第5話 深まる謎
魔法実験を行う毎日が続く。
都市の門番であるおじさんとも顔なじみになり、「またお前か」と顔パスだった。
やはり実際に魔物相手に魔法を使い、効果を目にするのは楽しい。先生はまったく教室に来なくなったし、誰にも束縛されない。邪魔されない。こんなに楽しいものだとは思わなかった。
夜になると明日の計画を立てる。
どの地域のどの魔物を対象にしようか、と考えてから寝ることが日課になりつつあった。しかし、そんな平穏は長く続かなかった。
「よお。アレン。久しぶりだなあ」
いつものように階段を下り、校門を抜けようとしていた。前に立つのはいじめっ子のフェイルとその仲間一名。フェイルとは対照的に体が細く、目つきの鋭い男だった。二人はカモを見つけて嬉しがっているのか、ニヤニヤと笑っている。
胃が縮まる思いがした。恐怖から逃げ出そうと踵を返すと、フェイルは素早く近寄って肩に腕を回してくる。
「どこに行くんだ? 俺たちと一緒に遊ぼうぜ?」
「い、いや、あの、その……」
「おい。わざわざ待ってやったんだぞ。断る気じゃないだろうな?」
彼は脅すような口調で囁いた。
ダメだ。逃げられない。
アレンは諦め、いじめっ子たちと校門をくぐった。南へ歩き、都市の門を通って外へ出る。門番のおじさんに助けを求める気力は起きなかった。
今、アレンの心を支配するのは恐怖だ。いじめによる苦痛に耐えなければいけない確定された恐怖が、彼を思考停止に陥らせた。
状態異常魔法を駆使して、いじめっ子たちを撃退できればよかったかもしれない。しかし人には耐性があり、まったく効かない。状態異常魔法が廃れた原因のうちの一つと言われている。
外に出ても、フェイルの歩く速度は緩まない。東に歩き、森の中へと入った。木々が生い茂る中、開けた場所で立ち止まる。草の緑よりも地面の茶色の比率が高い、空き地のような場所だ。
誰にも見つからない場所を探していたようだ。
「ここらでいいな。よし。久しぶりの的当てゲームをやるとするか」
「的って誰? こいつ?」
「そうこいつ」
「まじかよ。やっべー」
「まずは俺からだな。おいっ」
命令され、アレンは十メートルほど離れ、彼らのほうを向いた。
「おいバカ。かばん持ったままする気か?」
指摘されて気づき、近くの切り株に寄りかかるようにして置いた。
怖さのせいで、うまく頭が回っていない。
的当てゲームという名のいじめはすぐに始まり、火の玉がアレンを襲う。
「はあっ、はあっ」
それほど時間はたっていないはずなのに、長く感じた。フェイルが放つ火球は当たらなかったが、避ける途中に服をかすめ、ひやひやする場面もあった。
「なかなか当たらねーな。おい。タッグプレイだ」
「おおっ。了解」
タッグプレイ? 何の話だ?
細身の男の髪は青色だった。氷属性。
嫌な予感がした。
「アイスフィールド!」
細身の男が手のひらを地面に向けた。パキパキと音を立てながら氷が地面に広がり、アレンが立つ辺りの地面を凍らせた。薄い氷の膜が張った形になる。
「その氷の上が行動範囲だからな。離れたら殺す」
アレンは火の玉が来るのを待つしかなかった。背中から嫌な汗が出る。
従うしかない。なんなら一発わざと当たって、痛がったら解放してくれるかもしれない。
アレンの考えていること。それは、いかにこの恐怖から抜け出すかだった。そのためには演技をしてまで、フェイルに許してもらおうと期待をした。
「行くぜ! ファイアボー……」
言葉が止まった。細身の男を含むいじめっ子たちはアレンの後ろのほうを見ていた。
なにかいるのか?
恐る恐る後ろを振り向く。茂みの前に立っていたのは、ハントキャットだ。魔物図鑑で見たことがある危険な魔物。トラのような体の大きさを持ち、鋭い牙、爪を持つ肉食のハンター。それが今、目の前にいた。
「に、逃げろ!」
フェイルたちは一目散に逃げ出した。あとに残るのはアレン一人。ハントキャットの獲物を狙うような目が彼をとらえていた。
逃げるべきだ、と思っても体が動かない。背中を向けた瞬間、襲わそうだったからだ。
本で読んだことがある。戦争ではお互い正面を向いているうちは、死者はあまり出ない。しかしひとたび均衡が崩れ、負けるとわかった側が逃げ出すと、無防備の背後を狙われて死者が急増する。
それと同じだ。背中を見せたらやられる。
フェイルたちは距離があったから襲われなかったのだろう。僕との距離は五メートルほどだ。加えて今、地面には薄い氷の膜が張られている。動くべきではない。となると、死んだふり? いや、それはさすがにバレバレだから無理だろう。
生存本能からか、脳の回転が驚くほどの速さで回る。先ほどのいじめによる諦めの恐怖とは違う抵抗しなければ死ぬ恐怖。どちらがいいと言われればどちらも嫌だ。ただ、思考は加速する。そして、この窮地を脱する方法を思いつく。
状態異常魔法か。
しかし、問題なのはハントキャットの有効となる魔法が何だったのか記憶していないことだ。さらに、強い魔物には状態異常魔法は効果がないという原則がある。
ハントキャットは人々に恐れられている部類の強い魔物だ。つまり、効果がない可能性は高い。
今、はめているのはスタン、暗闇、麻痺の指輪。
どれが効いてどれが効かない? あるいは全部ダメか。
でも、やるしかない。このままだと肉にされて食べられてしまう。
ハントキャットが動き出した。視線をアレンから外さず、慎重そうに一歩一歩近づいてくる。毛が逆立ち、敵意をあらわにしていた。
その間、アレンはマナを体内に吸収させる。魔法発動の準備は整った。右手のひらをハントキャットに向ける。警戒したのか、立ち止まった。
今がチャンス。しかし、焦りから魔法名が思い出せない。
えっと、麻痺はなんだっけ? 麻痺、パラライズ……そうだ。
「パラライズコイル!」
どこからともなく蛇のような長い尻尾が出てきて、ハントキャットの胴体に巻きつく。有効な魔物なら体を痙攣させて、しばらく動かなくなるはずだ。しかし、巨大ネコはピンピンしている。攻撃を受けたことに気づいたのか、飛びかかってきた。
「うわっ!」
避けようとしたが、氷で滑って尻もちをついた。頭上を何かがかすめる。爪だ。ハントキャットの鋭い爪が髪の毛先に触れた。ハントキャットは地面に着地後、体勢を立て直し、アレンに向き直す。恐ろしい肉食獣は見逃してくれない。
次襲われたらそのときは……。
ドクン。ドクン。
死の恐怖がリアルに迫ってくる。
死にたくない。
「うわあああああっ! パ、パラライズコイル! スタンショック! ブラインドカーテン! パラライズコイル! スタン……あ、あれ?」
状態異常魔法の連続発動。焦りから効果がない麻痺魔法をかけるなどめちゃくちゃだった。しかし、ハントキャットの動きは止まっている。目を見開き、体が硬直しているようだ。この症状には見覚えがある。
スタンだ。スタンが効いたんだ。だとしたら急がないと!
スタンの持続時間は短い。アレンは立ち上がり、全速力でその場を離れた。
森を抜けて外へ出る。安心したのか力が抜けて、その場に倒れ込んだ。命からがらとはこのことで、もう二度と森へは入りたくないと思った。
「あっ。カバン!」
先ほどの場所に置き忘れた。
しまったと、アレンは顔を歪ませる。
指輪は安いからいい。問題は魔物図鑑だ。あれは図書館に返却しないといけない。今日のところは、と引き上げて後日取りに行ってもいいが、魔物に荒らされてボロボロになっていたり、なくなっていたりしたら大変だな。本は高い。弁償するにしても何万ゴールドかかるか……。
かといって今戻る勇気は僕にはない。あのハントキャットが近くにいる可能性は高いし。
悩んだ末、今日は戻ることにした。
命を失ったらどうしようもない。明日の朝一番に取りに行こう。
都市の門へ戻り、門番のおじさんに会う。ペコリと頭を下げ、顔パスで通してもらおうとした。
「あれ? カバンはどうした?」
「え!? ええっと……」
やばい。言い訳を考えてなかった。どうしよう。
「あ、あれです。捨てました」
「捨てた? なんでだ?」
「気に入らなかったというか……何というか……」
自分で言ってて無理があるなあと冷や汗をかく。
アレンは後頭部を掻き、愛想笑いして誤魔化そうとしたが、おじさんは疑うような視線を向けてきた。
「なにか隠してないか?」
「い、いや別に……」
要領を得ない返答に、おじさんは少しの時間黙っていた。門を通ろうと男が近寄ってくると、諦めたように口を開く。
「……まあいい。入りな」
どうにか許可をもらったアレン。
絶対疑われたな、あれ。
ため息をつき、通りを歩いて学校へと戻った。寮へは戻らず、図書館に行く。
どうしても確かめておきたいことがあった。
本棚から魔物図鑑を探す。図鑑はよく利用する生徒が多いためか、同じものが何冊かあるのは知っていた。分厚いそれを引っ張り出し、机の上に広げる。
どの状態異常魔法が効くのか調べようと、ハントキャットのページまでめくった。
あれ?
声を上げそうになった。なにがおかしかったのかというと、状態異常の効果を示す表にはこう書かれていたからだ。
ス毒暗沈睡混麻石
××××××××
スタンが効いたので当然、スの下は○の表記になっているはずだ。しかし、これを見ると、ハントキャットに状態異常魔法は効かない、らしい。
そんなはずはない。スタンが効いていることを目の前で確認したからだ。
見間違いかと魔物名を見る。間違いなくハントキャットと書かれている。
これはいったい……どういうことだ?
アレンは本に視線を落としたまま、しばらく考え込んでしまった。
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