たこともないおじいさんだった。縦縞の綿入りでもっこりとした服を着ていて、背は低い。頭部はハゲていて、顔には多くのシワが刻まれ、白い髭を生やしている。優しげな目がアレンに向けられていた。


「こ、これは理事長」


 校長は立ち上がり表情を崩した。責めるような態度が一転、柔和になる。


「どうじゃ? 順調かね?」

「はい。もうすぐ終わります」


 理事長はゆっくりした足取りで近づいてきた。背は曲がっておらず、しゃきっとしている。


「ふむ。君がアレンくんか」

「は、はい……」

「どれ。ここじゃあ話をしにくい部分があるだろう。場所を移さないか?」

「はあ……」


 突然の提案に、アレンの顔はきょとんとする。

 このおじいさんはいったい何者なんだろう。偉い人というのはわかったが。


「理事長の手を煩わせるわけには……」

「よいよい。わしが事情を聞こう。暇で暇でしょうがなかったので丁度いい」

「そ、そうですか」


 校長は愛想笑いを浮かべる。諦めたのか、椅子に座った。


「こっちじゃ。ついてこい」


 アレンは案内されるがまま、部屋を出た。校舎を出て東に向かう。理事長はサンダルをはいていて、ジャリジャリと鳴らしながら歩いていた。


「さあ、ついたぞ」


 そこは庭園だった。橋がかかり、池があり、木々の緑の中に、ところどころ設置された石が見える。

 こんな場所があったなんて。

 池が見下ろせる近くに一軒家が建っていた。軒下に腰をかける段があり、そこに座らされる。隣に理事長も座った。


「どうじゃ? ここならくつろげるじゃろう?」


 まだそんな心のゆとりはなく、アレンは無言だった。

 しばらくの間、時が流れた。理事長はその間、一言も話さず待ってくれた。両手を後ろにつき、体を支えた格好で。

 アレンは落ち着きを取り戻し、口を開いた。


「僕は都市の外に出ました。それは認めます」

「そうか」

「でも……遊んでいたわけじゃありません。魔物相手に魔法を使って実験してました」

「それは凄いのう」

「ですから、僕はこれからも続けたい、です」


 緊張せず言いたいことを言えたのは理事長の配慮のおかげだ。校長や先生のように責めたりせず、話を聞いてくれる。二人しかいないこの静かな憩いの場も安らぎを与えてくれた。


「……わかった。そうしなさい」

「本当ですか!?」


 アレンは顔を上げ、理事長を見た。

 まさかすぐに許可が出るとは思ってもなかったので驚きつつ、期待を胸に膨らませる。


「生徒がしたいと言っていることを止めはせん。しかし条件がある」


 ゴクリとつばを飲み込む。


「わしが選んだ子と一緒、というのが条件じゃ。アレンくんがなにかあった場合、責任問題になるからのう。それだけは避けたい」

「その選んだ子というのは誰ですか?」


 フェイルじゃないだろうな。そうだと最悪な展開になる。


「攻撃魔法コースの生徒じゃ。優秀でな。そやつも確か、外に出たいとか言っておったからちょうどよい」


 僕と一緒の考えの人か。フェイルは補助魔法コースだから違うな。でも、変な人じゃないだろうか。押しが強いとか、人の迷惑を考えないとか。そういう人は勘弁してほしい。ものすごく疲れる。


「ほっほっほ。変な子じゃないぞ。カッコよく言えばクールな子じゃな。ちょいと冷たい感じを受けるが、まあ、根はいい子じゃよ」


 どんな子だろう。男だろうな。クールな男か。

 ふっ、とか俺に関わるな、とか言ってきそうなイメージが湧く。うん。なんかちょっと苦手かも。

 でも、外に出られるならいいかな。確かめたいことがあるし、置き忘れたカバンも取りに行かないと。


「じゃあそれでお願いします」

「そうか。わかった」


 理事長は立ち上がり、ニッコリと笑った。


「教室に行くようこちらから言っておく。あと、門番にも伝えるよう言っておこう」

「あ、ありがとうございます!」


 僕は感激していた。

 こんな良い人がいたなんて。

 理事長はサンダルをはき、歩き出した。


「あの……」

「なんじゃ?」


 振り返る理事長に、聞きたいことを吐き出した。


「なんでそこまで僕のことを?」

「そうじゃな。わしも色々経験しておるからのう」


 要領を得ない回答だった。

 自分で考えろということだろうか?


「ほっほっほ。所詮、わしらは裏方じゃ。主役は生徒自身ということじゃな」

「そうですか……」


 理事長の考えはそうなのだろう。校長や先生は違うようだが。

 アレンは庭園を後にした。倉庫のような狭い教室に戻り、席に着く。

 どんな人が来るのだろう。初対面に会う相手は誰であろうといつもドキドキする。加えて、クールという単語から悪い想像しか浮かんでこない。

 というか、いつごろ来るか聞いてなかったな。午後からかもしれないし、早いけど食堂に行ってご飯でも食べようか、などと考えているとドアが開いた。

 ビクゥ! と体が反応し、椅子から飛び上がりそうになる。

 振り返ったその先にいたのは。

 リボン付きの白い長袖と、それを覆うマントが風で棚引く。下は膝丈の黒いスカート。

 スカート?

 背中まで伸びる青色の髪。少し鋭い目つきの彼女は、アレンを見ていた。お互いが驚いた顔をしている。

 その子の名前はレベッカ。以前、フェイルのいじめを止めてくれたクールな少女だった。

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